フグの話
昔、私がまだ大人になりかけの頃、フグの話をしてくださった方がいた。
皆が今フグを食べられるようになったのは昔の人々のお陰だ、最初に食べた人は一口食べて亡くなり、次に別の部位を食べた方がここも駄目だ、と亡くなり、その次に食べた方が・・と何人もの犠牲の上にフグの毒の在処が分かったのだ。というもの。
その頃の私はすごいなあ、自分の身を犠牲にしてまで世の中に危険な物を伝えていくなんて、と感動すらした。
しかし私が若かっただけではなく、その話をしてくださった方も私よりも年上ではあったがやはり若かった。
きっとどなたかから聞いたに違いない。偉く感動した話だと伝えてくれたのだ。
その後も数年に一度くらいこの話を思い出したりする。
しかし大人の階段を着実に登ってきた私は(そんな事本当にあるの?)などというダークな感情を抱き始める。
前の人が一口食べて亡くなったものなど誰も食べたくはないはず。
これは毒のある食べてはいけない魚だ、という事でほっとけばいいじゃないの。他に魚はいくらでもいるんだし。
また更に大人になると(何を間に受けていたのだろう。やはり若かったわね。これは物の例えで先人の教えがあったから今日の文化があるという格言のようなものよ)と年期の入った答えを出せるようになってきた。
そんな事を思い出したのでフグの毒について調べて見た。
(ググっただけである)
フグには多くの種類があり、それぞれ毒を持つ部位が違うのだそうだ。
例えば皮に毒が有るもの無いものがいるが、最初の方が皮を食べてご無事でも次の方が違う種類のフグの皮を食べるとそこに毒が、というわけだ。
そう考えると最初の説はあながち格言と片付けられない。
毒の位置を知ろうと自らを犠牲にしたわけではなく絶対大丈夫だと思って食べたのに毒に当たってしまった、という不慮の事故だ。
それを教訓にして他の部位を食べては毒に当たり・・・と繰り返したのではあるまいか。
最初に私にフグの話をしてくれた方に確認すると『え、それってタコの話じゃ無いっけ』と。
ええーーー。
タコって毒あるのぉ?
私の記憶の始末はどうしたらいいのだろう。