湯けむり道中は珍道中―10
それからしばらくみんなでおしゃべりしていると、廊下の方から誰かの大きな話声が複数聞こえてきた。
「ちょちょちょちょ、待ちなって」
「夏生さん達の部屋ってどこだったっけかなぁ~?」
「やけに着くの早くねぇか? 瑠衣さんってばよ~」
なんですとっ!?
瑠衣さんがもう着いたの!?
まずいっ!
おじさん達、もうちょっと瑠衣さんを引き留めてー!!
そんな私の思いもむなしく、部屋の襖をスパンと開けて部屋の入口で仁王立ちする瑠衣さん。
黒木さんに駆け寄って、立たせようと手を握ったところでバッチリ見られてしまった。
……あぁ、おわったね、これは。
「……なんでここに黒木がいるの?」
「なんでって、雅ちゃんに誘ってもらえたからですよ」
黒木さん、しーっ!! それは言っちゃダメなやつ!
瑠衣さんが私の方にチラリと視線を向けてきたけれど、すぐに黒木さんの方へ目を戻した。
そのすぐ後ろには、ごめんねポーズをとるおじさん達。
んーん。おじさん達は悪くないから。
むしろ心の準備の時間くらいはあったよ、ありがとう。
僅かに首を振って見せると、瑠衣さんをチラ見しておじさん達はそそくさと自分達の割り当てられた部屋に戻って行った。
「ここに来る暇があるなら、例の彼女さんのところへ行ってあげたらどう? 滅多に休みをとってないんだから、そのうち捨てられるわよ?」
「ヤキモチですか?」
黒木さんのなんだか嬉し気な笑みに、瑠衣さんの眉が吊り上がった。
……あ、部屋の温度が若干下がった、かも。
「瑠衣さん、とりあえず中に入ってください。そこにいつまでも立っていられては、せっかく部屋の中が温かいのに室温が下がってしまいます」
ううん、巳鶴さん。
きっとそれだけじゃないと思うんだよ。
もっとほら、オーラというか雰囲気というか。
「……ごめんなさい」
それでも巳鶴さんの言うことに瑠衣さんは反論せず素直に従い、部屋の中に入って襖を閉めた。
けれど、こちらに来て座りはせず、襖に一番近い畳の上で腕を組み、重心を片足にかけて立っている。
「……ふぅ。私が? ヤキモチ? なんで私が貴方と見ず知らずの女のためにヤキモチ妬かないといけないのよ。それに、私、最近一目惚れしたから」
「えっ!?」
うそ!
だって、瑠衣さんは黒木さんが……ウヒィッ!
黒木さんの方を向くと、さっき女の人の話をしていた時よりもさらに何かがにじみ出た黒木さんの笑顔が瑠衣さんに向けられていた。
「……どこの誰です?」
うん、間違いない。確実に室温下がったね!
正確に言えば、黒木さんを中心にして絶賛急下降中だ。
黒木さんの隣に座った海斗さんが、こっそりと机のお誕生日席に座る夏生さんの方へにじり寄っていった。
「なんで貴方に教えなきゃいけないのよ。そんなの、私の勝手でしょ? だから、貴方も好きにすればいいわ。私のことなんか、もうどうでも良くなったみたいだし」
バンッと机が大きな音を立てた。
音の正体は黒木さんの掌だ。
「夏生さん、一室しばらくお借りしても?」
「あぁ。俺達が出てくからここ使え」
「ありがとうございます。……貴女が出ていくことは許しませんよ」
瑠衣さんがいの一番に出て行こうとしたのを、電光石火の早業で黒木さんが捕まえた。
は、早かった。すごかった。
出て行くのを渋る薫くんを海斗さんが襟をひっつかんで引きずって行く。
その後ろを夏生さん、巳鶴さん、それから綾芽に、私を抱っこした劉さん……っとと。
劉さんが急にたたらを踏んだ。
「雅ちゃん、助けて」
瑠衣さんの揺れる目が私の心も揺さぶる。
思わず瑠衣さんの方に手を伸ばした。
「はいはい、自分何しよるん? 邪魔せんと、行くで」
「あー」
手を取ったのは瑠衣さんではなく綾芽だった。
パタンと目前で閉められる襖。
「ふぅー。これでこっちは解決だな」
「まったく。黒木もグダグダとやってるからこんなことになるんだよ。東を出てあいつの所に行ってどれだけ経ったと思ってんだ」
廊下をさらに奥へ皆は歩いていく。
これで計画のけの字もなくなってしまったわけだけど、いいのかなー?
「瑠衣も一番面倒なヤツに引っかかったな」
「ちょっと、いくら夏生さんでも怒るよ?」
「何言うてるん? 東で一番面倒くさい性格してはるの、黒木はんやん」
「巳鶴さんの方がそうでしょ!」
「あのですね。一応本人ここにいますからね? まぁ、多少の自覚はあるのでこれ以上は言いませんが」
「っていうか、今まであんだけ一緒にいて微塵も感じさせなかったっていう黒木さんの忍耐力もすげぇと思う」
「当たり前でしょ! 黒木さんはすごいんだから!!」
「はいはい。自分の黒木はん好きはよぅ分かっとるから、少し落ち着きぃ」
「チビ!!」
「はい!」
「黒木さんはとっても優しくてすごい人なんだからね!」
「あ、あい」
「で、東で一番クセがあるっと」
「海斗! 帰ったら覚えてなよ!?」
「あ、職権乱用なんてせこいことすんなよ!?」
び、びっくりした。
流れ弾が飛んでくるとは思わなかったから完全に油断してた。
クスッと笑い声が耳元に入ってくる。
見ると、劉さんが口元を隠して誤魔化していた。
……とりあえず、瑠衣さんごめんなさい。
黒木さん、頑張って!
部屋の方に手をすりすり合わせて祈っておこう。