第2話 吐物と涙と鼻水と
「良かった、ステータスウィンドウは消せるみたいや。」
赤い果実が実る木を背に、セロは“自分”を確かめていた。
セロは私たちが住む世界と似た世界から、最近話題の死後転生でゲームの様なこの世界に来たばかり。この世界で気が付いてからずっと視界の半分を覆っていたステータス画面は、意識するだけで出し入れが出来るようだった。
ステータス画面には以下の情報が表示されていた。
名前:セロ・ポジテ
種族:ヒューム
職業:戦士
年齢:16
LV:11
HP:248
MP:13
力:36
魔力:11
防:22
魔防:13
素:14
運:20
「戦士かぁ…。まぁ、ソロプレイするには丁度ええわな。」
特に人間不信というわけでも、コミュニケーションが苦手というわけでもなかったが、生前、人間関係で失敗したセロは、いきなり誰かとパーティーを組むということはしたくなかった。そういう意味では戦士は、理想的な職業であるだろう。
なにせ、たいていのゲームでは戦士は前衛をこなせるだけの体力と力があり、物によっては、簡単な回復魔法まで使えてしまうのだから。
セロは前の身体よりも若干、視界の高くなった目線で新しい身体を眺める。指は長く細いようだ、指だけでなく全身の線が細く感じる。
「お前のご主人は、どんな人なんかな?」
セロは異世界で初めて出会った生き物、全身真っ白の小ドラゴンの頭を撫でてみた。されるがままのドラゴンは頭を包むような手の中で目を細めている。
初対面でこんなにも人懐っこいのだから、人か何かに飼われていたに違いない。周囲に人影が見えないから、出会ったばかりの小ドラゴンの為に、主人探しの旅に出ようというのだ。
「さてと、ほな行こか。」
セロは木の上から見かけた街を目指して歩き始めた。
左肩には小ドラゴンが此処は自分の居場所なのだ! と言わんばかりにドシッと座っている。
街まではそう遠くない。
早ければ今日の夜中には辿り着くはずだ。セロはお気に入りになった果実を頬張りながら、思考を巡らす。
何かしらの動物の皮で出来た鞄の中には水気たっぷりの赤い果実がいっぱい入っている。
それを確認したセロは、水筒代わりの皮袋が空なことすら気にならない。
異世界ライフはとても順調なように思えた。
なぜだか、今までの人生でこんなに楽しい日は一度も無かったんじゃないかという程、陽気な気分でズンズン進んでいく。
そんなセロの前に、初めてのモンスターが姿を見せる。
「ウサギ…?」
現れたのは、額の中心に一本の角を生やしたウサギ。見るからに初心者向けのモンスターであったことに胸を撫で下ろすセロ。
「僕はレベル11やから、多分大丈夫やよなぁ…?」
少し不安気に小ドラゴンに意見を求めるセロ。
無邪気な笑顔が返って来た。
生前の知識では魔物同士は、出会った瞬間にその優劣を判断するという。その知識がこちらの世界でどれほどの意味があるのかもわからないのに、不安を振り払うような笑顔で安心しきったセロは、意気揚々と腰の剣を抜き放った。
「ちぇいっ!!」
なんとも気の抜けるような掛け声で、試しに一刀振るってみる。
そんなためらいがちで、単調な攻撃にも関わらず、一角ウサギは避けることも出来ずに切り裂かれる。
たった一撃で命を絶たれた一角ウサギは、数百の輝く塵となって消えていった。
「余裕やないかっ!」
キュピ〜!
思っていたよりも簡単に勝利を掴んだセロは、すぐに調子に乗る。それを増長するように小ドラゴンも喜びを表現している。
「こら、ここらのモンスターは僕の敵やないな。ん? でも、どないしたらええんや?」
キュピ〜?
