黒い伝言
過去最速で集まった臣下達の表情は固い。
既に闘技場での一連の出来事は耳に届いているのだろう。数人はその場で直接見ていた者も居る筈だ。
そんな顔をするくらいなら、国王がシルクーラへちょっかいかける前に止めて欲しかったとディルスは思った。が、もう遅い。起こってしまったものは仕方ない。せめて少しでもましな終わり方を模索するしかないのだ。
全員が席に着き一息ついた所で話を切り出そうとしたディルスよりも早く、ドンッと重い音が室内に響く。
両の拳を強く机に叩きつけた国王ベラントがその瞳に怒りを乗せて一同を見ていた。
「何なのだ、あいつ等は!! 一騎討ちの勝利の対価が何故、我が国との関わりを拒絶するなどという馬鹿げた話になっている!?」
「本当に、分かっておられないのか……?」
「何をだ?」
自身の父のその言葉にディルスはただただ唖然とした。
臣下達に目をやれば、その殆どが呆れを通り越した諦めの表情で目を伏せている。
キャローナの誕生パーティーの日、ベラントとアイトが話した場に彼等は居なかったが事後報告を受けた彼等はしかし、一騎討ちを取り止める様にベラントに進言する事はなかった。だが、一騎討ちがマースの勝利で幕を閉じ、その後アイトが口にした勝利の対価を聞いた瞬間に、きっと彼等は後悔したのだろう。
止めるべきだったと。ほんの僅かな『もしかすると』などに期待などしなければ良かったと。
あるわけが無かったのだ。『もしかすると』双翼の剣の者に勝利するかもしれない、など。
考える事さえ無駄だったのだ。『もしかすると』次期ギルドマスターと名高いジンを囲い込めるかもしれない、など。
ほんの一瞬頭を過ったその『もしかすると』を捨てきれなかったせいで、今自分たちは窮地に立たされている。
「いいですか、父上」
まるで懺悔するかの様に顔を伏せて上げようとしない臣下達からベラントへと視線を戻したディルスが幼子に言い聞かせる声音で言葉を発する。
「アイト殿が"下らない事"と初めて口にしたのは、キャローナの誕生パーティーの場ですよね?」
「あぁ」
「その言葉が示すのは"一騎討ち"ではなく、"キャローナの誕生パーティー"の方です。末姫ではあるけれど、それでも一国の王女である人物の誕生パーティーを"下らない事"だと言ったのです。それに二度と招待するな、と。王族の誕生を祝う場が"下らない事"であるなら、そうじゃない事など数える程しかないでしょう」
それこそ新王の即位や現王の葬儀など、とは流石に口にはしなかった。
自身の父であろうが、国と天秤にかければ傾く方は決まっている。
そもそも散々自分達を亡き者にしようと画策してきた父なのだ。これから自分がソレをされる立場になったとしても文句は言えないだろう。
そんな心情を悟られない様にディルスは表面上は穏やかに続ける。
「つまり、アイト殿は最初から、こちらが一騎討ちで負ければリリィート王国との関わりを断つつもりだったんですよ。王族の誕生パーティーを下らない事だと言うくらいですからね。誰がどんないい餌をぶら下げたとしても、二度とリリィート王国の地を踏むつもりは無かったのでしょう」
「……」
顔を青くさせて黙り込んだベラントに漸く理解したかと息を吐き出したディルスはやっと本題に入れると姿勢を正す。
そんなディルスに合わせて他の者も姿勢を正したその時、低い笑い声がその場に響いた。
「誰だ!?」
壁際に控えていた数人の騎士達が素早く臨戦態勢をとり声の主を探す。
「まったく、愚かな王を持つと苦労するのだな」
そんな言葉と共に柱の陰から姿を表したのは一匹の黒猫だった。
「いや、え、猫がしゃべっ……はぁ!?」
困惑する周囲などお構い無しにその黒猫は机の上へと乗る。
「我はシルティーナの使い魔だ」
黒猫が告げたその名前にジンの横に並び立っていた金の髪に薄紫の瞳を持った美しい女性を思い出す。"深淵の令嬢"の二つ名を持った人物だった筈だ、とディルスが自身の記憶している情報を引き出していたその時、臣下の一人が声を上げた。
「シルティーナ? 双翼の剣のシルティーナと言えば、リディーラン王国の元公爵令嬢だった人物ではないか」
「我が主を知っているか」
スッと細まった金の瞳。問いかけではないその言葉は、次に臣下の男が発するであろう言葉の内容を既に知っている響きがある。
「知ってるかって? 勿論だとも。有名だからな。国を裏切り、自分だけのうのうと助かった売国奴だと!」
「そうか」
静かな声だった。
臣下の男の言葉にただ静かにそう返した黒猫がピシリ、とそのしなやかな尻尾を机に叩き付けたその瞬間、室内が闇に覆われた。
「あぁ、まったく、不愉快極まりないな。先に我が主を裏切ったのはあの国の者達だというのに」
"自分"という存在すらあやふやになりそうな深い深い"闇"の中、低く直接頭に響く様な声が届く。
「……っ」
声を出そうとして、しかし出てきたのはヒュッと息が空気を揺らす音だけである。それならば行動を、と体を動かそうとしたディルスだったが、そこで不意に不安に襲われる。
『果たして自分は未だに"人"としての形を保ってこの場に居るのだろうか?』
眼前すら見えない闇。自分の輪郭すら見えないその場所で、自分はちゃんと"人"として在るのだろうか?
手は、足は、胴は、顔は、立っているのか、座っているのか、聞こえているのか、見えているのか、匂いは、感触は、自分がこの場で"自分"として存在している確固たる確信は……
声を出そうとして出なかった。ならば、動こうとして手足が無かったら?
そもそも何も見えないこの場所で、自分が確かに"動いた"とどうやって証明するのか。
グルグル、グルグルと、嫌な考えが頭を過ってはそれら全てを否定することも出来ずに恐怖が募る。
「あの国の末路を知って尚、シルティを愚弄する言葉を言えるとは肝が据わっていると誉めてやるべきか?」
深い闇の中、使い魔の声だけが響いた。
末路……そう、あの国は滅んだのだ。広く豊かな国であったにも関わらず、魔物が現れ、隣国から侵攻され、そして一番大きな港町を双翼の剣の者達に奪われた。
「それとも、お前達も同じ末路を辿りたいのか?」
その言葉と同時に息をするのも苦しい程の圧迫感に襲われる。
闇がまるで重さを持っているかの様にのし掛かり、ディルス達は喘ぐ様に空気を吸った。
「……あぁ、だが、殺すなと釘を刺されたのだったな。仕方ない。早々に終わらせて戻るとするか。アイトからの伝言だ。いいか、反論も質問も受け付けない。黙って聞け。一騎討ちに横槍を入れた男の身柄は双翼の剣で預かり、調査もこちらで行う。男の背後に誰が居るのか分かり次第、諸ともこちらで処理するからお前達は一切の手出しをするな、という事だ。あぁ、そちらの立会人として、一騎討ちの相手……名は確か、スウェンとか言ったか? そいつを暫く借りるそうだ」
使い魔の言葉が終わると同時にスッと闇が引いていく。
「……っは、」
息苦しさからの急な解放に思わず咳き込んでしまったディルス達が机上に目をやれば、先ほどまでそこに居たはずの黒猫の姿はもう無くなっていた。
「諸とも処理……」
使い魔の言葉を繰り返す誰かの声にベラントとマーダルが顔色を青く染め震えていた。




