第5話 巷でよく聞く話
「ほな、さっさと用事済ませてしまおか。魔物小屋はどっちかな。」
昨夜なぜかあまり眠れなかったセロは、眼をこすりながら宿を出た。しかしセロの気分は高揚中だ。肩の上の友人を名実ともに相棒とするため、ジローナの手書きの地図を見ながら大通りを歩いていく。
(自分がいるのはこの棒線の辺りやから…うんっ、全くわからんな。)
ドンッ!!
「…ぃ…ったぁいわね! アンタどこ見て歩いてんのよ!!
このプリシラ様が怪我でもしたら、どう責任とってくれるの!?」
前を見ずに歩いていたら、可愛い女の子とぶつかってしまう。なんて話は良くあるもので、セロもそんなお約束を破らない。
もちろんセロが悪いのだが、衝撃は相手よりも大きかったようで、地面に尻餅をついてしまい、尾てい骨に痛みが走る。
「えらいすんません。大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけがないでしょ? ひょろ長いアンタでも、装備含めて、体重100kgは超えてるのよ! 普通、そんなものがぶつかってきたのに大丈夫とか聞く?」
見た感じ、ピンピンしているプリシラだったが、ものすごい剣幕でセロに迫ってくる。気弱なセロはそんな剣幕に威圧されて、一気に表情が暗くなると、唐突に地面に頭をこすりつけて、周囲が若干引いてしまうほどの勢いで何度も何度も謝り始めた。
「すんません。ホンマにすいません。すいません…。」
そんな光景に道行く人々の足が止まる。
「ちょっと、こんな大衆の面前でそんなにペコペコしないでよ。 まるで私がアンタを責めてるみたいじゃない! 本当に、どこまで迷惑をかければ気が済むのよ!」
大通りのど真ん中で、高価そうな服で着飾ったプリシラは世間体を気にしているのか、周囲の哀れみがセロの方に集まっていることを知ると、そんなことまで責任を押し付けてくる。
そんな無用の責任に対してまで、謝り続けるセロは青ざめた額に汗を浮かべている。
「あっ、、アンタとは、二度と関わりたくないわ! 私の前から消え失せて!」
…。
その異様な光景に、プリシラが根負けしてしまったようだった。
プリシラは、お決まりのセリフを吐き捨てて嵐の様に去って行った。
「すんません…。」
未だに尻餅をつきながら、プリプリ去っていく後姿に頭を下げ続けるセロ。
プリシラは気分だけでは飽き足らず、いろんな所をプリプリさせながら消え去った。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
そんな冴えない表情で、いつまでも起き上がろうとしないセロを気遣ってくれたのか、十歳前後の獣人の男の子が手を差し伸べてくれていた。
あちこち破れた袋のような布を頭からかぶり、腰布でしばっただけの衣服を纏った少年は、体中薄汚れていて本来の体毛の色がわからないような姿だった。
天に向けて突き出た耳や、その全体像から少年が猫の獣人であることはわかる。
セロは先程の衝撃から抜け切れていないのか、新たに現れた衝撃をなす術なく見上げる。
「なんだよっ、お前も獣人なんかには触れたくないってのか!?」
呆けたようにこちらを見たまま、差し出した手を取る様子のないセロに、獣人はぷるぷると震え始めていた。
「すんません。少し、動揺しとりました。」
またもや頭を下げながら、それでもどうしても気にかかったのか、言葉尻を少年に問いかける。
「あの…“お前も”ってどういうことですか?」
「見りゃわかるだろう! この街じゃ獣人は差別されてんだよ!」
「あっいや! すいません…。」
聞いた自分が馬鹿だった。
ユグドラシルは人間族の街である。人外である獣人族は差別されているのだろう。昨日の酒場で奴隷にされている獣人族を見たのだから、理解しておくべきだった。
