修行は本場の土地で―9
※ 奏 side ※
――医療を司る第六課の館。そのうちの一室にほぼ書類仕事にしか使っていない私の執務室がある。
この課の長であるフェルナンド様の執務室の丁度手前にあるため、その部屋に行く用事がある者は必ず私の部屋の前を通る必要があるわけなのだが、この日ほど自分の部屋の配置を恨めしく思うことはないだろう。
夜の帳もすっかり落ちたし、久々の書類仕事に見切りをつけて一休憩挟もうとコーヒーを自分で取りに行こうとしたのもまずかった一因だ。
「どうしてここに集まるんですか……」
本来ならば会うはずのない時間に、来客用にと置いたテーブルに元老院に六つある各課の長達が一つの課を除いて全員顔を揃えている。
「別に部屋の掃除をしてないからって気にすることはないよ」
「誰もそんなことは気にしてないですから。ていうか、きちんと整理整頓してるでしょう?」
レオン様の言葉に、腰に両手を当てて答えた。
必要な書類がなくなるのはあってはならないことだもの。当然必要かつ重要書類が一か所に集まるこの部屋はあまり使っていなくても整頓しつつ使っているんですが?
「奏、ほとんど使ってないしね」
「フェルナンド様、今はそれ言っちゃダメなヤツです」
「あっ、そうなの? ごめん」
もしこの人の耳が犬のようならば、シュンと臥せったものが見れただろう。そうでないからそれはないけれど。
それにしても、本来彼らは各々の仕事が人間の世で言うブラック企業も真っ青なくらいの量をこなすことを要求されているせいで、顔を合わせるのは会議か緊急時かお茶会かというくらい多忙なはずの存在だ。
最後のお茶会は別に不定期かというとそうでは決してなく、毎日決まった時間、レオン様主催で第五課の空中庭園で行われている。彼に言わせると、お茶が飲めなくなるくらいの仕事ならその仕事の遠因を潰せ、というなんともお茶の時間ありきのスタンスなのだから、今日この時間にここにいるということは、彼のところの副官はスケジュール管理に今日も明日もこの先もずっと追われるだろうに。ご愁傷様。
……ではなく。
私が言いたいのは、どうして皆の集まる場所をフェルナンド様の部屋から私の部屋に変更する必要があったのかということで! 決して私の部屋が汚いとか綺麗とか使ってるとか使ってないとかそういう問題じゃない!
と、正面きって言い出せるほど、私はこの人の性格を知らないわけじゃない。
逆らわずに済める状況なら逆らわずに済む方が無難だ。
つい先ほど、尋問中に彼の機嫌を損ねたために運ばれてきたモノの報告書という名のカルテを見る。そこには精神疾患の中でも最も重い診断がつけられたモノに与えられる印が押されていた。
そっとその報告書を机の上の処理済のラックに入れ、淹れたばかりのコーヒー、ではなく紅茶を持って話の輪に加わった。
「とりあえず、そういうことだから。せっかくやる気を出してるんだから、それに乗ってあげるように」
話はというと、あの子、雅ちゃんに関することだった。
あの子は時々こちらが見ていて眩しくなるくらいの言動を取る。さすがは神と言えるけれど、成長的にはまだまだだ。
けれど、そこがいい。幸いあの子は知らないことを素直に知らないと言えるし、教えてほしいことがあれば教えてほしいと言える。誰かに教えを乞う時には重要なことだ。
今日もお茶会の後、どこかに連れていかれたかと思えば、薬草庫で薬の調合をしていた私のところへ来るなり土下座して自分にも力を使わないで治す方法を教えてほしいと言ってきた。正直、驚いた。
後ろでレオン様がそれを見ていて愉快そうにしてたけど、おおむね彼の希望通りに事が運んだんだろうと思う。いや、これまで彼の望み通りに事が運ばなかったことが両手で数えるほどあるかどうかか。
「まぁ、別に構いませんが。どうせどこかの誰かさん方が報告書も出さずにうちに怪我人病人おかしくなった罪人を送り込んでくるせいで、諸々の確認から入るおかげで私の所まで順番が回ってくるのはだいぶ経ってからになりますから」
「だってよ、カミーユ」
「えーっ」
貴方が尋問してるおかげで精神を病む罪人と、カミーユ……様が送り込んでくる怪我人の数、ほぼいい勝負ですけどねっ!?
