十七話 夜営
「……何だと?」
夜営のテントを張った後、クレイたちはヴィルハルトとリガーヴの元に森林亜竜蜥蜴を食事のメニューに加える提案に来ていた。
「ですから、昼間仕留めた大蜥蜴の調理です。この森林亜竜蜥蜴、タンパク質を始めとして非常に栄養豊富でして部位によっては味も決して市販の畜肉に劣らない、いや調理次第で勝ります。山脈進軍という過酷な任務の中、皆様の英気を養うため、先程の事を提案させていただきます」
説明を受けてもリガーヴは怪訝な顔をしている。ヴィルハルトはそのやり取りを何故か嬉しそうに黙って眺めていた。
「……そのデカい蜥蜴は毒を持っている。それを食うとは正気か? 貴様ら」
「森林亜竜蜥蜴の神経毒は歯茎内部にある毒袋から牙に分泌されています。それを除去すれば問題ありませんし、そもそも調理に使う部位は手足と尻尾のみです。他は加工に時間と手間暇をかけないとまともに食べられませんので。もっと言うならばその毒は非常に熱に弱く、調理の際の加熱により抹消されます。先ほどお伝えした通り、私とブレイバス、リールは幼いころより日常的に食しております。毒による危険はありません」
問題指摘されるが一歩も引かず力説するクレイ。全員分食料は支給されていたが、やはり美味い物は食えるうちに食っておきたいのだ。
「……勝手にしろ。食って悶え死のうが自己責任だ。他の炊事も遅らせるな……」
不機嫌そうに了承するリガーヴにクレイは頭を下げ、見えない角度でニヤッと笑った。
◇◇◇◇◇
クレイはかき混ぜた鍋から具と汁を少しだけすくい取り、自身の口に運んだ。濁ったまろやかなスープに溶け込んだ肉の旨味とほんのりとした脂の甘みが口の中に広がり、喉を通せばほどよい塩気と暖かさが一日の行軍で疲れた身体にたちまち染み込んでいく。
汁と一緒に口にした弾力たっぷりなテール肉は、一口噛めば長時間煮込んでなおプリプリの歯応えととろっとしたスープが口内で混じり合い、二口噛めば更に湧き出る味の深みが気分を踊らせ、三口噛めば胃袋の底から食欲が沸き上がる。
(完璧だ……!)
鋭い目付きをしたまま、クレイは自分が作ったスープに胸中で太鼓判を押した。そこでブレイバスとリールの方へ目を向ける。
大蜥蜴のもも肉を厚切りにし、鉄網に乗せて炭火で焼き上げていた二人もまた今、それの味見を終えたところだった。クレイ同様真剣な顔つきをし、ブレイバスは無言で頷き、リールは『ビッ!』と親指を立てた。
そこで三人は目線を正面に向けた。
「調理が完了致しました。是非皆さんも食べてみてください。森林亜竜蜥蜴の厚切り炙り肉と肉入りスープです」
それぞれ火に掛けられた大鍋と鉄網の上のその肉は、場を支配するほどの香ばしい香りを放っていた。
森林亜竜蜥蜴の食用としての最大の特徴は、何と言っても食欲をそそる香りにある。
魚と牛の中間のような不思議で、しかし肉肉しい抜群の存在感を持つ匂い。それが摘みたての野生の香草や荒削りの岩塩により更に引き立ち、他の炊事の匂いをことごとく掻き消す。その増幅された芳しさが昼間の長い行軍にすっかり腹を減らしている兵士たちを刺激し、彼らの口から次々とよだれをあふれさせた。
リガーヴがぶっきらぼうに許可したように、他の兵士たちも初めこそ食べる気だった者は少なかったことだろう。それどころか『新人が余計な仕事を増やしやがって』という顔をしている者すら多かった。しかし調理を進めていくうちにその素晴らしい香りに誘われ、どんどんギャラリーが増えていった。
とはいえ最初に非難の態度を示していた自覚はあるのだろう。料理が出来上がってもそれを率先して受け取りに行くには抵抗があるようだ。
「あ、リガーヴ将軍には『自己責任で』と言われています。確かに食べ慣れない現地調達の物より、王都より配給された食材のほうが良いという方は多いと思いますので」
あくまで真顔でそう話すクレイ。しかしその心の奥には謎の優越感に満ち溢れていた。『皆様、最初どうでも良さそうにしていたけど、今この暴力的な旨味を纏った香りを嗅いで尚、食わずにいられますか?』と。
「いただこう!」
「私も貰おうか」
カイルとオーランが皿を持って前に出た。出された皿をリールが受け取り、肉の塊とスープを入れ、渡す。
カイルはその場で炭火焼きの肉を一切れ摘まむとそのまま口に放り込んだ。数回咀嚼して、カッと目を見開く。