まともな仕事にも就くことが出来ないで色々と苦労しているに違いない。動揺していたことなど理由にならない自分の愚かさに恥じ入りながら、セロは目の前の男の子に同情の視線を送る。
「あの違うんです…。僕は、この街来たんも初めてやったしで、しかも色々と重なってしまって…。どっちにしろ、失礼でした、すんません。」
素直に謝りながら、自力で立ち上がろうとするセロ。少年は獣人である自分に対してまで低姿勢を保つセロに、頼りなさやら違和感やらを覚えながら、起き上がろうとしているセロに手を貸した。
「けっ、田舎もんかよ。」
「おおきに。ホンマにいきなり失礼なことしてすいませんでした。」
「もういい! こっちも悪かったよ。」
少年はまだ、イラだっているような顔付きではあるが、ずいぶんと親切に接してくれた。セロの背中や尻についた土埃まで払って、立ち去り際に忠告までくれるのだ。
「お前よ、この街が初めてだってんなら、さっきの女には気をつけな。見た目が良くても中身はとんでもないからな。」
路地裏へと消えていく姿を感謝の気持ちで見送るセロは、大きなため息を吐き出す。なんだか一気に色んなことが起こって少し疲れたようだ。
落ち込んだ気分を慰めようとしたセロは左肩に手を伸ばす。そして、いつもの場所にローザがいないことに気付く。
「あれ?? どこいったんや?」
何度振り返っても左肩にローザはいない。
怒涛のように訪れたテンプレイベントに心を奪われ、大事な友を失念していた。初めての街で、一人ぼっちの心細さ。落とした地図も拾わずにセロは大通りを駆け出した。
「ローザ!! ローザ!! どこや! どにおるんや!!」
大声でローザの名前を叫びながら大通りを駆けていくセロ。差し詰め愛しい恋人と逸れたようなその行動に、何があったのかと道行く人が振り返る。
そんな周囲の目など意に介さずに、叫ぶ様に名を呼びながら、ローザを探す。
「おった! 何しとんねんな。勝手にどっか行ったらアカンやろ。」
大通りを真っ直ぐ走って辿り着いた所。そこは、縁日のように屋台が立ち並ぶ場所だった。
すぐ目の前にはこの街の象徴である世界樹がそびえたっている。この街の需要を支える世界樹のダンジョン、そこを訪れる者を主な客層としている屋台達だった。
セロは異世界の情景などには目もくれずに、やっと見つけたローザへと近づく。
見つけた安心が勝ったのだろう。叱るというよりも、無事を祝うような優しさで投げかけられたセロの言葉だったが、そんな声を聞いてもローザはこちらを見向きもしない。
「どうしたんや? 僕、何か怒らすようなことしたか?」
そんな態度にオドオドと不安になるセロ。とは言っても、ローザの機嫌が悪くなるようなことなど、朝から構ってやれなかったことぐらいしか思い当たる節がない。
きゅ~...
やっと振り返ったローザは屋台に売られている串焼きとセロの顔を交互に見ながら、物欲しそうな声を出す。
すぐにでも宿から離れたかったセロは朝食もとらずに街に出ていた。昨晩のローザは寝入ってしまった為に、晩御飯も食べていないことになる。
「あぁ…、確かに小腹減ったな。よっしゃ、僕がナンボか買うたろう。」
自分が何かしたわけではないことに心底安心するセロは安堵のため息を1つ吐き出して、屋台に向かって歩きだした。
セロの皮鞄の中には草原でとってきた赤い果実が沢山残っている。
しかし、腰のクリスタルにはジローナから貰ったお金が、たんまり入っているため、使役登録費や当分の宿泊費用を差し引いても大金が残るのだ。
一本たったの10Gのくせして、やたらと美味しそうな香りを放つ串焼きに、財布のヒモが緩むのも当然だろう。もちろんそこにローザへの優しさが含まれていることは言うまでもない。
「おっちゃん、取り敢えずこのタレのやつと、赤い香辛料がかかっとるやつを二本づつ包んでぇな。」