手のかけようからすると、貴方の方が質悪いですからね!?
ここにいるメンバーに心の声を隠すなんてこと、本当にはできやしないことは分かっている。
だからこそ当然皆に駄々洩れで、潮様とフェルナンド様はくすりと笑った。
誰にだって、口に出しては言えないけど、心の中では言いたいことたくさんあるだろうに。秘密主義という言葉は彼らにだけ言える言葉だ。羨ましすぎること限りない。
「でも、相変わらず問題の置き替えが上手いですね」
「それほどでも」
レオン様、褒めてません。これ、褒めてませんから。
本来はあの子の寿命をすり減らすようなことを阻止しなければいけないということだったはず。それがいつの間にか、牢獄に入ることを回避するようにということになっている。まぁ、確かに寿命を減らすことが牢獄に入ることになる遠因になることはあるかもしれないけれど。それにこのことはまだあの子には伝えられてない。言わなくて済むなら言わないに越したことはない。
レオン様は私が用意した紅茶のカップを取り、匂いを愛で始めた。その口元はじきに弧を描いていく。
そうだろうそうだろう。これはダージリンのF.T.G.F.O.P.。いわゆる最高級品。疲れた時にこっそりと一人で楽しもうと隠し持っていた茶葉。
どうかそこで味わっているか分からないような飲み方をしている戦闘狂の分まで存分に味わってください。
満足したのか、口をつけたカップを置き、レオン様は足を組んだ。
「彼女自身が力を使わずに済むということは、彼女の寿命がいたずらに減ることを防げる。人の世に介入して捕縛もしくは消滅なんて重大事件を防げるんだから一石二鳥だろう?」
「そんなことを言って。あの子が神籍についているから他より甘いのでしょう?」
「そういう君も初心者向けの薬草の本を用意してるじゃない」
「これは……あんな風にお願いされたら誰だってできる限り親身になってやりたいと思うじゃないですか」
「確かに。私も自ら率先してやろうとするその姿勢は好ましい」
ここでようやく一人沈黙を貫いていたセレイル様が口を開いた。
「ですが、結局のところ、薬草で治療するのもダメとかにはならないですよね?」
先程まで浮かべていた笑みを消し、心配そうに眉を下ろす潮様が隣に座るセレイル様の方を見た。セレイル様は紅茶を一口飲み、首を横に振った。
「基本的に神も己の神威を発揮することにはなんら問題ない。我らの能力と同じことだ。だが、こと生死に関わる神には一定の制約がかかる。必ず運命通りの寿命を遂げさせること。その間については基本不問にしてある。故にそれも不問だ」
「そうですか。良かった」
手を胸にあて、ホッとなでおろす潮様を見ていると、本当にこの最狂、最恐、最凶と呼ばれるカミーユ……様、セレイル様、レオン様と何故同期に長になったのかと不思議でならない。
潮様とフェルナンド様、そして今はこの場にいない第一課の昴様のおかげで当代の元老院はある意味バランスが取れていると何とも不名誉な評価を持たれているのだからなおさらだ。
「あの子が力を使うことをよく思っていない彼らもこれで多少は安心できるだろうね」
「そうですね」
……あぁ、そうだ。
「そもそもの話、何故あそこへ送ったんです? 学園へ入れても良かったのでは?」
学園というのは人外の子弟がほぼ全員入る場で、その中から元老院のメンバーも繰り上げ式で選ばれていたりする。ここへ入学しない者はよほどの事情がある者だけだ。
雅ちゃんの場合、十六とはいえ、まだまだ人外としては生まれたばかりの赤子も同然。入っていても損はないどころか、本来知っておくべき人外としての知識を得られるために入るべきなのだろうけど。
「それも考えたんだけど。……勘、かな?」
「へぇー」
レオン様はどういう意味なのか分からない相槌を潮様に返した。
しかし、レオン様の中ではもうとっくにこの話題は過去のものとなりつつあった。
その証拠に、紅茶をもう一杯注ぎ始めていた。そしてそれが終わった時、言われるだろう言葉も大体想像できている。
「それよりも、奏。ここにも紫苑から差し入れられたそうだね。ないの?」
「う。……持ってきます」
「早くね」
そら来た。せっかく取っていた紅茶の茶葉とお菓子。
これで何度目か分からないほど奪われてきたそれらを、他でもない自分の足で今日もまた厨房に取りに向かうことになるのだ。
※ 奏 side end ※