十八話 クレイとリガーヴ
翌日、部隊編成が少し変更された。クレイとブレイバスがリガーヴの小隊に配属されたのだ。正確にいうと、先日ほぼ単独で動いていたリガーヴがオーラン隊に入り、そのまま指揮を奪ったような形である。
進軍中、リガーヴは事あるごとにクレイに話しかけるようになっていた。
「……クレイ、あの木の上の猿はどうだ?」
「怒号大蛮猿……非常に強い力を持って木々を移動しますが、名前に反して普段は決して好戦的ではありません。名の由来は『戦闘を必要に迫られた際の凶悪さ』かららしいですね。しかし無視して進軍しては、相手の気まぐれで後続を襲われては目も当てられません。威嚇して追い払うべきだと思います。肉は固く、臭く、不味いです」
猛獣の性質、危険度、戦闘力はリガーヴも知っていた。いや実戦経験が多い分リガーヴの方が熟知しているだろう。そのためリガーヴが気にしている部分は最後の『食用に足るか否か』。もっと言うならば『美味いか否か』の一点である。
クレイもそこは理解していた。しかし、流石にそれだけを答えると将軍としての威厳を損なうのではないか? と考え、猛獣が与える進軍への影響を口頭に加えることで『軍師的な立ち位置で受け答えしている』もしくは『将軍が解っていることをあえて新人に質問して見せ、新人の理解力を測っている』ともとれるように回答していた。
「……そうか。弓隊、威嚇射撃しろ!」
後続の兵士数名が怒号大蛮猿に当てないよう、近くに矢を射る。すると怒号大蛮猿は自然と部隊から離れて行った。
「……クレイ、あの寝ている蛇はどうだ?」
リガーヴがそう言い、視線を向けたほうへクレイも目を向けた。そこには赤、黄、黒を基調とし、小さな子供位ならば丸呑みにしそうな大蛇が木に絡まるようにして寝ていた。
「紅蓮猛毒蛇……! 危険な生物がいますね……しかもあの個体はデカいです。全長6メートルはありそうですね。非常に好戦的です。現在寝ている間に確実に仕留めて進軍しましょう。引火する高熱のガスを吐く上、全身に毒があり牙に仕込まれた毒は一噛みで、最悪死ぬ可能性もある猛毒です! 食用には出来ません。一度ブレイバスが勝手に食って一週間ほど生死の境を彷徨いました。我が師の回復魔法が無ければ食ったその日に死んでいたでしょう」
「……そうか。オーラン、仕留めておけ!」
「はっ!」
オーランが足音を立てず紅蓮猛毒蛇に近づく。そして手にもつ細剣を振るうと、一瞬で首を掻っ切った。
「……クレイ、あの兎はどうだ?」
再び問いかけてくるリガーヴの視線を追う。しかし視界には木々が映るだけで動物は何も見えない。クレイはもう一度リガーヴの視線の方角を確認し、自身も目を凝らしよく観察する。すると遥か前方、枝を掻き分けた奥に、豆粒のような大きさの何か動く獣耳のようなものが見えた。
クレイも視力には自信があるほうだったが、リガーヴの視力、並びに索敵範囲はクレイの遥か上を行っているようだ。
「砂霧兎! 珍しいですね。危険な生物ではなく、近づくだけで逃げて行きます。放っておいても進軍の妨げになる事はないです。捕らえられれば肉は非常に美味いです。栄養価は森林亜竜蜥蜴にやや劣りますが、味は遥かに上を……」
「全軍に告ぐ! 北東方面に見える砂霧兎を仕留めろッ! 一匹も逃がすなッ!!」
威厳云々の問題はクレイが気を使うにはおこがましい事だったようだ。
◇◇◇◇◇
部隊は、ボルズブ山脈に入って二日目の夜営の準備を行っていた。
結局、昼間遭遇した砂霧兎を捕らえることが出来たのは一匹だけだった。
大半を逃してしまった原因は大きな音を立てながら集団で砂霧兎に接近したことが大きい。
元々外敵から逃げることに優れた生物なのだ。当然の結果である。ちなみに捕らえた一体はリガーヴによるものである。俊敏な動きを可能にする身体能力、あらゆる戦場で自由に動き回ってきた実戦経験は、逃げる砂霧兎の野生の動きを上回り見事仕留めていた。
「……」
それでもリガーヴは不満そうだった。大き目の石に腰を下ろし、2メートル程あろう愛槍を指先で器用にくるくる回している。
オーランたち兵士はリガーヴから距離を取り目を合わせないように作業をしている。その様子を見てクレイも同じようにしていた。ブレイバスとリールは違うところで作業をしているため、若干心細い。
「……クレイ」
「……! はっ!」
突如話しかけられるクレイ。八つ当たりか何かが来ると思い、少し身構える。
しかし続く言葉はまったく予想外のものだった。
「……森林亜竜蜥蜴はデカい奴ほど美味かった。生き物は皆そうなのか?」
「……は?」
そのあまりに突拍子のない質問に、間抜けな声を上げてしまうクレイ。
「は、はい。基本的にはその筈です。大きな個体ほどその肉に栄養を蓄え、旨味を際立たせる事が多いです!」
真意が分からずとりあえず自分の知る知識を答えるクレイ。
リガーヴが再び口を開く。が、それもまた前後の繋がりがないものだった。
「紅蓮猛毒蛇は、全身くまなく毒があるのか?」
紅蓮猛毒蛇とは昼間遭遇した危険生物の一種である。非常に獰猛で危険な力を持つ蛇。昼間は遭遇時に既に寝ていたため瞬時にその危険を排除できたが。その時、たしか「全身に毒があり食用には出来ない」という話をした。
「え、ええ……そのはず、です。……ッ! い、いえ細かく解体したわけではないので詳細は違うかもしれません!」
「……どちらにしてもこの場で調べるのはリスクがあるという事だな」
リガーヴはそう言うとため息をつき、立ち上がった。
クレイは意味が解らず棒立ちしている。するとリガーヴが大声を上げた。
「敵襲ッ! 総員臨戦態勢に入れッ!!」
リガーヴの号令と共に慌ただしくなる部隊。
リガーヴが真っ直ぐ見ているのは闇夜で殆ど見えない木々の奥、クレイもそちらを目を凝らしてみる。
そこからうっすらと姿を現したのは、昼間見たモノより遥かに大きい、古の竜の頭と言っても信じてしまいそうな、口を閉じた状態で額から顎まで2メートルはあろう呆れるほど巨大な紅蓮猛毒蛇の頭だった。