「あいよっ! このガラシがかかってる方は辛めだから気をつけなよ。
一緒に飲み物でもどうだい? セット価格で一つ10Gだよ。」
「ほなそれも二つちょーだい。なんぼや? 60やな?」
「おうよ。クリスタルをそこに当ててくんな。」
愛想の良い店主は、商品をその場で食べれるように紙に包みながら、店に置かれたクリスタルを指差す。
「あれ??」
「どうかしたかい?」
「…クリスタルがないっ!?」
支払いを済ませようとしたセロが焦る。ついさっきまであった筈のクリスタルがそこにない。言うが早いか、商品を手渡す店主の腕がすぐに引っ込んだ。
「お客さん、タカリかい? 悪いがウチはタカリも物乞いも通用しないよ。金がないならさっさと帰んな。あんまり長居してっと衛兵を呼ぶぞ!」
ニコやかだった店主の表情が一変する。もはや客とは思わず、疑わしそうな目で睨みつけてくる。
「ちゃうんや!! 昨夜の支払いん時にはあったんや! それやのに…。どこいったんや?」
身体中をまさぐりながら、クリスタルを探すセロ。大きさ自体は手に握って隠れるぐらいだから何処かに間違えてしまい込んでしまうこともあるだろう。
「ははぁ~ん。兄ちゃん誰かにブツかったな?」
そんなセロの姿を見てか、店主の疑いの目が可哀想な被害者を見る目に変わる。
「えっ!? …あの女かっ!!」
店主の言葉にセロの頭は素早く回る。
いや、遅かったのだろう。頭の中に入っている、多くの物語のことを考えるならば、もっと早くに気が付いていてもおかしくない。
「女? いやいや、俺が言ってるのは、この街が初めての旅人ばかり狙う、小汚いヨツアシの事だよ。」
「…獣人のことか? でも、あの子は優しかったで? あっ! …あの時か…。」
店主に話しながら思い出す。
あの獣人は優し過ぎた、怒りながらも土埃を払ってくれるなんて。体の土を払うふりして懐のクリスタルを抜かれたに違いない。
「そうそう。そいつはキバってんだが、ここらじゃ有名な盗人だよ。あんたもこれからは気をつけな。」
盗まれた金は諦めろ。
そんな空気を醸し出す店主だが、セロには諦められない理由があった。あと二日以内にローザの使役登録を済ませてしまわなければならないのだから。
「アカンねん! 僕は…、使役登録をせなアカンのや! 金が要るねん。」
必死の形相のセロ。
使役登録といえば、かなりの費用がかかることは誰でも知っている常識だ。そんな大金をスラれたセロに、哀れみの視線が向けられる。
「そうか、兄ちゃん残念だったな。
…。そんだけ大金なら、もしかしたらあそこに行ってるかもしれねぇな。」
「何処や!!? 何処に行ったら会えるんや!?」
そんな屋台の店主がつい洩らしたような僅かな希望に、身を乗り出してセロが詰め寄る。屋台の中にまで入ってきそうな勢いに、店主は迷惑そうな顔で戸惑っていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 兄ちゃん落ち着きなって。店の中にゃ、クリスタルはねぇんだからよ。」
「すんません。それでも探さなアカンのです。教えて下さい!」
「まぁ、いるかどうかはわからねぇけどよ…。」
「それでもええ!! 可能性があるなら、そこに行く!」
「だから、落ち着きなってば。大金手に入れたなら薬屋に顔出すかもしんねぇよ。」
「っく…薬屋!!? …マジでか…。」
薬屋と聞いて戸惑うセロ。
なぜ戸惑うのかがわからない店主は、少しマユを上げた。
「それで! それは何処ですか!?」
セロが何に悩んでいたかは知れないが、屋台の店主は薬屋までの道のりを教えるのだった。
ここまで読み進めて下さった皆様、本当にありがとうございます。
今後は更新日を月曜日と木曜日の週二回に変更します。
時間は不定です。
体力が続く限りはこの日程で頑張りますので、これからもどうぞよろしくお願いします。