☆二十一話 絶望の選択、選択肢は一つ
蛇の群れを退けた部隊は夜営にて傷を癒していた。戦闘で負傷した兵士もいるが、その誰もがリールに頼る事はなかった。
夜営の中央、最も安全であるテントの入り口でクレイとオーランは見張りと付き添いをかねて立っている。
その中で寝かされているのは、重傷のブレイバスだった。高熱のガスが全身を焼き、表面の皮はほとんどが爛れている。更には通常サイズのものでも一噛みで人間を死に至らしかねない猛毒、その規格外のサイズのものを食らったその腹部は、毒々しい紫色に変色していた。
リールが【愛の癒し手】を使い続けているため、何とか意識を保っているようだが、このままではどう考えてもブレイバスの今回の戦線復帰は無理だろう。
「ブレイバス……聞こえる?」
リールが魔法でブレイバスを治療しながら話しかける。
「あぁ……なんだ?」
ブレイバスも返事をする。声を出すのもやっとだろう。しかし目は燃えたままだ。
「私の【愛の癒し手】だとこれ以上すぐには癒せない。勿論かけ続ければ癒せるけどこの怪我は、多分一ヶ月はかかる」
まず、『かけ続ければ癒せる』の部分が嘘だった。リールは今までこれほど酷い状態を【愛の癒し手】で治療したことがない。あくまで相手に与える不安を極力排除した言葉選びだった。
そして、仮に治せるとしてもいつまでもここに陣営を待機させるわけにもいかない。この危険な森ではブレイバスを運ぶことも困難なので、部隊を分担し退却するというのも難しい。
もっと言うならばこの任務は『国の命運を背負っている可能性』すらある、極めて重要なものだ。一兵士の生死をそこまで優先することは出来ない。
「……でも、私、すぐに癒す事も出来る」
入口に立っているクレイとオーランも黙って聞いていた。
「ただ、それは使う相手に大きな負担がかかるの……普通の人だったら怪我してるところにそれをすれば、それだけで死んでしまうかもしれない。だから本当は使いたくないし、今までも使わなかったんだけど……」
長年、リールと共に過ごしてきたブレイバスやクレイも初めて聞いたことだった。
相手の身体に負担のかかる力。制御できない魔法は危険物でしかない。使いこなせないならば使いこなせるようになるまで、少なくとも実戦では使わなければいい。それは普通の事だ。
しかし今回はそれを使わなければ後がない。そしてブレイバスの生命力ならば、生き残る可能性は高いと。そういうことだろう。ブレイバスもそれを理解していた。
「……やってくれ」
目に光を宿しながら、すぐに、そしてキッパリと答えた。
しばらくの間沈黙が辺りを包む。そして今度はリールが悲しげに視線を落とし、口を開いた。
「……わかったわ」
すると今度は入り口に顔を向け話し出す。
「クレイとオーランさん、手伝ってほしいの。二人でブレイバスを起こしてあげて。そうしないと、出来ない」
話しかけられた二人は、一度お互いを見合せ、無言で頷き合うとテントの中に入っていった。
リールに言われた通りにブレイバスの肩を持ち、立たせる。立たされるブレイバスの足は震えていた。仮に手を離したなら、なすすべもなく崩れ落ちる状態だろう。
そのブレイバスの前にリールが立ち、深呼吸をする。
しかし、リールもまた震えていた。今から自分のする事が失敗すれば、取り返しのつかないことになるかも知れない。その不安と緊張、責任がリールを硬直させていた。
(どうしてこんな事に……もし失敗したら? こんな事ならもっと練習しておけば……! ブレイバスは私を庇って……! こんな時お父さんなら簡単に癒せるのに! 私、私は……)
クレイとオーランは何も言わなかった。いや、何を言っていいのかが分からない。
そんな様子を見かねて口を開いたのはブレイバスだった。
「なに思い詰めてんだ…… こうなったのは俺が俺で考えてやった結果だ…… お前はお前でしっかり全力でやりな……そうじゃねえと、身体動かねぇぞ……」
ついさっき、蛇に襲われる前にも聞いたものと同じような言い回しの言葉。ブレイバスが、尊敬し信頼する父と重なった言葉。
そして、その時とは逆での言い分で、その時と同じように自分に気遣った言葉。
「……もうっ、わかってるよ……」
リールも先ほどと同じ言葉で返す。先程と同じように、少しだけ心のつっかえがとれ、心が穏やかになる。
「いくよ、死なないでね? ブレイバス」
それでもまだ不安と緊張が残っているのだろう。言葉一つですぐに払拭できるものではない。若干目を潤ませながら、ブレイバスに話しかける。
「誰に言ってやがる……死なねぇよ。……お前も、うまくやれる」
ブレイバスは力を振り絞って笑ってみせ、そう言った。それを見て、リールも少し笑ってみせる。
そして目を閉じ、祈るように手を前で組んだ。【愛の癒し手】の光が、いつも以上に輝きリールの手を包む。
光を放つ手から魔力が迸り、リールの髪が軽く巻き上がる。
正面からリールを見ていたブレイバスの目には、それがとても神秘的に映った。神話で聞いた事がある慈悲の女神のようなイメージを連想する。
リールは完全に覚悟を決めて、目を見開いた。
組んだ手を解き、わきを締め、足を肩幅に開き、右手をやや後ろに引き、腰に捻りを加え、
「【愛の鉄拳】ッ!!」
ドゴォッ!
掛け声と共に、華麗な右ストレートがブレイバスの傷口をえぐる。
それと同時にブレイバスの喉から「ぐべらぁっ!?」という謎の声が絞り出され、ブレイバスはその場に崩れ落ちた。
クレイとオーランは目を丸くして、ブレイバスとリールを交互に見ている。
癒しの光はブレイバスの身体に移り、リールの手にあった時以上の光を放っている。
リールはすぐにしゃがみ込み、泡を吹いているブレイバスの血だらけの胸に耳を当てた。心臓が強く波打つのがリールに伝わる。
「よかったっ! 上手くいったっ!」




