起こしてはならぬモノ―8
部屋の隅で体育座りを始めたのが小一時間前のこと。
目の前の畳の上にはお菓子が入った丸い木箱が置いてある。
お菓子で懐柔しようったってそうはいかない。
オネェさんの時に痛い目見たばっかりだ。
……そういえば、あの時のアメちゃんファミリーパック! 返してもらってない!!
「いらないの?」
「べー」
「……可愛くない」
い、痛い痛い痛いぃっ!
力の加減をまるっと無視して頬をつねってくるお兄さん。
皇彼方はどこかへ行っちゃったから部屋には私とお兄さんだけ。
必然的に止める人は誰もいない。
「はにゃしぇっ!」
渾身の力で手を払った。
うぅ、痛い。これ、絶対赤くなってるやつ。
うりゅうりゅと頬を両手で挟んで撫でくりまわした。
「ちからのかげんかんがえて!」
「……これ位で泣くの?」
「な、ないてな、い……ズッ」
泣いてない。
こんなことで泣くもんか。
私を誰だと思ってる。
都の治安を守る東の部隊の一員ぞ?
こんなことで……やっぱり痛いぃ。
「あやめぇー」
額を膝小僧につけ、顔を隠した。
お兄さんが立ち上がる気配がして、その少し後に襖を開け閉めする音がした。
もう戻ってこなければいい。
そして、しばらくすると泣き疲れてゆっくりと微睡みの時間をむかえ、いつの間にか眠りに落ちていた。
ここはどこだろう?
山? それに洞窟みたいな穴がある。
一度も見たことのない景色に辺りをよくよく見渡した。
近くを人が通ったけれど、小さいからかそれとも姿が見えないようになっているのか、誰も気がつかない。
「鉄之助っ!」
聞き覚えのある声が穴の中から聞こえてきた。
この声は……お兄さんだ。
穴の入り口に駆け寄って、中をそおっと覗いてみる。
そこにはお兄さんが地面に座り、横になっている誰かを抱き抱えている姿があった。
「……何が人のためだ、国のためだ。お前達は結局自分達の都合の良いように生きたいだけじゃないかっ!」
「あっ!」
お兄さんが素早く懐から取り出した鈍く光る短刀の刃が、お兄さんの胸を突いた。
「……奏おね、ちゃ。うそ……つ……」
お兄さんの体が前に崩れ落ちた。
分かった。
これはお兄さんの過去だ。
お兄さんが命を落とした時の。
すると、やはりというか、もう一人と折り重なるようにして地面に横たわっているお兄さんの背後に皇彼方が現れた。
「久しぶりだね、栄太。早速だけど、僕とおいでよ。奏にもう一度会いたいだろう? まぁ、行かないと言っても連れて行くけどね。……彼は……ふぅん。あの男の小姓か。でもま、奏がいた頃にはいなかったからね。やっぱり君だけでいいよ」
そう言って、皇彼方はお兄さんの体を担ぎあげた。
「だめ!」
穴の入り口から出ようとする皇彼方を通せんぼして通さないようにした。
絶対、絶対にここを通しちゃいけない。
でも、皇彼方はなんなくその横をすり抜けていった。
横を、すり抜けていった。
フッと軽く笑う声が上から聞こえた。
気づいている。
気づいてるんだ、この男!
「まって!」
去っていこうとする皇彼方の背に叫んだ。
「ダメだよ。歴史を変えちゃ。君とはまだ初めましてと言ってはいけないんだから」
「おーぼーだっ!」
「どうして?」
「だって、じぶんだってかえようとしてるじゃない!」
「僕が?」
「だって、もしあなたがいま、ここにいるのなら、そんなこといえるはずないんだから!」
この時を生きているのであれば、お兄さんの過去で出会った皇彼方からそんなセリフがでてくるはずがない。
そして、初めましてと言われたあの時、本当はそうでないことをこの人自身は分かっていたとしてもこの人は初めましてと言うだろう。
ということは、少なくとも一度は未来で私と出会ったことを知り、過去に戻って今ここにいる。
私自身どうしてこんなことができたのか分からないけれど、きっとこれも神様の力なのかもしれない。
でも、だったらこの人は何者なんだ。
奏様の兄というからには、鬼、なんだろう、けど。
「……フフッ。君は賢いのかそれともそれを突き抜けて愚かなのか分からないね。でも、ここで君が止めること自体が歴史を変えることになるとは考えない?」
「それは……」
「それに、ただ彼岸に向かうだけの人間を、奏がいつまでも追うとは限らない。だから、これはいわば人助けなんだよ。彼には感謝されてしかるべきなくらいだ」
「かなでさまがそんなことのぞんでなかったとしても!?」
「君は分かってないね。彼はそれでもあの子に会いたかったんだよ。たとえ、あの子に恨まれようと、ね。まぁ、自己中心的な考えと言われればそれまでなんだけど。人間らしくていいだろう?」
「……それであなたはまんぞく?」
「あぁ、もちろん。結果的に奏が約束を忘れずにいてくれるなら」
……この人をこうまで突き動かすその約束。
この人と奏様が会った時の奏様の様子を見る限り良いものではないことぐらい分かる。
けど、一度、ちゃんと聞いてみないといけないかもしれない。
この人が周りの人を巻き込んでまで果たすつもりなら。