「こ、これは旨いッ! これが本当にあの蜥蜴肉なのか!?」
その一言に周囲がざわめく。
「始めは魚と鳥の中間のような味だと思ったが、噛めば噛むほど味が染み出る! 豚や牛にも劣らん力強さだ! 味付けもぴったりだ!」
近くに腰を下ろしてスープをすすったオーランもそれに続けるように話す。
「驚いたな……! こっちのスープも絶品だ! 溶け込んだ塩や削ったチーズと、この肉の相性が抜群だ。これなら何杯でも食べられるぞ!」
驚愕の表情をしながら料理を語る二人。そしてそれが周囲に与える効果は絶大だった。出会って数日の少年少女だけでなく、同じ境遇で戦ってきた二人が諸手を挙げて好評価を示しているのだ。
俺も自分も、と次々と声をあげ、蜥蜴肉を求めてすぐに行列ができた。
◇◇◇◇◇
予期せぬ美味い飯に盛り上がる部隊。
「そういえばお前たち三人も、魔法名は自分で決めたのか?」
「ええそうですよカイルさん。大体みんなそうだと思いますけど。ブレイバスの魔法なんて凄いですよね。センス」
「はっはっはっ! 照れるじゃねーかクレイ! そういやオーラン小隊長の魔法とも少し名づけ方被ってるっすね! 親近感わきますわ!」
「え? あ、あぁ。ははははははははは」
「……ところで、兵士の皆さん、あんまり食べていませんね。何だか、みんな小食? カイルさんなんて特にいっぱい食べると思ったんですけどっ」
「……リールよ、今回の事でわかったが、お前たち三人は食いすぎだ。まさか一番小柄なお前でさえ俺より食うとは思わなかった」
「え、えぇ~?」
自然と食事中の会話も楽しいものとなる。
しかし、そんな中一人離れた所で食事をとり、蜥蜴肉に手を付けない男がいた。
「フッ お前は食わないのか? リガーヴ フッ」
「……」
ワイングラスに入ったスープを優雅にズゾゾッとすすりながら話しかけるヴィルハルト。その意地の悪そうな問いかけに答えず、無言で支給のパンと干し肉を齧るリガーヴ。
「フッ 元々大食らいのお前だ。そんなものでは十分ではないだろう? 皆がこぞって食べている。もう無くなってしまうぞ フッ」
「……」
尚も答えないリガーヴ。
そんなリガーヴのほうへリールが近づいて行った。
「はいっ、これリガーヴ将軍の分ですっ。ここ、太ももの部分で一番脂乗ってて美味しいんですっ! 一口でいいから食べてみてくださいっ!」
押し付けるように皿を渡すリール。睨むような目つきのまま、やはり無言でリガーヴはその皿を受け取った。
そして、つまらない顔をしながらその肉を口に運ぶリガーヴ。
肉を口に入れた瞬間、僅かにリガーヴの目が見開いた。その様子を見逃さずヴィルハルトは口を開いた。
「フッ もう無くなってしまうなぁ。今ならまだギリギリおかわりもあるがなぁ フッ」
ヴィルハルトがそう言った数秒後、リガーヴは立ち上がった。空っぽの皿を置くと、森の奥へズンズンと歩いていき姿を消した。
「……リガーヴ将軍の口に合わなかった、のかな? 怒ってどこか行っちゃった……?」
悲しそうな顔をするリールにヴィルハルトが笑い掛ける。
「フッ いやあれは『相当美味かった』という顔だ フッ」
「え?」
ヴィルハルトの意外な答えに聞き返すリール。
「フッ 意地を張って食わなかった料理が予想以上に美味く、最初にこの調理にすら反対していた立場とプライドも重なって、この場に居られなくなったのだろう。我が弟ながら、かわいい奴だ フッ」
「そうなんですね…… じゃあよかったですっ」
そう言って笑いあうヴィルハルトとリール。食事が殆ど終わった後もその場は皆明るく、雑談や武勇を語り合っていた。
────1時間ほどしてリガーヴが何やら大きな網を引きずりながら戻ってきた。
その足は真っ直ぐクレイの元へ向かい、網の先を持った手をクレイに突き出す。クレイがその網の中身に目を向けると、今仕留めてきたのであろう森林亜竜蜥蜴が3体も入っていた。
「つくれ」
リガーヴが森の奥へ姿を消したとき、ヴィルハルトが『最初にこの調理にすら反対していた立場とプライドも重なって、この場に居られなくなった』と予測したのに対し、リガーヴは『もう無くなってしまうのか。ならばもっと採ってこよう』と言う心境だったようだ。
その様子に、流石のヴィルハルトも顔をひきつらせ苦笑した。




