闇が深いほど光は輝く―3
別室に移動した後、橘さんから「何か言いたことはありますか?」と聞かれた。聞かれたんだ。だから、こっちも聞き返した。「なんでもいいですか?」って。そしたら、「はい」って言うから。言ったから。
「……それで、言いたいことというのが、お腹が空いたから食べ物ちょーだい、ですか」
橘さんの呆れかえった視線はいつにも増して生温い。
でもさでもさ、ここに来る前は雪かきしてたし、来てからも屋敷の中を軽く動き回ったし。
それに、どうせ簡単には帰してくれないんでしょう? だったら、大人しく空腹を訴える虫に餌をやる方が得策だもの。ほら、腹が減ってはなんとやらって言うやつ。それだ、それ。
「……ふう」
「お腹はいっぱいになりましたか?」
「あい。おごちそーさまでした」
橘さんが用意するように言って出してくれたのは温かいほうじ茶とぜんざいだった。汁までズズッと吸い終わると、そんな場合じゃないのにホッと溜息が一つ出る。粒々の小豆餡が餅とほどよく絡み合い、適度にお腹にたまる。
櫻宮様も時折口元についた餡を橘さんに拭ってもらいながらも完食していた。
「それで? なにをしてほしいんですか?」
「……私が言うのもなんですが、もう少し緊張感というものを持った方がいいのでは?」
「ほんとうにきんちょうかんをもったほうがいいあいてって、もったほうがいいなんてみずからいわないですよ」
愉快犯――たとえば、皇彼方みたいに行動そのものっていうよりも、起こした後の皆の反応を見て愉しむようなヤツなら別かもしれないけど。あぁいうのは考え方そのものが特殊だから。
お腹がいっぱいになったから、お昼寝コースに突入してしまわないうちに目的を教えて欲しい。ここに来るまでに眠らされていたのなんて、さっきのプチ脱走事件でチャラだもの。幼児の体力、ほんと驚くくらい変なところで途切れるから。え? ここで寝る? 今? みたいな。
現に、もともと口数が多い方ではない櫻宮様も、さらに黙りこくっている。なんか目もすわって来てるから、睡魔に耳元で囁かれ続けているんだろう。
「……南の屋敷にいた菊一を覚えていますか?」
「あい。じぶんだいすき、うつくしいものだいすきの、ちょーっとかわったおにーさん」
「その菊一が、先日、とある罪を犯したとして元老院へ連行されたのです」
「あ、それ、ききました。このあいだ」
「その菊一のことで、元老院の方々に顔がきくあなたに頼みたいことがあるんです」
橘さんの顔はいつになく真剣そのもので、見ているこちらもなんだか姿勢を正さなければいけない気にさせる。
それにしても、頼み事、とな。
「できることとできないことがある。それをみきわめることがだいじだって、げんごろーおやぶんがいってました」
「げんごろう?」
「あ、そこはいいんです。きにしないで。とりあえず、はなしはききますよってことで」
そうは言っても、源五郎親分が気になるのか、はたまた他のことでか、橘さんは話の続きを話すのをためらっているかのように口を二、三度開け閉めしていた。そして、意を決したように表情をさらに引き締めたかと思えば、少し前のめりになって私の目をじっと覗き込んできた。
「罪は罪。それは分かっています。ですが、犯すべくして犯す罪もある、ということを理解していただきたい。それを元老院の方々にお伝えいただけませんか? その上で、彼が犯した罪は全てこの私絡みのもの。罰の一部はこの私に与え、菊一の減刑を」
「煌橘様? 煌橘様!」
廊下から誰かを探しているような声が聞こえてくる。一人じゃない、二人、三人、四人と、段々増えてきた。
さすがの橘さんも無視できなくなって、とうとう重い腰をあげた。
「少しお待ちいただけますか?」
「あい」
橘さんが襖をほんの少し開けると、丁度誰かがそこを通りかかった。すると、「良かったぁ、見つけたぁ」と、若干情けない声が聞こえてくる。
てっきり“こうき”って人を皆で探していたのかと思っていたのに、どうやら探し人は目の前にいる橘さんだったらしい。
随分と探していたみたいだったけど、それならそうと早く出ていってあげればよかったのに。
「一体何事ですか? 騒々しい」
「実は……」
「外で聞きましょう」
橘さんが開けた襖の向こうをちょっと覗いてみると、声の主はまだ若かかった。着ているのが制服だから、たぶん、私と変わらないくらいか、中学生くらい。でも、顔つきはだいぶ大人びて見える。
その人が橘さんに何やら耳元で囁いたかと思えば、橘さんが僅かに眉を顰めたのが横顔からでも分かった。そして、そのままその人とどこかへ行ってしまった。
部屋に残されたのは、コクコクと船を漕いでいる櫻宮様と私の二人っきり。
なんだかよく分からないことに巻き込まれちゃったなぁ。
敷いていた座布団を枕代わりに櫻宮様を寝かせながら、そんなことを考えていた。