彼の怒りの理由
アイト・ブルランテと言う人物について一度でも彼に会った事がある人は大抵、優しい人、いい人、丁寧な人、爽やかな人、強い人、物腰の柔らかな人、といった印象を答える。
それは決して間違いではないと、彼を深く知る双翼の剣の者達も頷く。
けれど、彼を深く知る双翼の剣の者達はその後に決まってこう付け加えるのだ。
アイト・ブルランテは、双翼の剣のギルドマスターは、決して怒らせてはいけない人物だ、と。
そんなアイトが今、猛烈に怒っている。
それはそれはもう、怒り心頭状態と言っても過言ではない程に怒っている。
彼がこんなに怒るのは、数年前にシルティーナが祖国を追われ満身創痍で双翼の剣の元にやって来た時以来となる。
しかしその時も、アイトが何か行動を起こす前にジンが当時のギルド支部を半壊させたので彼の怒りは表に出ること無く発散されてしまったのであった。
それより更に数年前、アイトの本気の怒りを目の当たりにしたギルドの者達は、それ以降その話を話題に上げると皆が皆、顔を真っ青にして押し黙る様になってしまった。
『彼を怒らせると何やら恐ろしい事が起こる』、とは双翼の剣の者達に真しやかに伝わっている話なのである。
そんなアイトは今、本気で怒っていた。
シルティーナとジンは何があったのかと問い質したい気持ちを飲み込んで成り行きを見守る。
「内容は"決闘"という名の通り、代表者による一騎打ちとしましょうか」
「一騎打ち……」
「あれ、ご不満ですか? 僕達は別に総力戦でもいいんですよ? まぁ、この国に僕達全員を相手取る戦力があればの話ですが」
「……」
アイトからの一騎打ちとの言葉に僅かな不満を滲ませた国王に、ならばとニッコリ笑ったアイトが言う。
その声音にも態度にも余裕が滲み出ており国王は苦々し気に顔を歪ませる。
それでもアイトの言葉に反論出来うるモノを彼は持っていなかった。
世界中に名を轟かせる傭兵ギルド、双翼の剣。
少数ギルドでありながら個々の実力は一騎当千以上である彼等に対して総力戦を挑むという事は詰まり、冗談でも何でもなく"滅び"を意味しているのだ。
今この国に来ている四人を相手にするだけでも国力の半数以上を失う覚悟が必要となるだろう。
「分かった。一騎打ちでいい」
不承不承で頷いた国王はしかし、けれど、と条件を口にする。
彼等がどれ程の実力を有していようとも、それに簡単に屈するのは一国の主として許されない。
彼等と自分達は今のところ、あくまで対等な立場である筈なのだから。
「そちらの代表者は"二つ名持ち"以外の者でお願いしたい」
双翼の剣の中でも更に有名なのが"二つ名持ち"と呼ばれる者達だ。
今日来ている三人を始めとした十人程がそうである。
彼等の実力は、双翼の剣の中でも群を抜いているのだ。
「ええ、構いませんよ」
国王の言葉にあっさりと頷いたアイト。
それにほっと息をついた国王が更に続けた。
「魔法の使用も禁止とする」
「お互いに、ですよね?」
「……あぁ、勿論だ」
「二つ名持ち以外、魔法禁止。他には?」
「会場はこちらで用意する。日時もこちらの都合に合わせて貰おう」
「ええ、いいですよ」
「こちらが勝った場合はジン殿と我が娘、キャローナとの婚約を。そちらが勝った場合は……」
「今後一切、この様な下らない事での招待は辞めて貰いましょう。それと、貴方が先程宣った、彼等が……僕の家族達が、無知で下賤で野蛮な闘う事しか能がない卑しい身分の者達という言葉も撤回して貰います」
言いながら落ち着きかけていた怒りが戻ったのか、アイトの魔力が再び溢れ出した。
アイトの言葉で彼の怒りの理由を知ったジンとシルティーナは互いに顔を見合わせて苦笑する。
どこまで行っても双翼の剣の者達を大切に思ってくれる彼だからこそ、自分達もここまでついて来たのだ。
「……分かった」
そんなアイトに冷や汗を流しながらも何とか気丈に頷いた国王に満足した様に笑ったアイトが魔力を収めてでは、と話を終息へ向かわせる。
「僕達は一度帰らせて貰います」
「ああ。また改めて事の詳細を記載した文書を送る」
「はい、待っています。それじゃ、帰ろうか二人とも」
「ああ」
「はい」
国王に軽く礼をして背を向けたアイトにジンとシルティーナも続く。
廊下で成り行きを見守っていた騎士達の視線を集めながら進んだその先、パーティー会場まで後少しといった所でやっと体力が回復したキャローナと出会った三人は彼女がジンへ向ける熱い視線に肩を竦めた。
ただの恋する女の子。けれど彼女は、自分の置かれている立場で父に願った我が儘が行き着く先を想像すら出来ない、無知な子供であった。
蝶よ花よと育てられた彼女は、父が娘のためにと選んだ道の先に必ず自分の望んだ結末があると信じているのだ。
「ジン様」
焦がれる様に呼ばれた自身の名にジンが小さく笑った。
「素晴らしい父親だな」
「え?」
「お前の父は……この国の王は、お前の為に俺達に決闘を申し込んだ。お前の願いを叶える為だけに、何の関係もない二人の人間が闘う事を選んだ。なんとも素晴らしい国王ではないか」
皮肉をふんだんに含んだ言葉はしかし、箱の中で育った娘には通じないらしい。
ジンの言葉に顔を輝かせ、弾んだ声ででは、とご丁寧に状況の復習をしてくれた。
「父は皆様に決闘を申し込んだのですね!? 皆様もそれを受けたと」
「……」
「あぁ、ではジン様が私の婚約者になってくださる日も近いのですね! 決闘の日時は? まだ決まっていないのですか? あぁ、待ち遠しいですわ!」
「……」
呆れて物が言えないとはこの事なのだろうな、と三人は思った。
目の前の彼女は、自分の父が誰に決闘を申し込んだのか本当に分かっているのだろうか?
下手すればこの国ごと無くなってしまうかもしれないという危機がほんの少し前まであった事すら理解していないのだろう。
"一騎打ち"となったからこそ避けられた最悪の結末が、すぐ横に転がっている事すら理解せず、自分の望みが叶うと喜ぶ彼女。
そんな彼女が"現実"を知る日も近い。
「次に相見えるのがたのしみだな」
「はいっ!!」
ジンの言葉に頬を染め、嬉しそうに頷いた彼女がその言葉の本当の意味を理解する事はない。
それを理解しているアイトとシルティーナはただ黙って歩を進めたのだった。