修行は本場の土地で―7
少し歩くと、都槻さんが他とは少し違う造りの扉の前に立った。とても重厚そうな両開きの扉で、都槻さんが両手でもって少しずつ扉を開いていく。
中を覗くと、不思議な台を部屋の真ん中に、その周りに少し離れて椅子が円を描くように置かれていた。
先に中に入った都槻さんがそのうちの一つの椅子を持ってその台へ近づいた。そしてそのままその椅子を置き、私に手招きしてくる。
タタタッと駆け寄ると、足の長いその椅子に乗せてもらえた。
「さぁ、水鏡を覗き込んで。映像が始まるから」
「これ?」
「そう。ほら、時間は限られているんだから」
「わわっ」
都槻さんが答える前にいつの間にか後ろに来ていたレオン様に頭を押された。
水鏡というだけあって、薄い膜みたいに水が張っている台の中身。もう少しで顔をつける所だったけど、レオン様もレオン様で一応加減はしてくれたらしい。おかげで顔が水浸しになることは避けられた。
「……このしずんでるやつ、さっきのほん?」
「黙って」
「あい」
ちょっと思ったことを口にしただけなのに、すかさず千早様から叱責の声が飛んでくる。
これ以上余計なことを言うと、あの地味に痛いハリセンが飛んでくるからやめておこう。これで本当に脳細胞が死滅したとしても、千早様はそれはそれでバカが本当にバカになったとしか思ってくれないだろうし。
しばらく大人しくただ待っていると、水面がぼやけてきた。水面が揺れるのとはまた違ったその感じ。
徐々に映像を成した時にしっかりと目に入ったのは、一人の赤い長髪の男の人だった。
「朱熹様。人間の世事に介入したとして、捕縛の命が翁より出ております。第五課の長として今だ矜持をお持ちであるならば、抵抗なくご同行を」
男の人の周囲を剣や槍を持った人達が大勢で取り囲んでいる。
朱熹様と呼ばれた男の人が、取り囲んでいる人の中でも一番偉いのだろう壮年の男の人に艶然と微笑みかけた。
「矜持を持つべきものが違う。私は第五課の長としてではなく、私個人の能力に矜持を持っている。役職はこの元老院の実力主義の風潮がもたらしただけの副産物に過ぎない」
「……あくまでも、同行する意思はない、と」
「愚問」
壮年の男の人は一度目を閉じた。そして、その次に目を開けた時、先ほどまで目の中にあった迷いや戸惑いといった感情は全て掻き消えていた。
ただ己の上官から任された任務を遂行するだけ。良く言えば忠義を尽くし、少し悪く言えば愚直なまでにそれを遂行した。しようとした。
「愚かな」
朱熹様がそう一言こぼすと、捕縛しようと迫る男の人達の身体を幾筋もの風が襲いかかった。
あ、危ないっ!
これから訪れるだろう惨状にギュッと目を瞑った。そして、その判断は正しかった。
悲鳴が僅かに上がる中、次に目を開けた時には、先ほどまであんなにたくさんいた男の人達が一人残らずどこかへいっていた。いや、私でも分かる。欠片も残さず切り刻まれてしまったんだ。
一面に飛び散る血の跡の上に立つ朱熹様。
その姿はあんなことをしでかした張本人だというのに、どこか寂しそうだ。
「お見事ですね」
それは皮肉なのか純粋な感嘆なのか。また別の人物が現れた。
今も童が……んんっ、若く見える顔だけど、それよりもさらに若く見えるレオン様だ。
ちなみに言い直すというか、思い直す前にスッと冷たい手が首筋を撫でた。その次の段階に移られなかったことは実に良かったと言うべきだろう。
「僕に仕事を押し付けるなんて酷い人だ」
「副官としての職務が長としての職務に変わるだけだ。お前の本質は変わらないだろう」
「貴方も。貴方の本質は変わらなかった」
そっか。今はレオン様が第五課の長だから、これはその前の出来事なのか。レオン様が今の副官さん達の位にあった時。そりゃあ生まれた時からその地位にいたわけじゃないっていうのは理解できるけど、あんまり想像ができない。
二人は足元を気にした様子もなく話を続けていく。
「そんなに気に入りましたか? 件の人間を」
「あぁ、まぁな」
「ですが、それ故に己の力を使い、本来帝位につくべきではない人間を帝位につけ、結果一国に混沌を招いた。この罪は重い、との翁のお言葉です」
「……己の力を己の思うがままに扱うことの何が悪い?」
「悪い悪くないで言えば悪いかもしれません。貴方も知らないわけではないでしょう?」
レオン様にそう問われて、思い当たる節があるのか朱熹様は僅かに顔をしかめた。
