招かれざる客人は黄泉より来たり―2
□ □ □ □
「そこで何をしているの?」
つい先ほどまで静かだった庭先に、きつい口調の声が響いた。
私が今いるのは、どこぞの御屋敷の回廊の一部、の隅っこ。既視感があるのは、この御屋敷の雰囲気が、どこかアノ人の御屋敷に近いものがあるからだろう。
件の声の主は、私とは少し離れた先の回廊に立っていて、私がいる方とは違う方を向いていた。その視線の先には、二人の男の子。声の主である女の人にも、そして二人の男の子にも、私が知る人達の面影がそれぞれあった。
……あぁ、またこれかぁ。
理由は分からないけど、また過去を視る眠りにおちた、ということらしい。皇彼方と一緒に行動している、あの栄太というお兄さんの過去を視た時みたいに。
「……は、ははうえ、ごめんなさい」
「聞こえなかったの? 私が求めているのは謝罪じゃない。この場にいる理由、それだけよ」
女の人は眉を寄せ、重い足取りで近寄ってきた男の子達二人を見下ろしている。
「ごめ」
「いいから早く答えなさい」
「あの……あれ、あやめに……まだ、おそとにでられないから」
二人のうちの一人――幼い姿をした帝様がすっと庭の一角を指さした。隣に立つもう一人――幼い姿の橘さんも、心配そうな顔つきで成り行きを窺っている。
二人とは違い、まだついさっき見たばかりの姿に近い女の人――帝様のお母さんは、帝様が指さした方を見て、さらに眉を顰めた。そして、帝様達の方へ視線を戻すと、その表情を崩すことなく口を開いた。
「自分がどんな立場にいるか、まだ理解していないようね。本来、この時間に貴方がすべきことは何?」
「……おべんきょう、です」
「分かっているなら何故そうしないの? いい? 貴方は次の帝なのよ? いい加減にその自覚を持ちなさい! それとも、今している勉強の内容が簡単すぎるのかしら? こんなことをしている暇があるくらいだものね」
帝様のお母さんは腰に片手をあて、目を細めて帝様へ容赦のない言葉をつきつけていく。帝様はきゅっと唇を噛みしめ、黙って俯いてしまった。
それに橘さんが耐え切れなくなったらしく、帝様を庇うように前に出た。
「申し訳ございません。私が誘ったんです。だからお叱りは全て私が」
帝様のお母さんが、ふいと視線を橘さんの方へずらす。
「……お前もお前で、何か考え違いをしているようね。たとえ誘ったのが誰であろうと、その考えにのった時点で同罪よ。お前は私の息子に、他人に罪を被せて己だけ助かればいいと思うような愚か者になれと言うの?」
「い、いえっ! そんな!」
慌てる橘さんに、帝様のお母さんは帝様に対するものよりもさらに冷たい視線を向けた。嫌悪や怒りといったものがない交ぜになったそれは、幼い二人の身をさらに竦ませた。
「そもそも、お前はまだこの子の側仕えをしているの? 外すように陛下に進言したはずよ?」
「それが……その、陛下が、そのままで構わない、と」
「……あの人が?」
帝様のお母さんの口元が、ひくりと震える。かと思えば、くるりと背を向け、高い天守の方を睨み上げた。きっと、そこに先代の帝様がいるんだろう。
「元の世界に戻ることを許さぬほど寵をかけて囲う娘がいるかと思えば、今度は亡国の王妹? はっ。私の言葉は何一つ耳に入らぬような行動をとるくせに、あの娘達の願いはなんでも叶えて差し上げるのね。大層なお心遣いだこと。彼女達はさぞかしこの国にとって有益な行動を取ってくれているのでしょうね」
帝様のお母さんが手を置いた木製の手摺りが、みしりと音を立てる。
「この私を、一体どこまで蔑ろにすればすむというの!?」
怒髪天をつくとは、まさにこのこと。
辺り一帯に轟く怒声のせいで、近寄って来ようとする人も……ん?
