第18話 冤罪
「なんだボロボロだな」
「はい。愚かにも逃げ出そうとしやがったんで、ボコボコにしてやったんですよ。」
セロを見たミラーシアは顔をしかめる。死んでいてもおかしくないほどボロボロの人間がいたからだ。神に仕えるミラーシアは生命力に関するプロである為、セロが瀬戸際にあるだけで死んでいないことはわかるのだが…。
「ふん…話が出来ないではないか。」
「あっ…いや。」
ミラーシアはみるみる不機嫌になっていく。自分の思い通りにいかぬことが許せない質のようだ。
「…まぁいい。」
どうすれば良いのか分からず、あたふたしているザーマを横目に、セロに近付いていくミラーシア。
セロの項垂れている頭に、そっと手をかざしたミラーシアは神に祈る。ミラーシアの手から黄金色の光が溢れ、セロの中に吸い込まれて行くようだった。
「…ぅ…。」
ザーマは目を見張る。
それは噂に聞いていた神の奇跡の体現だった。ミラーシアの手から溢れた全ての光がセロの中に消えていったと思うと、その身体中にあった傷が全て消えてしまったのだ。
ヒューヒューという苦しそうな呼吸音もしなくなり、変わりに呻くような声が聞こえた。内臓にも何かしらの傷を負っていたはずだが、それも癒されたのだろう。
「あっ…ぅ…。」
「目が覚めたか? お前の名前は何だ?」
「…。」
「答えろ!」
「…セロ。…水。」
「セロか…。セロ・ポジテか!?」
「…み…ず。」
「衛兵、水を持って来い。」
「あっ、はい!」
気が付いたセロは視界がボヤけたまま、目の前女性を眺めている。
自分が衛兵に捕まったことを思い出し、自分が身に覚えのない罪を被せられた事を思い出した。身体を動かそうとしたが、手足が縛られているようで動かない。ボーッとした頭ではあったが、目の前の女性が自分に詰問していることは分かった。
自分の言い分を通す為にもなるべく丁寧に質問に答えたいが、喉が言うことを聞いてくれない。カラカラに渇き、口の中には血の味がしていた。
「お待たせしました、水です。」
「飲ませろ。」
ザーマはセロの顔を上げさせると水を飲ませる。
セロは注がれる水を口に含み、身体に染み込ませるようにゆっくりと飲み干した。
「答えろ、お前の名前はセロ・ポジテか?」
セロが水を飲み干したことを確認したミラーシアは、すぐさま詰問を再開する。
「ゴホッ…そうや、僕はセロ・ポジテや。せやけど、クーデターなんか企んでへん。」
「クーデター…?」
「はい。こいつは粗野な性格のようで商組合と問題を起こしていた奴なんですが、詳しく調べると獣人共と危険なことを企んでいるようなんですよ。そして、エルダ教会の馬車強盗があったとの連絡を受けて、怪しげなこいつを捕まえたわけです。結果、荷物を調べれば奪った教会への供物を持っていた、ということです。」
「馬車強盗なんてしてない!」
クーデターだけでなく、馬車強盗とはどういうことだ。どれほどの罪を被せられなければならないのか、セロは焦って否定した。
「黙れ! …衛兵、馬車強盗の供物とはさっき机に置かれていた物か。」
「その通りです。」
「…アレは供物として聖王都へと送ったものではない。しかも…まぁそれは良い。こいつが獣と馴れ合っているのは本当か?」
「はっ? それはええと…強盗犯はコイツではないと?」
「そうだ。それで、コイツが獣贔屓というのは本当か?」
「…あっはい! そちらは間違いありません!」
「そうか…。」
ただ二人の話を聞いているだけのセロだったが、成り行きがてらに強盗犯の冤罪は消えたようだった。それは嬉しいことなのだが、この女性のことが気になってきた。教会の関係者らしき着衣を着ているし、馬車の中身を知っていたならば、教会の中でも偉い人なんだろうけど、ならそんな人が自分に何の用があるのだろうか。
「セロ、お前の目的はなんだ?」
「目的…?」
「そうだ何の為にユグドラシルへやってきた?」
この女性は今の所セロの立場を良くしてくれている。出来るならばこのまま無罪放免にまで持っていってもらいたい。しかし、質問の意図が掴めない。目的…、セロにとっての目的など一つしかないのだが、それを知って女性に得があるのだろうか。
「平原で拾った子ドラゴンの本当の飼い主を探しに来たんや。ここで見つからんかったら他の街に行くつもりや。」
「ドラゴン?」
「はい、確かにこいつはドラゴンの子どもを連れていました。今は馴れ合っていた獣人に預けていたようですが。」
「…それを信じろというのか?」
「えっ? いや、確かにドラゴンは珍しいですが…。」
「お前じゃない、セロに聞いているのだ。お前の本当の目的は何だ? 何の為にこの街に来た? 馴れ合っている獣どもと何を企んでいる!」
何やら女性の怒気が上がってきた。何を答え間違えたのか、セロの思惑とは違う流れになってきている。
「何のことか僕にはわからん。僕は何も企んでない。ホンマにローザの主人を探しに来ただけや!」
「…ふんっ。まぁいい、お前がそう言うならばそれでも良いだろう。どうせ…。」
その時、開いたままの扉から新たな衛兵が入ってきた。
「お前達! 何をしている!?」
突然セロの牢屋に入ってきた男は、ミラーシアがいるのを確認した後、鋭い声で叫んだ。輝く甲冑に身を包み衛兵というよりも騎士といった趣きの男は、ミラーシアの後ろに隠れているザーマを睨み付けた。
ザーマは何故睨まれているのかがわからないといった様子で、おそらくは上司であろう男の目線に入らないように、コソコソとしている。
