雨降って地固まる―6
□ □ □ □
予定の時間よりも遅れること、約三十分。
「あっ! なちゅきさーん!」
「……はぁーっ」
森の中から雷焔達と出てきた雅がこちらに向かってブンブンと手を振り、一人だけ駆け寄ってきた。
今、この島には生きてる人間はお前達だけになってるはずだとか、転ぶな危ないだとか、いつもなら俺が真っ先に言うであろう言葉を全部飲み込んだ。
立役者は元老院の連中だろうが、アイツもアイツなりに自分に割り振られた仕事を頑張っていた。溜息くらい出るのは仕方ないとしても、まずは労わってやるのも上司として保護者としての務めだろう。
そう思い、駆け寄ってくる雅を抱き上げようと腰を屈め、両手を広げつつ飛び込んでくるのを待ち構えた。
こういうのは、自分でいうのもなんだが、本当に珍しいことだ。それはもう、普段こういうのは劉や綾芽、巳鶴さんなんかがやっていることで。俺が自らこうして出迎えるなんて、アイツが何ぞやらかして、仕置きをするために捕まえる必要がある時くらいだっただろう。
だからか、はたまたタイミングか。
「あれ? そっちはもう終わったん?」
「あーっ! あやめ、みーっけ!」
「はいはい、かくれんぼでもしとったんかいな。……雷焔さん達も、お疲れさんどしたなぁ」
脇からひょいっと顔を覗かせた綾芽の声が聞こえると、駆けてくるスピードはそのまま、そっちに方向転換していきやがった。綾芽も当たり前のように突進してきた雅を抱き上げている。
残されたのは、この無駄に広げられた両手のみ。
すると、背後に気配が二つ、すっと現れた。
まぁ、振り向かずとも誰だか想像はつく。このまま無視してやりすごすこともできるが、それもそれでなんだか癪に障る。
仕方なしに、手をゆっくりと下ろしながら同時に後ろを振り向いた。
「「……」」
片や、腹と口に手をやり、肩をふるふると震わせ、見るからに笑いをこらえているリュミエール。
片や、俺の肩に手を置いている方とは逆の手を懐に入れ、取り出す冊子をそっと俺に差し出してくる雅の父神。しかも、俺の気のせいでなければ、確実に紙束の量が増えている。
俺がその冊子――その名も“初めての子育て。仲良し親子になるためにやるべきこと”――に視線を落とし、再び父親の方を見ると、こくりと頷かれた。
「……いや、いらん。結構だ」
「そうか。読みたくなったらいつでも言ってくれ。下げ渡すことはできないが、見せるくらいならばしてやれる」
「あぁ。……アリガトウ、ゴザイマス」
「……もっ、むりっ!」
ここまで来て、とうとうリュミエールは隠しもせず笑い転げ始めた。
「彼らにはすでに貴方達のことを教えてあるから、大丈夫。問題ないわ」
須崎家の二人を連れてこちらまで歩いてきた雷焔は、「それよりも」と言葉を続け、リュミエールの方へ視線を向け、目を細めた。当のリュミエールは全く狼狽えず、かえって笑みを深めている。
「リュミエール様、途中で覗かれていたでしょう?」
「えー? んふふっ、バレちゃった?」
「あの子にも分かるようにしておいて、バレないわけがないでしょうに。あまりおイタが過ぎるようであれば、エリオルや兄君様方に報告させていただきますからね?」
「そんなっ! ちゃーんと大人しく留守番してたのに! ね、そうよね?」
……ほぉーん。
「さぁ、どうだかな?」
ニヤリと、意地が悪いと自覚のある笑みが漏れる。
今日これまでの意趣返しにしちゃ随分と軽くてお優しいもんだが、他に機会がなければ意趣返しそのものができなくなるとくりゃあなぁ。
つまり、こんな上等なチャンス、逃すわきゃねぇだろって話だよ!
「酷い! 酷いわ! 私、こんなに頑張ってるのに! そう思うわよね!?」
「……っ!? えっ?」
「おぉ。これまたすごい」
リュミエールは形成不利と判断し、離れたところにいたはずの橘さんや陛下、それから菊市を術か何かで召喚し、背に隠れつつ、ぐいぐいと迫り尋ね始めた。驚いて目を見開いている橘さん達に引き換え、面白い体験をしたと陛下は満足げだ。
その橘さん達の姿を見るや、須崎家の片割れが膝を折り、その場で土下座をして地面に頭をつけた。急な瞬間移動に驚いていた橘さんも、その後頭部を見下ろし、徐々に普段の冷静さを取り戻していく。
「……一体、どういうつもりですか?」
「もちろん、こうすることで全てが終わるわけでないことは重々承知しています。ただ、まずは私と彼の両親が犯した罪と、これまでこの島を不当に占拠し続け、貴方がたの大切なものを奪い続けていたこと。それらに対して心からの謝罪を」
「……」
腹心のその姿を見て、八雲も何を思ったか、その隣で同じように行動に移した。
ん? 二人が傍にいると良くないという話じゃなかったか?
雷焔にそっと視線を向けると、今は問題ないとばかりに二、三度首を横に振るだけだった。
「……謝罪は不要です」
「不要なわけ……っ!」
橘さんの言葉に、菊市が声を荒げるが、すぐに手で制された。
主君の許可なくば、それ以上異を唱えることもできない。菊市はぎゅっと唇を噛み、渋々後ろへと下がった。
「貴方がたの謝罪やその後の賠償が、我々が喪ったものに見合うものだとでも?」
「……いいえ、そんなわけがありません」
「そうでしょう。その通りです。……それなのに、貴方の中に流れる血が、貴方の中にある臓器が、我々の復讐を阻むのです」
俯く橘さんの口元が微かに震えている。
その橘さんの服の裾がくいくいと緩く引かれた。そうしたのは、いつの間にか綾芽の傍から離れていた雅だった。
「たちばなさん、たちばなさん。はやくきれいにそうじしよ? かみさま、ずっとまたせちゃかわいそうだよ」
そう言って、橘さんの手をとり、今度は力強くぐいぐいと引っ張り出した。
「あとね、ふくしゅうできないことを、おとうさんたちとか、なくなったひとたちにもうしわけないとおもってるんでしょう? だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。あのね、あいてをちょくせつきずつけるのだけがふくしゅうじゃないんだって。あいてよりもうんとしあわせになることもそうなんだって」
――だから、この人達にかかずらっている時間を削って、早く皆を呼び戻せるようにしよう。これから皆で幸せになるために、今から頑張ろ?
橘さんの足元にぎゅっとしがみつき、顔を見上げてにこりと笑う。
「……えぇ、そうですね。皆のためにも、早く済ませねば」
「あ、そうだ!」
「何か?」
「あのねー……おなかすいた」
ぎゅるるるるぅぐぅおぉぉぉぉん
……おいおい、勘弁してくれ。
橘さんは瞬きを一つ二つした後、ふっと笑って雅を抱き上げた。
「では、何か簡単にできるものをお願いしに行きましょう」
「うん! いこ!」
そのまま薫達が食事の準備をしている場所の方へと、二人で手を繋ぎ去っていった。
――あいてよりもうんとしあわせになることもそうなんだって、か。
雅らしい、甘い考えだ。こういうのはそう上手く切り替えられるものではない。
少なくとも、同じ経験をしたものにしか分からない。
……だが、それでも。
ここ最近、妙に大人びたことを言うのを聞いてたもんだから、いつまでもこう甘ちゃんでいてほしいだなんて。
娘もいねぇってのに、親の気持ちになっちまうんだよなぁ。