二十六話 人知を超えた作戦
クレイは両手を前に突き出し【結界障壁】を展開したまま、立ち尽くしていた。
辺り一面、燃え盛る炎。味方の兵士たちはおそらく全てこの炎に呑まれただろう。
凶牛魔獣から爆炎が放たれることをいち早く予想し、とっさに【結界障壁】を貼ったのはいいが、それでもクレイは疑問だった。
────なぜ【結界障壁】でこれほどの爆炎を防げているのか。
この障壁は、魔法に目覚めた時と比べ、クレイの成長と共に耐久度も上がってきてはいるが、それでも脆い。
弓矢を打たれれば穴は空くし、大剣の一撃で粉々にされる。自身の力で踏みつけただけで割れてしまう。
勿論熱にも決して強くはない。これほどの炎が直撃したのならば防御機能などろくに活かせず溶けて消えてしまう、はずだった。火事場の馬鹿力で急に能力が覚醒したのか? そんなことも考えたがわからないものは結局わからない。
「クレイ……」
自分を呼ぶ声にハッとした。後ろを振り向くと緑髪の少女が泣きそうな顔をして立っている。
「リール! 無事だったか!」
そう言って自分の周囲を確認した。自分たちの周囲数メートルのみ炎は無い。なぜか普段以上の効果を発揮した【結界障壁】で防いだからだろう。そしてそのすぐ後ろにいたリールもクレイ同様無事だったようだ。
「うん、でも、これ……」
リールが声を震わせながら口を開く。周りの惨状を言っているのだろう。クレイも何も言えずについ目を逸らしてしまう。
先程まで共に行動をしていた多くの兵士達の多くが、恐らく既に死んでおり、今尚犠牲者は増え続けている。
そんな状況ではあるが、この状況を襲った事が急すぎた事、多くの兵士たちが死んでいく様は炎に遮られて直視はできない事情により、クレイは比較的冷静だった。仮に多くの仲間たちが目の前で惨殺されたのであれば、まともな精神であれば壊れてしまっていただろう。
(状況は最悪だ。さあどうする? ……考えろ、考えろ!)
そのため、頭は発狂するわけでも強制停止するわけでもなく、状況打破のための手段模索に意識を向ける程度には働いた。
その時、背後から先程凶牛魔獣の爆炎に呑みこまれたはずの、聞き覚えのある声がした。
「フッ なるほどな フッ」
その声を耳に入れ、クレイは目を見開いた。そう、王国最強の一人であるこの男がそう簡単にやられるはずがない。彼が、彼らが生きているのなら、まだなんとかなるかも知れない。
「ヴィルハルト将軍! 無事だったので……」
声をかけつつその方向へ振り向くが、クレイはすぐに声を詰まらせた。
そこにいたのはよく見慣れたヴィルハルトの顔の、肩から下が無い物体だった。地面から肩が生える感じで、地面に接触している部分は白くうにょうにょと動いている。
「フッ ギリギリの所で【全てに融け込む白】を再び発動させることができた。半身を持って行かれてしまったがね。全身回復には時間がかかりそうだ フッ」
耽美な白スライムが、口から輝いた歯を覗かせながら決め顔でなにか言っている。
突如、クレイの右足に何かがまとわりつく。そちらに目をやると完全に腰を抜かしたリールがクレイにしがみついていた。
色々な出来事が一度に重なり、心に限界が来たのだろう。ギリギリ涙を堪えていた目からは、滝のように涙があふれ歯を鳴らしながら救いを求めるようにこちらを見上げている。
「フッ アレをなんとかしたいが、あんなもの正面から渡り合えそうな人間は、ふむ、リガーヴの他にはクラウレッドかザガロス位のものだろう。まあそのリガーヴも無事なはずだ。私は今からアレを追う。リガーヴと合流次第私たちが足止めする。お前達は報告へ戻れ。では行ってくる フッ」
『アレ』とは凶牛魔獣の事を指すのだろう。が、クレイはそんな隠語表現は目の前の白スライムに使いたかった。
そんな想いなどは知るはずもなく、ヴィルハルトはトプンという音とともに地面に溶けていった。
◇◇◇◇◇
開けた丘の上、ヴィルハルトはそこの地面から姿を現した。無論、肩から上だけだが。
「フッ 圧巻だな フッ」
凶牛魔獣の放った爆炎は、見渡す限りの森林を赤く染め、今なお広がっていた。
「フッ これでは、部下たちはほぼ全滅か…… フッ」
口調こそ普段に近い飄々としたものであったが、その声はトーンを落とし、瞳からはさめざめと涙が流れていた。
そんな男泣きをしている白スライムの横に突如、紫色の魔法陣が現れた。
その魔法陣をくぐってくるかのように、薄紫色の長い髪をし、魔術師の恰好をした女性が姿を現す。
「……凄いことになっているわね」
女は惨状を一瞥すると、ヴィルハルトのほうを見て呟いた。
ヴィルハルトもまた女の方へ、ぐにゅりと身体を向け、口を開く。
「フッ ミーネか フッ」
「……状況の詳細は?」
ミーネはヴィルハルトがキモいスライムと化したことなど、気にもしないように尋ねた。
「フッ 地烈悪魔の封印された洞窟に潜入した際、凶牛魔獣と遭遇。その凶牛魔獣の攻撃により部隊はほぼ壊滅。生存者は今の所、新人二人のみ。標的は真っ直ぐ王都の方へ向かっているようだ フッ」
「つまり、最低最悪の状況って事ね」
そう言うミーネに、ヴィルハルトは得意げに髪をかきあげ──その仕草は手ではなくプニプニしたジェル状のものでだったが──反論した。
「フッ そうでもない。何せ我々の上のナンバーである【賢竜】ミーネ将軍に来ていただけたのだからな フッ」
「……貴方、そういう所、拘りある、というかネチっこいのね。あんなものNo.1以外は大差ないじゃない」
「フッ 些細な冗談だ。気を悪くするな フッ」
半眼で白スライムを見下ろし、悪態を尽くミーネに、ヴィルハルトは身体をかなり大振りにプルプル震わせながら笑顔で返す。
「……それで、つまり策はあるって事かしら?」
ミーネはその様子をどうでも良さそうに話を切り替えた。ヴィルハルトは身体の動きを止め、笑顔ながらも真剣な顔に切り替える。
「フッ ミーネ、まずは君に凶牛魔獣の足止めをお願いしたい。リガーヴが生きているなら、ソレに気がつき、追撃をするだろう。あとはそこに私も加わりヤツを仕留める フッ」
「……シンプルね。いいわ、すぐに始めるわよ」
ミーネがそう言うと、大きなカゴか何かを抱えるようなしぐさで両手を前に出す。すると、そこの手の間に紫色の魔法陣が浮かび上がった。魔法陣は時間の経過と共に色濃く、大きくなっていく。魔法陣が肥大化するのに合わせてミーネも手を広げていった。
「……凶牛魔獣に効きそうな位のモノなら、もう10分はかかるわ」
「フッ 10分程度でそれができるなら、やはり流石だな フッ」
ヴィルハルトの他人事のような対応に、魔法の展開にやや疲労を見せながらもミーネは横目で話しかける。
「……その間、貴方が凶牛魔獣の相手してくれたりしないわけ?」
「フッ 巻き込まれるのはごめんだ フッ」
そのシンプルな答えに、ミーネもまたフッと笑った。
「そう、正直ね」