調子に乗っているセロだったが、てっきり、戦闘後の経験値やら何やらがウィンドウに表示されると思っていたために、ファンファーレすら聞こえてこないこの状況に戸惑う。首を傾げるだけの小ドラゴンを見つめても真っ当な返事は返ってこなさそうだ。
「ドロップアイテムとかも落ちてへんしなぁ…。」
ゲームでは、モンスターを倒せば経験値と、アイテムが手に入るのに、地面には何も落ちていない。戸惑いながらも、とりあえずウィンドウを開いてみるセロ。
アイテム欄の中に目的の名前が見つかった。
「さっき見たときは薬草三個しかなかったから、これが手に入ったアイテムか!」
“ウサギの耳”それがセロ初めての戦利品だった。
画面の名前を眺めていても仕方がないので、頭の中で出て来いっ、と意識してみる。
ポンッという小さな音と共に、コスプレに使いそうな、ウサギの耳が現れた。
「これはさすがに装備したないなぁ…。」
ゲームの中で可愛い女の子に装備させるならまだしも、男の自分が身に付けて歩くとなるとかなりの抵抗があるその一品。出してみたのは良い物の、この長い耳をどうしてやろうかと、悩みはじめる。とりあえず、こんなウサギの耳を掴んだままの滑稽な姿で街に行くわけにはいかない。セロは、戻れっ、と意識してみる。またも、ポンッという音と共に、ウサギの耳は姿を消した。
「こりゃ便利やな。」
手軽な使用法に小さな幸せを感じるセロ。そういえば、果実で一杯にした皮鞄が、それ程重くなっていないことに思い至る。
「あれっ??」
様子を見ようと蓋を開けたのだが、鞄の中には何もない。
何処かに消えてしまったのだろうか?
セロは鞄を開いたままで、果実よ出てこいっ、と意識してみる。
「おぉ〜!!」
暗闇の中から赤い果実がにゅ〜っと現れる。ウサギの耳も同様の方法で鞄の中に現れた。
「そうかっ!データ化とかされんのやな!重さとか、容量とかも気にせんでええんか!めっちゃええやん!!」
不思議な現象を以前の知識に照らし合わせて無理矢理納得する。セロにとってはとてつもなく便利な代物である。
そんな、何処かの青タヌキが持っていそうな一品を手に入れた喜びで、小躍りしてはしゃぎだすセロ。
肩の小ドラゴンまで、何だか楽しくなってきて、一緒に踊り出す。
「よっしゃ! ピンクのドアよ出て来いやっ!」
大声で叫びながら、背中を反らせて、プロレスでも始めようかというポーズを決めるセロ。セロと一緒に背中を反らせてポーズを決める小ドラゴン。少し恥ずかしくなったのか、頬をピンクに染めている。
小ドラゴンの頬以外には、何処にでも行けそうな扉も何も、ピンクの物は出て来そうにない。手に入れた覚えがないのだから、当たり前である。
「ハハハッ。やっぱ無理やわな。」
最初から無意味とわかってはいても、こんな不思議な異次元カバンを手に入れたら誰もが試してみるに違いない。
その後も竹製のプロペラやら、大きさを変えるライトやらの秘密道具の名前を連呼してみるセロだったが、やっぱり何にも出て来なかった。
「oh〜!! 心の友よぉ〜!!」
ピンチになると聞こえてくる、非常に都合の良いセリフを叫びながら、小ドラゴンを抱きしめるセロ。
そんな喜色溢れるセロの腕の中で小ドラゴンが、大きな声でいなないた。
散々騒ぎまくっていたセロは、六匹の一角ウサギに囲まれていたのだ。
「あちゃ〜マズったなぁ。僕のレベルでイケるかな?」
さすがに騒ぎ過ぎた事を後悔するセロだったが、気分が高揚している為に、そこまで心に響いていない。
「よっこいしょ〜いちっっ!」
手始めに身近な1匹に切りかかる。
素人剣術で振り下ろしただけの一撃で、またしても一角ウサギは倒される。
続いて、2匹目、3匹目、連続で切り捨てていく。命を失った一角ウサギ達は一様に輝く塵となって姿を消していく。
「今の僕めっちゃかっこええ〜!!