「マル自衛団長! この方はエルダ教の司祭様でミラーシア様です。私がこちらまでご案内しておりました。」
しかし、明らかにマルには気付かれており、マルが怒る理由がわからずとも、サボっていたわけでは無いので、そのことを先に伝えてしまえば、怒りの溜飲も下がるだろうと、ザーマは胸を張って前に出た。
「馬鹿者が! お前は上に戻っていろ!」
「えっ?」
「さっさとしろ!」
ザーマの中ではこれで大丈夫だったはずなのに、マルは余計に怒りを増した様子であった。ザーマは首を傾げながら上へと戻る。きっと相方のジルスからその理由を聞けることだろう。
「貴方が先日この街の教会に新しく着任されたミラーシア様ですかな。」
「その通り、教会の馬車強盗犯を直接問い詰めてやろうと、ワザワザやって来たのだ。よろしく頼む。」
セロは、何が何やらわからないまま目前で繰り広げられる言動を見守っていた。自分に有利に働きそうなものは瞬時に利用してやろうと、それこそ命懸けで様子を見ているのである。
マルが入ってきた瞬間、ミラーシアは確かに苦々しい表情をした。それは野風が吹き去る程度の僅かな時間であったが、決してセロの見間違いではない。
しかし今は開き直っているのか、全く悪びれない態度でマルと向き合っている。
「着任されて間も無い為、今回の事は大事にはしない。しかし、今後はこういった行動は慎んでくれ。」
「何のことだ?」
マルはとぼけるミラーシアに怒りを抱く。
いくら司祭が聖騎士に並ぶ技量を持ち合わせていたとしても、マルも自衛団長としての気概がある。また、過去の戦争では聖騎士を相手に戦ったこともあるのだ。相手が一人ならマルの実力だけでどうとでもなる。このまま殴り倒してやろうかという気持ちにもなってしまうのも当然だろう。
しかし、エルダ教会はこの大陸の最大宗派であり、この街にも信者は多く、教会からの多額の支援金も受け取っており、マル個人の感情で敵対することも出来ないのだ。
ーーだから出世などしたく無かったのだ。
マルは自身の激情だけで動けない自分の地位を恨めしく思いながら、拳を握り締める事だけで感情を抑えた。
「この街は、聖王都にも何処にも属さない独立した街だ。小さいとはいえども、その権限は一国に値する。いくら教会の司祭様であっても、自国で取り調べすらされていない犯罪者に許可なく面会することは許されないのだ。」
「そうか、知らないとはいえ、それはすまなかったな。我が国は宗教国家であるため、司祭が直接、犯罪者の抑制に当たることも多いのだ。この街でも、ついつい同じように振る舞ってしまった。許されよ。」
始めから準備されていたであろうその言い訳を憎々しく聞きながらも、マルにはどうすることも出来ない。自分で一国に値すると発言してみても、まだまだ列強諸国の力を借りねば成り立たないのがユグドラシルだからだ。
だから、ミラーシアが悠然と去って行くのを、後ろから睨めつけることしか出来なかったのだ。
「あの…僕は無実なんやけど…。」
見守り続けた結果自分にはなんら影響を与えないで、二人の喧騒は終わってしまった。
マルと二人きりになったセロは、最後のチャンスと勇気を振り絞って、見るからに虫の居所が悪いマルに無実を訴えてみたのだ。
バタンッ!
マルからの返答は、力の限りで扉を閉めることだった。
廊下の灯りが入らなくなり、薄暗くなった牢屋でセロは溜息をついた。
ーー最悪の状況は続くんやな…。
ーーー
「お兄ちゃんのバカぁ〜! セロ様が捕まったってどういうことよ!」
セロの頼りなさやら、その行動の意味のわからなさに振り回されたキバは、呆れる様に家に帰ってきたのだが…ただいまセロを見捨てたとして妹のミミに叱られていた。
「いやだって、セロが望んだことだぜ?」
何処から取り出したのか、根性注入棒で手当たり次第に殴りかかってくるミミに、無駄だと知りながら言い訳をする。
「関係ないわ! セロ様が捕まる道理なんて無いんだからね、神の使徒が捕まる事なんてあっちゃいけないのよ!」
キバの思っていた通り、意味のわからない理由で反抗してくる。言葉の一節ごとに殴り付けてくるミミ。昔の自分に引っ付いてくるだけの可愛らしい姿を思い出しているキバが切なくなってくるのは仕方がないことだ。
キバは、その後も言い訳をする度に猛威を振るう根性注入棒に耐えながら、ミミの気持ちが治まるまで待つしかなかった。
そんな騒々しい獣人街の端にある丘の上、夜の帳も下りきった闇の中にこの場所には似つかわしく無い様な“白い”防具を身に纏った、騎士のような出で立ちのヒュームがいた。
「ここの汚物収集場は広過ぎる…。あの方の言う通りだ…。」
白い騎士は眼前に広がるゴミの山を憎々し気に見ながら呟いたーー“焼き払え”ーーと。
ここには騎士以外に、もう一人の仲間がいたようだ。僅かな光をも反射する白い防具に目を取られていて気付かなかったが、闇の中に紛れる様に真黒の着衣で全身を覆った者は、騎士の言葉に頷くと静かに呪文を詠唱し始めた。
貧困地区の大半を占めている獣人街は殆どの者がボロ切れのような毛布を頼りに路上に寝ている。一部の雨風をしのげる者も、布を被せただけの家とも言えないボロ屋の中でその日の疲れを癒しているのだ。
ここには、不燃性の石材で作られた堅固な家に住む者はいない。
だから…獣人街が炎に包まれるのにさほどの時間もかからなかった。
自分が書いているのですが、少し展開が急過ぎる気がします。
もしかしたら、第一章に何話か付け加えるかもしれません。
…予定は未定です。