「稀に不死と謳われる存在にも死が訪れる。それは自らの力を天の意に背いて使った場合。……どうやら今回がそれに当たるようです」
「……」
レオン様の言葉が合図になったかのように朱熹様の身体が足元からサァッと灰になっていく。
けれど、覚悟していたのか、朱熹様は決して狼狽えたりしなかった。それどころか冷えた瞳をレオン様に向けている。
「レオン。お前もいずれ私のようになる」
レオン様は婉曲に死の予告をされたにも関わらず、余裕綽々としている。自分はそうならないと、言葉はいらず態度で物語っていた。
「己が力を使うことの何が悪いのか」
全てが灰となって消える寸前、朱熹様は誰にともなく問いかける形で言葉を残した。
「使うことが悪いんじゃなく、使った相手が悪いんだよ。捻じ曲げてしまったものを戻すのはいくら神といえど骨が折れるんだから」
レオン様はしばらくその場に立ち、彼の間で何かしらの区切りがついたのか、振り返ることなくその場を去った。
そして、始まった時と同じようにだんだん背景がだんだんぼやけてきて、終いにはただの水鏡に戻ってしまった。
……なんだかなぁ。
なんとも言えない気持ちが胸やお腹をぐるぐると回っている感じがする。
難しいことはまったくだけど、これを見るに誰も幸せになってないのは確かだ。朱熹様も、目をかけた人に幸せになって欲しかっただけだと思う。だって、本当に自分の力を使いたいだけだったら、介入したと言われなくて済むよう人外さんに使っちゃえばいいだけだもの。
レオン様が何を考えていたのかはいまいち分からない。でも、いつものレオン様だったら、あそこで立ち止まってたりしない、と思う。さっさと歩いていっちゃうよ。いや、まだ数日そこらしか経ってない関係だけど。
「さぁ、次いくよ」
「えっ、えっ」
「時間ないんだから」
ここはもうちょっと感傷に浸るところじゃないの!?
ちょ、早いっ。
レオン様が水鏡の中に手を入れ、沈んでいた本を取り出すと、もう一冊の方と取りかえた。すると、すぐに映像が同じようにぼやけて始まってしまった。
おかげで息つく暇もなく、私は再び顔を水鏡に向けた。
今度は燃え盛る炎の中だった。そこへ一人の人影が写った。
あっ。あれ、奏様だ。
いつもは緩く結わえているか下ろされている長い黒髪が高い位置で結わえられ、風になびいている。
厳しい顔で何かを、誰かを探しているのかしきりに周囲を見回している。
「伊澄様!」
目当ての人物を見つけた奏様は畳の上に倒れこむ女の人の傍に駆け寄った。
「……星鈴様。あぁ、良かった。この子を、この子をお願いします」
「はい。こちらへ。さぁ、立って。ここから脱出しましょう。今、門を開けますから」
自分の腕の中で必死に囲い込んでいた少女を預けた女の人は僅かに微笑み、首を左右に振った。それに対して奏様は眉を顰めた。
「私はここに残ります。焼け跡から私の死体が見つからなければ怪しまれるでしょう」
「死体などっ! 私がいくらでも調達します!」
「いいえ。これはきっと天命なのです」
そう言って女の人は胸に手を当てる。
「私の力はその子を産んでから徐々に衰えていった。にも拘らず、私は自分の力を、治癒の力を使うことを止めなかった。人である身で、それは驕りだったのでしょう。自分の力が誰かを救えると」
「……確かに驕りかもしれません。しかし、残されるこの子は、私の主は、どういう気持ちになるかお分かりか」
「……」
女の人はそこで奏様の腕の中で眠る少女の顔にかかった一房の髪をはらいよけた。その顔は慈愛のものだ。
私も知ってる。お母さんが、心配そうにしつつ私に向けてくれるもの。
母の顔だ。
「この子さえ、無事でいてくれるなら」
「……それこそ傲慢だ」
奏様の声音がより硬く厳しいものに変わる。
「ごめんなさい」
女の人は目を伏せ、頭を下げた。
今までは比較的火の回りが遅かったこの辺りにもパチパチと火の粉が爆ぜる音がしてきた。時間はもうない。
「……澪。愛しているわ」
奏様が片手に少女を抱き直し、もう片方の手を伸ばす。
あの赤い大きな門が現れた。ギギギッと開いていく音が響く。
「……」
最後に一瞥を向けた奏様はそのまま身を翻し、門をくぐった。
門が閉まる最後の瞬間、ガラガラと何かが崩れていく音がした。
「遺す者は遺される者の感情も考えるべきだ」
どんな夢を見ているのか、少女が流す涙を奏様が拭った所で映像は終わった。