奥底に眠る記憶の残骸―6
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「あやめ、だいじょうぶ?」
「なんも心配あらへんよ。ついててくれるんやもんな」
「もっちろん! わたしにまっかせなさい!」
夏生さんにとっとと行ってさっさと帰ってこいと言われた私と綾芽。
ただいま例の女の人に会うため、三途の川の畔をてくてく歩いて向かっている途中です。
でもさぁ、夏生さんてば、いくら夢を使って行くとはいえ、いきなり手刀はないと思うんだ。これだったら寝たんじゃなくって、気絶した、だ。それに綾芽と一緒に来れなかったらどうするつもりだったんだ。ただただ痛いだけなんて酷すぎる。
ブンブンと繋いだ手を大きく振りながら綾芽に訴えると、口に手をかざしてひそひそ話をするように身体をかがめてきた。
「地獄の鬼さんより怖いし酷いんやでぇ? 知らんかったん?」
「えっ! おにじゃなかったの!?」
わざとらしく驚いて見せると、綾芽も真面目顔でコクリと頷いた。しばらくその余韻を楽しんだ後、同時にぷぷっと吹き出し、終いには地獄だというのに辺りに笑い声を響かせてしまった。
今日はあの冥府の役人のお兄さんもいないみたいだけど、いればきっとジロリと睨まれたに違いない。
それからもう少し川に沿って歩き続けること、時間にして十数分。
……見つけた。
三途の川の畔で、あの女の人が顔を覆ってまだ泣いている。周りには誰もいない。
綾芽の手を引っ張って駆け寄ろうとすると、逆に引っ張られた。
……綾芽?
振り返ると、綾芽はその場に難しい顔をして立ち尽くしていた。
「あやめ」
手をくいくいっと引くと、綾芽はようやく自分の足が止まっていたことに気づいたみたいで、苦笑いを浮かべた後に再び足を前に進め出した。
女の人のすぐ近くに来ると、また顔を覆って泣いている女の人を上から綾芽が見下ろしている。私もまずは成り行きを見守ろうと、綾芽の手を掴んだまま横に立っていることにした。
「……何でこんな所で泣いてはりますの?」
「愛していたの、私の大事な息子を。でも、奪われたの」
「奪われるようなことしはったんちゃいますの? 例えば、道連れに殺しかけた、とか」
「えっ!?」
それは聞いてない!
ギョッと目を見張り綾芽の方を見上げると、ポンっと頭の上に綾芽の手の平が降ってきた。
「違うの。違うのよ。あぁしないと、一緒にいられなかったの。仕方なかったのよ」
「……仕方なしに首絞めるんはかなわんわぁ」
そりゃあそうだ。一歩間違っていれば綾芽は今ここにいられなかったっていうことだもの。
そう考えると、この人だけが可哀想とは言ってられない。いくら私が女の人の涙には弱くっても、それが無差別にというわけではもちろんない。
この場で確信を持って言えること。一番の被害者がまだ幼かった頃の綾芽自身だってこと。
でも、私にはその確かなこと一つだけでも十分だった。
「おねぇさん、つれてきたよ。あなたがさがしていたひと」
「え?」
「ほら、いいたいこと、あったんでしょ? いえばいいよ」
女の人がやっとこちらを振り向いた。
私と綾芽を交互に見て、首を緩々と振る。
「違うわ。あの子は貴女くらいの背だもの。あの子はどこ?」
「ここにいるよ。ね、あやめ」
「あや、め?」
名前に反応した女の人は綾芽の方へ黒い眼窩を向けた。
綾芽へゆっくりと手を伸ばし、次の瞬間、女の人が綾芽に飛びかかった。
「なんで! どうして貴方がここにいるの!?」
「あやめにらんぼうしないで!」
私が叫ぶと、女の人の手が綾芽の首からはじかれた。
綾芽と女の人の間に身体を割り込ませ、女の人を睨み上げた。
「酷い。騙したのね。あの子だと偽って連れてくるなんて」
「なにいってるの?」
「あの子は、綾芽はどこ?」
「だから、ここにいるじゃない」
私が綾芽を指さすと、女の人は両腕で自分の身体をかき抱いた。
どうしても信じたくないらしいけど、これって綾芽を誰かと間違えてる? 綾芽にそっくりな人?
「そんなに自分、あの人らに似てるやろか。この国の頂に座する至上の君らに」
「あの子を、あの子を返して!」
女の人の黒い眼窩から涙がぽたりぽたりと止めどなく流れ落ちていく。
……さすがに分かった気がする。女の人が誰と綾芽を間違えてるのか。
子供を見間違えるとするなら、その一番考えられる答えに両親が上げられるだろう。
そして、綾芽の場合は……。
女の人に絞められかけた首をさすっていた綾芽が私の肩に手を置いて自分の後ろに引き寄せた。
「安心してえぇですよ。あの子ぉは死にました」
「……え?」
女の人が呆けたような声を出した。
私も綾芽の発言の意図が分からず、綾芽の方をジッと見上げた。
「探しとる子ぉはもうこの世に存在しません。貴女と彼の人の息子は死んだんですわ。どこを探しても無駄です」
「嘘、嘘よ。だって、私、ずっとここで待ってて」
「ずっと下向いて泣いとったお人が、この川を渡る人全てを見れとるわけないと思いますけどなぁ」
「……そんな」
綾芽の言葉に、女の人は膝から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。
綾芽は最初から自分が女の人の息子ですと名乗りを上げるつもりなど毛頭なかったかのように自分の存在を殺しにかかってる。
何か考えがあってのことだとそれを私が邪魔しちゃ悪いから黙ってるけど、どういうつもりなんだろう?
「やから、自分もさっさと川を渡ってあちら側へ行った方がいいと違います?」
「……」
「心残りは向こう側や。早う行かへんとまた取られてしまうかもしれへんけど、えぇんです?」
「駄目! 駄目よ! あの子は、綾芽はただ一人の私の可愛い息子! 愛してるのはあの子だけ!」
「……なら、もう行かはった方がえぇ」
「……綾芽。あぁ、綾芽。待っててね、すぐママも行くから」
女の人は急いで立ち上がると、私達の方を振り返ることなく橋の方へ走って行ってしまった。
「……あやめ、これでいいの?」
「えぇんよ。いつまでも畔に居座られたらあちらさんも迷惑やろうし」
綾芽の視線の先を追うと、狩衣姿の例の冥府のお役人さんが立っていた。私達が気づいたことに気づいたのか、すっと踵を返してどこかに立ち去ってしまった。
それでもさぁ。なにも死んだことにしなくっても。
なんだか、うまく言えないけど、今の綾芽は女の人から、小さい頃の綾芽は他ならぬ綾芽自身から、どちらも存在を否定されたようで歯がゆい。
……まぁ、女の人も自分から向こうに行ってくれたんだから結果オーライ、なのかな?
うぅーん。
「……驚かへんの?」
「なにが?」
綾芽が首を傾げたので、つられて私も同じように返した。
「自分が陛下と腹違いの兄弟やって知って」
「うーん。まぁ、びっくりだけど……よくよくおもいかえせば、わらったとことかにてるなぁって」
「ほんま?」
「うん。あ、はやくかえらなきゃ! なつきさんにおそいっておこられる! それに」
それに、ここにはまだ、あの人が。
「なんじゃ? もう帰ってしまうのかえ?」
身体に絡みつくような粘り気のある声が背後から聞こえてきた。