五話 未知から出でし未知
空間が歪む。
そのような現象は通常起こりようが無く、またクレイにとって前例のない事だった。
可能性があるとすれば、何者かが物理原則に従わない特別な力を使って行った事。すなわち未知の魔法との遭遇である。
────【魔法】
それはこのユニバール大陸において複数確認されている特別な力。
クレイの物質を生み出す【結界飛翔】や、リールの他者の傷を癒す【愛の癒し手】等、その効果は個人によって千差万別。
扱えるものも全体の一割にも満たず個人ごとに類似性も少ないことから、研究があまり進んでおらず解明されていない点が多い。
それならば目の前に起こった現象に対しては、その出来事によって対策を瞬時に判断しなければならない。
(空間が歪む? そんな大魔法中々聞かないぞ! 僕らを空間に引きずり込むものか、もしくは────)
クレイの思考と同時に大声で叫ぶ者がいた。
「歪みに近い者はすぐさま後退しろッ! 他の者は歪みから目を離すな!!」
部隊を率いる将軍、グレアーである。
その言葉にクレイは安堵する。起こった事象が未知である以上、最善の対策は『出来るだけ素早く距離を取る事』に限るのだ。
かつてクレイが暮らしていた孤児院では多くの者が魔法を使うことが出来た。その孤児院を出てからも様々な魔法を見て、また戦ってきた。
おそらく自分は一般兵士と比べて魔法との戦闘経験は多い。しかし、命令系統の上位に属していない自分が『逃げろ』などと叫ぼうものならば無駄に混乱や反感を招く。
この突発的な未知との遭遇に瞬時に後退の判断をグレアーが下したこと、クレイは胸中で素直に称賛した。
そして意識を未知なる驚異の方へと戻す。
(────何かを召喚するための歪み!)
グレアーの号令と共に距離を取りながら空間の歪みを包囲するユニバール軍。さほど時間を置かずして、空間が突如割れ、クレイの予想通り中から何かが落ちてきた。
「あいたっ」
空から落ちて、屈強なユニバール軍が武器を構え包囲する中央に落下したモノ。それは、
「……女の、子?」
透き通るような白い肌に、水色の滑らかな髪を持つ、小さな女の子だった。
地面に落ちた時にぶつけたのか、小さなお尻を両手で抑えながら悶えている。
女の子を取り囲んだまま、呆然と立ち尽くす武装した一部隊。
少し離れた所から人ごみを掻き分け、隊を率いるグレアーもやってきたがやはり予想外過ぎる出来事に次の行動を決めかねていいた。
謎の女の子はしばらくすると顔をこちらに上げ、自分が包囲されている事に気がく。
「あ。え~~~っと……」
顔が上がった事によってその表情も明らかになった。
子供らしいあどけない顔立ちでありながら非常に整っており、その目付きはやや猫目、ある種の気品を漂させている。
そしてよく見ると、両の耳が人間のそれと比べ、異様に尖っていた。
「……【妖精人】、だと?」
その外見をみたグレアーが驚きの声を漏らし、部隊がざわめく。
綺麗な顔立ち、猫のような目付き、尖った耳。それらは全て今回の説得対象種族の一つ、【妖精人】の特徴そのものだったのだ。
グレアーが困惑したのも当然だろう。今回グレアーやクレイ達が向かっている先は【地鉄人】が住む鉱山。【妖精人】が住む地域とは方角的に真逆である。
未知の空間から現れた未知の存在。
目の前の存在は小さな女の子に過ぎないが、部隊を率いる立場にあるグレアーは決して無視できない大きなイレギュラーと判断した。
すぐさま少女を捕捉するための命令を下そうとする。
「その者を捕────」
しかし、それよりも速く謎の少女が大きく声を張り上げた。
「すぐにここから離れなさいッ!!」
言葉と共に、少女が落ちてきた空間の歪みが更に大きく割れる。
そこから姿を現したのは────一言で表すならばミジンコのような生き物。しかしその大きさは尋常ではなく、全長3メートル以上はあろう、異形の化け物だった。
「【結界曲鞭】ッ!!」
その姿を確認する前に、クレイは叫んでいた。
空間の歪みから更に何かが来るのだろう。
それならば、来るモノによってはその真下にいるあの少女をそのまま圧し潰す事になる。
今から走って抱きかかえようにも間に合わない。
それならば、と自身の魔法により、右手に半透明のロープを精製し、それを生み出しながら少女の方へ振るった。
「わひゃっ!?」
ロープの先端は見事少女の手に巻き付き、クレイが【結界曲鞭】を引っ張る事により少女の身体そのものを吊り上げクレイの方へ引き寄せる。
そのその一瞬後に、少女がいた場所に巨大ミジンコが音を立てて着地。
────『落下』ではない。『着地』である。
この巨体が上方から飛来し、何の問題もなく当たり前のように足で地面に着地する。
それだけでこの生物の危険さが感じ取れた。
「リール! この子を!」
【結界曲鞭】で引き寄せる際に、少し体に負荷をかけてしまったであろう少女を癒しの魔法を使えるリールの方へ手渡し、クレイは長剣を抜いた。
予め『どんな事態でも自分の出来る事を全力でこなす』と覚悟していたリールは一つも疑問を口にすることなく、全く狼狽える事も無く少女を抱きかかえながら後方へ下がる。
「クレイっ! 気を付けて!」
目の前の生物の危険度を、グレアーも兵士たちも感じ取ったのであろう。
「全員戦闘準備! 目の前の化け物を攻撃せよッ!!」
周囲の兵士たちは一斉に弓矢を構え、クレイもまた長剣を横に両手に魔力を込めた。




