菫色の憂鬱
「という訳で、決闘に出る事が決まったから頑張ってね、マース君」
「……え?」
リリィート王国王女の誕生パーティーに行っていたアイト達が帰って来た。
その報せを聞いたマースが、自身の教育係であるシルティーナへ任務完了の報告と、任務が終わるのとほぼ同時に姿を消したお目付け役でついて来ていたクロイツの行方を確かめる為に出向いた双翼の剣のギルド本部で、待ち構えていたギルドマスターのアイトに捕まり、彼の執務室へ連行され、更にそこで待ち構えていた今回リリィート王国に出向いたメンバーに囲まれて、事の顛末を聞かされ、そうして言われた最後の言葉に何とか返せたのは間抜けな顔と声だけだった。
「細かい場所と日時は向こうからまた連絡が来るから、それまでは特訓だね」
「魔法は禁止……と言いましても、貴方には然程関係ない事ですわね。取り敢えずここに居るメンバーを中心に、手の空いている者が随時貴方に稽古をつける様にしますので、暫くの間は依頼を引き受けないでくださいませね」
「あ、うん。分かった……え?」
理解が追い付く前に進んで行く話に思わず頷いてから、再び間抜けな声をあげてしまった。
"決闘"と言っただろうか?
しかも、聞かされた顛末の中に『ジンさんをかけた』という言葉が入っていた気がする。
その、決闘に、自分が……
「む、無理だよ!!」
漸く追い付いた話に思考するより先に言葉が出る。
「なんで?」
「なんでって……」
不思議そうに聞いて来たのはアイトだ。
「だって、そんなの、もし負けちゃったら……」
「大丈夫ですわよ」
微笑みながらエレインが言った。
過信ではなく確信だった。
「でも、僕はまだ見習いで……」
「問題ありませんわ。だって、見習いだろうがなんだろうが、貴方が双翼の剣のメンバーである事に変わりはありませんもの。貴方なら大丈夫ですわ」
「……」
マースが双翼の剣に所属するようになって数年。
時々、このギルドの仲間達に底知れない恐怖を感じる事があった。
彼等が恐いと言っているのではない。
彼等の、仲間に対する絶対的な信頼が恐いのだ。
彼等は言う。
『あいつなら大丈夫だ』と。
『あいつが負けるわけがない』と。
それは、百人近く居るギルドメンバーの誰がどんな敵と対峙していても変わらない。
例えそれがそのメンバーよりも数倍もの強者であったとしても、だ。
笑って大丈夫だと言う。
揺るぎなく負けるわけがないと言う。
世界に名を轟かせる傭兵ギルド、双翼の剣。
一騎当千以上の実力者が何人も所属してはいるが、メンバーの全員がそうである訳ではないのだ。
それでも生半可な実力者は居ない。
どんな事情であれ、双翼の剣に身を置く事になった者には一定期間"見習い"をする事が義務付けられているし、一人で依頼を請けられる様になるには二つ名持ち全員とギルドマスターの承認が必要になる。
それでも、ギルドマスターや二つ名持ちの者達には遠く及ばないのだ。
それなのに、彼等の信頼は揺るがない。
だから、双翼の剣に属している者達は皆、その信頼に応えようと必死になるのだ。
そうしてまた一人、"強者"が誕生する。
世界最強とも謳われる傭兵ギルド、双翼の剣はこうして出来上がったのだ。
そして、その信頼が今はマースに向けられていた。
マースなら大丈夫だと、負けるわけがないと、絶対的な信頼が寄せられている。
ならば、マースはそれに応えなければならない。
双翼の剣の者として、仲間は絶対に裏切れないのだ。
それに、双翼の剣において無くてはならない存在であるジンをかけた闘いをマースに託すと、他でもないギルドマスターと二つ名持ちの者達が言うのだ。
これに応えないなどあるわけがない。
「……」
ない、のだが……
負けてしまった場合、どうなるのかを考えてたしまうのは仕方ないと思うのだ。
だってマースはまだ、自分の実力に自信が持てないのだから。
「何だ小僧、自信がないのか?」
「え、」
俯いたマースにジンから声がかかる。
「俺のシルティーナから直々に手解きを受け、俺のシルティーナが依頼の目付け役として同行しているというのに、お前は未だに自信がないのか?」
「……」
『俺の』をやけに強調するジンの言葉。
彼からしたら自分の身も、マースの自信の無さもどうでもいいのだろう。
ただただ、愛しいシルティーナがマースに付いて行動している間、自分が彼女と離れなくてはならなかった確かな時間がそこにあり、その貴重な時間を彼女と過ごしたマースが『負けたらどうしよう』などと考えている事が許せないのだ。
もし負けようものなら、シルティーナとのかけがえのない時間を奪ったマースが、今度は"時間"などという生易しいモノではなく、その"存在"自体も奪ってしまうという事なのだから。
まぁ、この場合、奪われる"存在"はシルティーナではなくジン本人なのだが、当人にとってはどちらも同義である。
「……絶対に勝つよ」
人間、生きていれば一度は"絶対に負けられない戦い"というものに遭遇する。
マースの場合、これがその"絶対に負けられない戦い"となったのだった。
まぁ、もし、万が一、億が一にも負けたりした場合、その時はその時で何か手を考えているのが双翼の剣なのだが、残念ながらその時のマースはその考えに至らなかったし、そもそも"負ける"という選択肢は早々に潰されたので、彼の戦いはやはり、"絶対に負けられない戦い"で間違いなかった。
取り敢えず、姿を消していたお目付け役のクロイツが然も当然という様に黒猫の姿でシルティーナの肩に乗っているのを確認したマースは、やっぱり、と苦笑を溢したのだった。