湯けむり道中は珍道中―3
奥座敷に戻ってきた私と劉さん。
「たーのもー」
誰か開けて開けてー。
あ、劉さん。外から開けたら意味ないのよ。
これ、そういう掛け声だから。私の中で。
でもまぁ、開けてくれたことには素直にお礼を言って中に入った。
「おぉ。すまんな」
「いえいえー」
あの、ですね。
完璧に一人でできたわけじゃないから、そう申し訳なさそうに言われるとちょっと……良心が痛い。
しかもほら、選んでもらわなきゃいけないし。
「あのね、あついのと、つめたいの、はんぶんずつもってきました。だいじょーぶですか?」
「あぁ、問題ない。足りなければまた持ってくればいいだけだ」
「でも、かおるおにーちゃまにじゃましないっていわれちゃった」
「雅。これは邪魔なんかではない。大切なお手伝いだ。そうだろう?」
帝様が皆に尋ねると、一様に頷き返している。
そうか。そうだよね。お手伝いだもんね。
さっきのはつまみ食いまでしちゃったからだ。
「そうだ。雅、お前は温泉は好きか?」
「おんせん?」
「あぁ。今度、一段落ついた褒美に各隊に湯治に行かせようと思うのだが」
「おんせんかぁ~。じつはそんなにいったことないんです。だから、あんまりわかんない」
「は?」
「え?」
正直、家族で旅行も行ったことがないんだよ。
だって、ほら。家業が神職だし。
他にも権禰宜さん達や巫女さん達がたくさん奉仕してくれているとはいえ、元は柳家だけで祀っていた守り神様だ。
とっても信心深いひいおばあちゃんが一日留守にしていけるわけがない。
……でも、さすがにテレビとかで見てるから!
行ったことないだけで、どんなところかくらいは知ってるから!
だからそんな信じられないものを見るような目はやめて!!
「チビ。お前も意外と厳しい環境で育てられてたんだな」
「かいと、いがいとってなに? どういうこと?」
「いや、なんでもねぇよ」
なんでもなくはないだろうよ。
だって、その証拠に頬がピクピクしてますやん。
でも、ま、帝様がせっかく前に言ってた湯治旅行を本格的に行かせてくれるっていうなら、色々と準備がいりますね。
ガイドブックでしょ、着替えとかが入るようなリュックでしょ?
あぁ大変。あぁ忙しい忙しい。……お買い物行かなきゃ!
「それなら、一番いい湯治先を紹介してやろうな」
「ん? みかどさまはいかない?」
「あぁ。私は今回は留守番だ。慰労が目的なのに、私が行ったのでは逆に疲れるだろう?」
「そっかぁ」
そうなると橘さんも居残り組なんだ。
二人が離れるってことはないだろうし、ましてや片や旅行だなんて。
逆はあっても、橘さんが固辞しそう。
「おみやげ、いーっぱいかってきます!」
「うむ。楽しみにしているからな」
「はい!」
「今回は瑠衣さんもお呼びしてありますから、ゆっくりと同性同士楽しまれてはいかがです?」
「るいおねーちゃまもくるの!? やったぁ!!」
なになに!? とっても楽しみなんですけどっ!
すでに気分は修学旅行の前の日並みなんですけれどもっ!!
出発はいつ? 明日? 明後日?
もーたまらん!!
「失礼します」
あ、この声は。
奥座敷の外廊下から声がかかった。
久しぶりに聞くその声に、とあることを思い出してしまった。
そーっと綾芽の膝から腰を上げ、素早く後ろに回り込んだ。
誰もいません。ここには誰もいませんよぅ。
開かれた襖の向こうに、身綺麗に和服を着こなしている巳鶴さんが正座で控えていた。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「いや、まだ凛達も帰ってきてはおらぬ」
「そのようでございますね」
巳鶴さんは座ったままスッと滑らかな所作で部屋の中に入ってくる。
大丈夫。私は空気、私はくう……あっ! 私、姿消せるじゃん!
そう気づいて実力行使に出ようとした最中
「雅さん? 何をしようとしているのですか?」
……なぜバレたし。
笑みを浮かべた巳鶴さんはこちらに向かって手招きしてきた。
その姿は何もやましいことがない者にとっては別になんの問題もなくホイホイと近づいていけるだろう優しい好青年のモノだ。
……やましいことがない者にとっては。
大事なコトだから二度言ってみた。
「大丈夫ですよ。怒っていませんから」
う、ウソだねっ!
笑顔でいる人が怒っていないって自分から言う人は大抵怒ってるの隠してる人だもんね!
「私との約束を破って日記をつけていないだろうことは怒っていません」
怒ってるじゃんかぁ!
そしてちゃんと見透かしてるしっ!!
「君、約束はちゃんと守らなあかんやん」
「うっ。……だって」
「自分が悪いことしたな思た時はどないしたらえぇん?」
「……みちゅるさん、ごめんなさい」
「えぇ、構いませんとも。こちらへおいでなさい」
「あい」
綾芽の背中から巳鶴さんの前へ。
膝の上を指され、大人しく膝の上へ座った。
「大丈夫」
ゴソゴソと巳鶴さんが胸元を探ったかと思えば、すぐに私の目の前に差し出されたもの。
それは見覚えのある日記帳最新版と、ご丁寧にペンまで。
「書いていない分、思い出して書けばいいんですから」
「……あ」
「頑張って余さず書ききりましょうね?」
巳鶴さんが関わった仕事での報告書をおじさん達が憂鬱そうに取りまとめているのを、今、このタイミングで思い出してしまった。
そしてこの時、私が浮かべた表情を海斗さんは後の宴会でこう語る。
「悪さしたちっこい小動物が飼い主に首根っこ掴まれた時みたいな顔してたぜ」
海斗さんには言いたいことがいっぱいある。
でも、とりあえずは……私は人間であるということをここに主張する!