誰かぁ〜、見とるか!? どや、僕かっこええやろ!?」
今のは、近くに誰かがいると思って叫んだ言葉ではない。
異世界転生を果たした自分が小説か何かに描かれていると思っての、読者に向けた一言だ。
セロの頭の上では、小ドラゴンまでもが調子に乗って、胸を張っている。
両手、両羽を広げて、揺れる頭でバランスをとる姿が可愛らしい。
「いっ……ってぇ〜!!!」
何処かにカメラでもないか探しているセロの隙を一角ウサギが逃すはすがなかった。
一角ウサギの代名詞。
その一角がセロの左足に穴を穿つ。
「痛いっ! 痛いっ! いだぃぃぃ!!!」
生前、喧嘩も骨折もしたことのないセロを経験したことのない痛みが襲う。
作者も想像していなかった、メタ的な行動をするからそうなるのだ。
はっきり言って、自分の油断が生み出した天罰である。
「何やねん…。くそっ…。」
目に涙を浮かべながら、襲ってきた一角ウサギを切り捨てるセロ。空いてる左手は皮鞄に突っ込んでガサゴソ何やら探している。
(えっと…薬草…薬草…。)
慣れない痛みで集中出来ないのか、手探る左手に、物が当たる感触がない。
残りの二匹の一角ウサギ、これをチャンスと見てとったのか、同時に体当たりを仕掛けてきた。
「うわぁぁぁぁあ〜!!」
いきなりの攻撃にテンパるセロ。
もちろん格闘技の経験などなく、カウンターのような高度な技術を使える筈もないセロは、尻もちを突いて地面に転ぶ。
さらに、左腕、右足に攻撃を受けたセロは恐怖で思考が動かなくなった。
痛さと怖さで気が動転したセロは、目を閉じると、無闇やたらに剣を振り回し始めた。
「わぁぁ〜っっ、くんな! こっちくんなぁ〜!! ばがだばじゃ〜だぁ!」
意味不明な事を喚きながら、振り回し続ける。セロの顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。
自分の声しか、聞こえなくなった今もまだ剣を振り回し続ける。
やっと何とか自分を取り戻し始めて、恐る恐る目を開く。
セロが振り回していた剣の切っ先にでも触れたのだろう、幸運にも一角ウサギは残らず姿を消していた。
「はぁっ…はぁっ…痛ぇ…痛ぇょ……。」
安心と共に、強烈な痛みがセロを襲う。心配そうに傷口を見つめる小ドラゴンを他所に、剣を放り出して薬草を探すセロ。
「これ、どうやったええねん! 食べるんかっ!? 食べればええんかっ!?そうやんな??」
涙声で誰に問いかけているのか、迷いながらも、取り出した三つの薬草を一気に口に放り込む。咀しゃくの度に薬草の苦い汁が舌を刺激する。吐き出したく成るような思いを堪えて、無理やり胃の中へと送り込む、と同時に痛みは一気に引いていった。
「おぇ〜…おぇ〜っっっ!!」
先程までの恐怖に加えて、急速に身体が癒されるという、未経験の違和感がセロの精神を痛めつける。
「ゲロロロロロ………。」
胃に入っていたもの全てが地面の上を覆っていく。それでも続く嘔吐の波がセロの胃液をも追い出していた。
「くそっ…くそっ!! 何やねん。何やっちゅーねんっ!」
ちょっと前まで有頂天だったセロは、損な役回りばかりな自分の人生を呪っていた。
「もぉ嫌や…。自分なんも悪い事なんかしてへんやんかっ!」
吐物と涙と鼻水と。
セロの顔は八割以上、自身で分泌したアレコレで覆われている。
セロはそのまま、吐物の横に寝転がり、流れるままに涙を流した。
何時間もの時間が過ぎて、やっと涙が止まった時には、顔に張り付いたアレコレは、すっかりカピカピに乾き切っていた。
キュピュルキュ〜…。
「何やねんっ!! お前のせいやぞっ! どっか行けやっ!」
泣いてる間中、そばで見守ってくれていた小ドラゴンに石を投げつけ八当たる。
キュピュ〜…。
ひょいひょい石を避けながら、それでもセロから離れようとしない小ドラゴン。
「…何やねん…。」
もはや手元に手頃な石がなくなって、静かに仰向きになるセロ。
小ドラゴンがセロの手に優しく顔を摺り寄せる。そんな小ドラゴンに八当たりしていた自分が酷く小さな人間に思えてしまう。
「…ゴメンな。自分は悪くないもんな。当たってもぉてホンマにゴメン。」
胸の上まで連れて来て、何度も何度も謝るセロは、今度は自分の小ささに涙を流し出す。
小ドラゴンはずっと体を摺り寄せて、泣きじゃくるセロを慰めていた。
関西では(大阪だけかも)一人称も二人称も「自分」と表現することがあります。
慣れない方には分かりにくいと思いますが、文脈から判断して下さい。