闇が深いほど光は輝く―5
◆ ◆ ◆ ◆
『ひとつだけ?』
『はい。欲張ってはいけませんよ。一つだけ。でもその代わり、死んだ人を生き返らせること以外、どんな願い事も叶えてくれるんだそうです』
『すごい』
『……さぁ、明日は弟君をこっそり見に行かれるのでしょう? 早くおやすみを』
『ん。……おやすみ』
『おやすみなさい』
水が数滴、水面ではぜる音がする。
……あぁ、気を失っていたのか。
そのせいで、随分と懐かしい夢を見た。
橘が七つ、私が四つの春先。忘れたくとも忘れられぬ、綾芽が生まれてしばらく経った夜。いつにも増して荒れ狂っていた母上の傍にいたくなくて、こっそり橘の布団に潜り込んだ時のこと。
部屋の中には橘と私の二人きり。そのはずだった。
全ての元凶が襖一枚隔てたところにいるというのに、私も橘も、その存在に気づかない。気づくべきだったのに。たとえ無理だとしても、今となってはそう思わずにはいられない。
その者は子供の他愛ない寝物語を鵜呑みにし、終いには彼の国の併合を政の場で皆に勧めたのだ。そうすれば、百年に一度咲く、願いが叶う花が手に入るから、と。
花を独り占めしようとせず皆に告げたのも、一つの家でと一つの国家、罪そのものや罪の意識を分散させるには、より大きな集団の中の一つの方がいいからと判断したのだろう。
どこまでも強欲で、どこまでも姑息な男だった。
そんな輩に差し向けられた者達だが、最初のうちは隠れて探し、見つからぬとなれば、王城ごと落として在処を探った。でも、やはり見つからない。焦れに焦れて、結局、国王夫妻に迫った。命と花と、どちらか選べと。国王夫妻は花を選んだ。国王の代わりはいても、花に代わりはない、と。
そして、その日、国王夫妻は崖から海へと飛び降りた。
しかし、そこまでしても、とうとう花が見つかることはなかった。国を侵し、人を殺め、それでも見つからぬ花。
本当に花があったのか、なかったのか。それを知るのは代々の国王のみ。つまり、真実はもはや闇の中にしかない。
遺されたのは、何の罪もない民。そして、王を喪った悲しみ、故郷を侵された憎しみ、何も知らず平穏に暮らすこの国の民への怒りの感情。
彼の国の民はほとんどが温和で、陽気で、心優しい者達だったというのに。
この罪の責任は、欲に塗れた高官達と、良くも悪くも何もしなかった父上にある。
いや、彼らだけではない。私もだ。
元はといえば、私がせがんだから、橘が話してくれた。
引き金を引いたのは違う者でも、弾を与えたのは私に他ならない。
だから、どうかお願いだ。
綾芽は離籍し、アレもほとんど国から出している。彼らは何も知らず、この先も知ることはない。
だからどうか、どうか弟達だけは。
「何に祈る?」
「……ははっ。貴方に、と言ったら、叶えてくれるか?」
「いや」
即答だった。
答えを聞くより先に、乾いた笑みが出るほど想定内の。
入口の明かりが僅かに入るとはいえ、辺りは暗い。どこかの山中にある岩窟なのだろう。
縄で大岩に括りつけられた私の前で、雅の父神が手頃な岩に腰かけた。
「人の願いを聞き届け、叶えるのは役目持ちの神のみ。我は既に役目を譲った」
「あぁ、承知している」
「だが、我が妻が、そなたらを助けてほしいと言うのだ。吾子も、そなたらに殊の外懐いている。……妬ましい」
「たぶん、心の声も漏れているぞ?」
それを無表情で言うのだからなぁ。
神の怒りは七代じゃすまないだろうから、本当にご勘弁願いたい。
「ゆえに、我は我が妻の願いを叶えるため、そなたの願いを聞いてやろう」
「……新しき世を始めるために、終わらせなければならない世がある。悪習も業も負の遺産も何もかも、全て私が持っていく。貴方にはそれを見届けて欲しい。もし違えるようならば、引きずり戻してでも。全て、ちゃんと、持っていけるように」
「……ふむ」
雅の父神が片眉を上げた。表情がほとんどない彼の、唯一分かる疑念のソレだ。
言葉が足りなかっただろうか。
彼は万事お見通しのようであるから、つい。
「先ほどの願いはどうした?」
「あれは……いや、あれは願いではなく、私の我儘だ。忘れて欲しい」
口から出た言葉は返らずとも、思っただけならばまだ間に合う。
「……ほぅ」
父神はすっと目を細めた。
しかし、すぐに「よかろう」と肯定の言葉が返ってくる。
あぁ、良かった。これでまた、安心できる。
──彼と交わした、あの時のように。
父神が姿を消してすぐ、入り口から灰色の煙が入り、天井を覆い、壁をつたい降りてきた。この雪の中、枯れ葉などほとんどないだろうに、何かが燃える臭いもする。
再び意識を失う間際、
「陛下! ──焔寿っ!」
もう呼ぶ者もいなくなって久しい名を、必死に呼ぶ声が聞こえた気がした。