「あちゃー。なんや間ぁの悪い時に来たみたいやなぁ」
私がいる方とは逆の方から声がかかる。
なんとも場違いなほどの明るく軽やかな口調。方言が珍しいわけじゃないけれど、綾芽のそれと似てるから、なんとなく気になってしまう。
どうせ夢だし、この人達には私の姿が見えてない。ならば、やることは一つだ。
回廊の隅から抜け出し、四人の姿がよく見える位置に移動した。
綾芽と同じ口調をしたその人は、今の綾芽と変わらない歳に見える男の人で、長い髪を三つ編みにして背に流している。決してニヤけているわけでもないのに、なんだか笑っているように見えるのは、細いたれ目のせいなのかも。もちろん、場の雰囲気を読もうとしないその軽い口調のせいもある。
「……お前の人事権が私にないことが、本当に悔やまれてならないわ」
「今度、陛下にお礼言うときます」
「えぇ。よくよく言っておいてちょうだい。私の話は全て耳からすり抜けてしまう、とっても便利な聴覚をお持ちのようだから」
「わぁ、責任重大ですやん」
「……相変わらず、いけすかない男ね。まぁ、いいわ。早くこの子達を連れて行ってちょうだい。邪魔よ」
「そら堪忍。さ、行きましょか。……あれ? なんか持っていく言うてませんでしたっけ?」
「……あ」
二人の視線の先を追い、男の人も二人が持っていこうとしていたものに気づいたらしい。ちらりと帝様のお母さんの顔色を窺っていた。
「あぁー……ここは御母上の御庭やし、無闇矢鱈と触ったらあきません。ほら、部屋に玩具があったでしょ。それでどうです?」
「でも」
「まぁまぁ。休憩です休憩。自分より年下の子ぉを間近で観察できる機会なんて、作ろうと思わな、なかなかあらしまへん。二人の立場やったら余計にや。……ああ、そうそう、将来、子供のための政策を立てる時、必要になってくるかもですやんか。積める経験はどんなもんでも積んどくべきやって、そう思いますやろ?」
「……」
帝様と橘さんが、不安そうに男の人と帝様のお母さんを交互に見上げている。
綾芽のところに行きたい。けれど、お母さんの言うことにも従わなければいけない。
その狭間で葛藤している二人に、男の人は二人の頭をポンポンと軽く叩いた。
「この子が将来、次の帝になるために必要な知識をつけろと言ったのよ? 子守りをさせるためじゃなく」
「いやいや、兄弟の面倒を見るなんて、市井の子らじゃ、みんなやってます。彼らと同じ経験してこそ分かるもんもあるいうことですわ。それに、この世に不要な知識なんかあらしまへん」
にっこりと笑って言いきる男の人に、帝様のお母さんはしばらくじっと見つめ続けた。というより、睨み続けた。
けれど、しばらくすると諦めたようで、はあぁっと深い溜息をついた。
「……いいこと? くれぐれも私を失望させるようなことをしでかさないことね」
「おぉ、怖。怖くてかなんから、肝によう命じときます」
それから、男の人は帝様のお母さんの気が変わらないうちにと、二人の背を押してこの場を去っていく。その姿を忌々し気に見送った後、帝様のお母さんはそれまで姿を見せなかったお付きの人達を呼びつけた。
「何をしているの!? 早く庭師を連れてきなさい! それと、鞭の用意もよ!」
今の橘さんの話を聞くに、帝様のお母さんの癇癪は常のもの。
それでも慌てふためいて、ばたばたと走り去るお付きの人達。きっと、しばらくは戻ってこないだろう。
帝様のお母さんも、さっと服の裾を翻し、帝様達がいた庭へとおりていく。
足……は、気にしなくていいっか。
庭を少し歩くと、帝様のお母さんが立ち止まった。そこは先ほど帝様が指をさしていた所だ。
その見下ろす先を後ろから覗き込むと、そこにはこの場にあるべきではない花が植えてあった。
夾竹桃。
美しいけれど、全ての部分において毒があり、植えた周辺の土壌さえも毒に侵されるという、とんでもない花木だ。
そんな花を摘んで、万が一触った手が目に入ったり、誤飲してしまったら……。
タンポポみたいに風で種が飛ばされてきて育つ、なんてことがない花だから、庭を毎日手入れする庭師さんなら気づいてしかるべきだろう。
可哀相だけれど、放置してしまった責任は取らなければいけない。故意に、だったらなおさらだ。
と、いうことは、帝様のお母さんは、二人だけでなく、綾芽の命も救ったということになる。
子供なんて、ましてや乳幼児なんて、自分の指を口に入れてしまいがちだ。おまけに、身体も小さいから毒の回りも早い。毒の種類を特定する前に命を落としてしまうだろう。それが毒によるものだと突き止めてからならなおさら。
「お前も馬鹿ね。こんなところで花を咲かせているなんて。……悪く思わないでちょうだい。あの子達を危険に晒すわけにはいかないの」
……あの子、達、かぁ。
帝様のお母さんは、とてつもなく厳しいだけで、言われていたほどの極悪非道な人ではないかもしれない。
夢に見たのが何故この場面なのかは分からない。でも、これで良かったと思う。
だって、その人のことをきちんと知るためには、周りの評価を鵜呑みにするだけではいけない、と、そう教えてくれたのは他でもない、この世界にいるみんなだったから。