奥底に眠る記憶の残骸―2
綾芽の様子がおかしいと街中でも噂になり始めたのは五日と日をあけない頃だった。
夜、行き先を誰にも告げず、フラフラとどこかへ出かけては血やら水やらを浴びて帰ってくる。普段は全くその片鱗を見せないけれど、やる時はやる人なせいで誰も後をつけることができていない。隠密として鍛えられた劉さんや皆を率いる同じ立場にいる海斗さんでさえも。
そして今日、街の人達から夜の都に繰り出す綾芽を見たという声が夏生さん達の耳にも入った。それまでにも増して、私がいるせいで見回りの順番以外で一人で出歩くのを見かけることが少なくなっていたというのはこの時初めて聞かされた。
話があると朝食後に夏生さんに言われ、そのまま夏生さんの部屋に連れて行かれる綾芽にくっついて部屋に入った。
私がいることに一瞬眉を顰めた夏生さんだったけど、ハァと溜息を一つついて座れと言われただけだったからこの場にいることを許してくれるんだと勝手に解釈。
だって、心配なんだ、私だって。
「……おい。お前、夜中にどこほっつき回ってる?」
「なんです? 藪から棒に。お仕事に決まってますやん」
「バカヤロー。お前が自分から動くわきゃねーだろ」
「信用ないわー。いっつもキリキリ働かされてますー」
「嘘つけ!」
めんどくさそうに夏生さんに言葉を返す綾芽はいつもと同じように振舞っているように見えなくもないけど、やっぱりどこか違う。二人の間に見えない壁が大きくそびえ立っているみたいで、すごく息苦しい。
それは当然夏生さんも承知の上のようで、普段の眉間の皺も二割、三割増しで深くなっている。
「……おい、雅。ちょっと部屋を出てろ。劉!」
「え? でも」
厳しい顔つきのまま夏生さんにそう言われ、そっぽを向いている綾芽の方へ目をやった。いつもだったら耳の痛くなるような話ならすぐに席を立とうとする綾芽だけど、今日は口でこそ反抗してるけど大人しくしている。
ちゃんと座ったままでいるってことは、夏生さんと話をする意思はある、のかな?
夏生さんに呼ばれてすぐに部屋へ来た劉さんに連れられ部屋を出た私に、二人の話の続きを知る術はなかった。
「ねぇ、りゅー。あやめ、どうしたんだろう」
「……だいじょうぶ。しんぱい、ない」
「……ん」
手を繋いでいる劉さんを見上げ、コクリと頷いた。
心配ないと劉さんは言ってくれるけど、どう考えても私を安心させようとしているのが見え見えだ。
だって、綾芽がおかしくなっちゃったのは、やっぱりあの日から。
……私が勝手に他所のお屋敷にお邪魔しちゃったのがいけなかったのかなぁ。それとも、あの女の人のことを探るのを本当は良しとしていなかったとか。それとも……火事で力を使っちゃいそうになったのがバレちゃったとか?
「みやび?」
名を呼ばれ、いつのまにか床ばかり見ていた顔を上げ、廊下の先に立っている人影へ顔を向けた。
旅装束をまだ解いていない子瑛さんが、なにやら小さな小包みを持って立っていた。きょとんとしている子瑛さんは、ついこの間行ってきたばかりの温泉郷のその後の様子見をしてくるよう夏生さんの指示を受け、お屋敷を少しばかり留守にしていた。
私にいつもの元気の良さがないことを察知してか、劉さんと私の間を視線がうろうろとしている。
「おー! 子瑛帰ってたのか! みんな大広間にいるぞ。雅も一緒に行ってこい」
「え? あ、えっと」
たぶん夏生さんの部屋へ行く途中の海斗さんとばったり出会い、海斗さんに子瑛さんとまとめて一緒にグイグイと背中を押された。そしてそのまま劉さんは海斗さんに拉致られていった。
「……あー、おおひろま、いく?」
「……んー」
「わかった」
気乗りしない私を見かね、子瑛さんは私を抱きかかえて大広間とは逆の方へ足を進めだした。
子瑛さんは途中ですれ違ったおじさん達に声をかけ、着ている旅装束のまま玄関の方へ足を進めた。
あ、外に出かけるの?
靴棚から私の靴を取り出し、わざわざ膝をついて履かせてくれる。さすがは劉さんの弟分。甘やかし方がそっくりだ。
「いこ」
「あい」
玄関の棚の上に置きっ放しになっていた私のコートとマフラーを着せてくれたから、私の方はいつでも準備万端だ。
最後に玄関から廊下の奥、見えないけど夏生さんの部屋の方へ振り向いた。
綾芽が元気になれるような何か。持って帰ってきたら喜ぶかなぁ。
私の場合、美味しいものを目の前に出されたら大抵のことは機嫌直しちゃう。だけど、綾芽の私に取っての美味しいものは何だろう?
うーん。あんまり物欲がないから、余計に分からない。
「えっと、いく。あ、ちがう。いってきます」
「あっ! いってきます!」
気をつけてなーとか、行ってらっしゃーいとか聞こえてくるけど、残念ながらその中に綾芽の声はない。
部屋が離れてるんだから聞こえてないだけかもしれないけど、やっぱりなんだか淋しい。
「グスッ」
鼻がツーンとして、思わずすすった鼻。
子瑛さんがキョロキョロと周囲を見渡しながら、ポンポンと頭を優しく叩いて慰めてくれた。