招かれざる客人は黄泉より来たり―3
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「いい加減、起きなさい!」
その声に、目を開ける。
帝様のお母さんが私の顔を目掛け、手を大きく振りかぶっていた。
「ちょ、待って! 起きました! 起きましたから!」
あれ? なんかデジャヴ?
こんな起こし方を……あぁ、ちっさい櫻宮様だ。
櫻宮様ってば、もしかして、人への接し方といい、起こし方といい、この人を手本にしたんじゃなかろうか。
「起きたならいいわ。それよりも、すぐにここを離れて助けを呼んできなさい」
「え? でも」
帝様のお母さんが視線を向けた先にいる、例の集団が左右に揺れている。その隙間から見える彼等の後方に、ほんの少し高くなっている丘みたいな場所がある。
そこに、見覚えのある人影が複数立っていた。一人は顔を真っ青にしている綾芽のお母さん。──それから。
「綾芽?」
……じゃないな、うん。
最初こそ顔がそっくりだったから見間違えたけど、あれは綾芽じゃない。
だって、こんな状況なのに、目の前の集団をどうすることもなく、ただひたすら綾芽のお母さんだけをガン見している。しかも、嬉し気に微笑んですらいる。
あんなに綾芽にそっくりで、あんなに綾芽のお母さんが真っ青になってて、あんなに嬉しそうにガン見している。間違いない。あの人が、綾芽の。
「……っ、た、たすけてっ!」
綾芽のお母さんがこちらに片手を伸ばしてくる。でも、すぐにその手は隣にいる人――綾芽のお父さんに絡め取られるようにして下ろされた。それから、綾芽のお父さんがようやくこちらへと目を向けてきた。
「……これはまた、都合のいい」
綾芽のお母さんの身体を抱きしめながら、綾芽のお父さんの口元はゆっくりと吊りあがっていく。
「狩野の娘よりもアレの方が良さそうだ。どう思う?」
「ん? いやいやいや。あの子ぉは神さんの娘やし、あきませんって」
「なんの。神の娘だからこそ、綾乃の器に相応しい」
それまで気づかなかったけど、お父さんの背後にもう一人いた。夢の中で見た、綾芽と口調がそっくりだったあの男の人だ。
帝様達の教育係的な立ち位置だった人が、どうして綾芽のお父さん達と一緒に? さっきまでの会話からして、気の置けない主従関係っぽいけど。
「お前と二人、共に暮らす日々が今からとても待ち遠しい」
「まだ気が早いですよ。……あぁ、ご挨拶がまだでしたわ。后宮様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
見た限り、綾芽のお父さんは一回も帝様のお母さんと目を合わせていない。そして、臣下である彼だけが頭を下げて礼を尽くす。もちろん、礼を尽くす男の人の行動は正しい。正しいけれど……。
「……地獄の鬼も随分と職務怠慢だこと。私なら、とっくの昔に貴方達のそのよく回る舌を引き抜いてやったというのに」
あぁ、やっぱり、帝様のお母さんはお怒りだ。まだ静かな方ではあるけれど。
いっそ主従揃って無視していた方がマシだっただろう。そうすれば、まだ認識阻害が働いていたという理屈もとい言い訳がとおる。実際、霊体同士はお互いが見えないこともあるし。
こうなると、あえて無視され、声をかける価値もないと判断されたと同じこと。帝様のお母さんの、エベレスト並みの高さを誇るプライドが傷つけられたのは、階級制度に馴染みがない私でも分かる。
完全なる悪手だ。しかも、この男の人の場合、それをわざとやってる節がある。
「まったく。こんな騒ぎになっているのに、何故まだ誰も来ないのかしら」
「あ、その、ここから一番近い西の人達が皆、謹慎処分を受けてるんです。だから、ここへ来るなら、たぶん南ってことになって」
帝様のお母さんにだけ聞こえるように小声で耳打ちしたはずなのに、この遠さでも男の人の耳にはしっかり届いてしまったらしい。
「南いうたら、鳳やったっけか? あの生真面目な坊二号。元気してはる?」
「え? 元気、かな?」
「そかそか。そらええことや。……あぁ、あったあった」
男の人が服の至る所をごそごそしていたかと思えば、何かを探り当てたらしい。
取り出された手には、包み紙に包まれた飴玉が二つ握られている。
「こんな見事な結界張って、腹空いたんと違う? 飴さん、食べへん?」
「え? いや」
「ん? 鼈甲飴は好きやない? やっぱ苺味とかの方が良かったやろか」
なんだろう。初対面なのに、すっごいグイグイくる。
「そういや、ちょっと離れて見とったんやけど、疾風もよう手懐けてはったなぁ。こっちは威嚇までされとったんやで。これでも、生きとった間はようお世話しとったのに、悲しいわぁー」
「……嘘だぁ」
「ほんまほんま! これほんま! 嘘思うんやったら、これから来る鳳達に聞きよし。ちゃぁんとほんまやって証言してくれはるわ」
「なんか口調が嘘っぽい」
「あ、それあかんよ。一部の人と、自分の口調がうつった綾芽に対する悪口や」
どうしよう。男の人との会話に、海斗さんみも感じてきた。
この調子のいい言葉がポンポンと出てくるところは海斗さんにそっくりだ。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「ちょっとお口、チャックしといて」
こんないっそ茶番じみた会話をしている中でも、綾芽のお父さんは綾芽のお母さんの方をずっと見ていた。ずぅーっとだ。
怖い通り越して、ちょっと……いや、だいぶひく。
「酷いわぁ。なぁ、そう思わん?」
男の人が問いかけたのは、綾芽のお父さん達でも、私でも、もちろん帝様のお母さんでもなかった。
私達の背後に、いつの間にか、今はもう見慣れた赤い大門が。普通はゆっくりと開かれるその門扉が、風を切るように勢いよく開かれた。そして、間髪入れず、大量の札、もとい札を矢尻に突き刺した矢が、結界の外のお客様達に向かって雨のように降り注いでいく。その札に射抜かれた人はすうっと薄くなり、しまいには消えていった。
「あぁあぁ、死人がこんなようさんおってからに」
門の向こうには、不敵な笑みを浮かべ、鞘から刀を抜き放つ綾芽達がいた。