5話 猫のお引越し
ある朝、どういういきさつか、麗華と帆麻と愛來という珍しい組み合わせの3人組はが共に出掛けようとしているときであった。ふと、エントランスを抜けた先にトラックが停まってのを見つけて、立ち止まる。近くには志緒が立っていた。
「あれ?引越しですか?」
「あ、愛來ちゃん。そうそう、303号室に人が入るんだよー」
まず先に声をかけた愛來に志緒はおはようと応える。質問の答えもしっかりとこなし、まだ見ぬ引越し者を待っているようであった。
「正式な引越しなんて随分久しぶりじゃないの?」
「いやいやちゃんと引っ越してきた人だっているからね?麗華も愛來ちゃもそうでしょ?」
とはいっても、このエノキコーポラスは訳ありな人が多いのも事実である。某武術者であったり、指名手配犯であったりその他その他……。
「ここは異常なほど特例が多いのよ」
あはは、と乾いた笑い声で応える。普通に過ごしたい人たちにとってはそれはそれは迷惑な事なんだろう。けれど、なんだか放っておけなくて、つい志緒はそんな訳ありの人たちを拾ってきてしまうのだ。
「あ、初めまして、小林出です」
トラックの死角からヒョコッと覗いて出てきたのは、少し背の高い20代ほどの青年。なんだかパッとしない空気を纏っている。
どことなく、誰かに似ている気がする。
「………ッハ!? なんだろ。あんまり知らないはずなのに、なんか秀人さんと似てる気がしてしまった」
その志緒の言葉に、麗華も重ねる。
「なんかあの地味で幸薄そうなトコが似てるのよね……」
「愛來ちゃんはどう思う?」
急に振られた愛來は驚いたように顔を上げ、しばらく考えるように俯いた。
「秀人さんって……誰ですか?」
「知らないの?! お向かいさんなのに?!!」
ようやく出てきた言葉には驚きを隠せない志緒であったが、確かに秀人はかなりの引きこもりであり、コミュ症でもあり、そのため日中で外に出ることなど皆無である。愛來があったことをがないも言うのも、仕方のないことかもしれない。
「あの……」
「あ、ごめんなさい! えと、私がこのエノキコーポラスの管理人、桜志緒です」
置いてけぼりを食らった出に慌てて頭を下げる志緒。出はこの若い女子大生が管理人だということに驚いているようであった。
「若いのに管理人なんですか、大変ですね」
「いえもう慣れっこです」
何に慣れっこかというとそれは日々のトラブルやトラブルやトラブルなのだが、それは今ここで語るべきことではないだろう。それはすごいと感心している出に少し照れ笑いながら、後ろで控えている3人の紹介も忘れない。
「で、こちらにいるのが同じ3階に住んでる乾愛來ちゃん。で、こっちが2階に住んでる加藤麗華ちゃんと舟渡帆麻ちゃん」
はーい、ホマホマ!と帆麻はお決まりのポーズを決める。国民的アイドルまでもが住んでいると知って出もかなり驚いているようだ。けれど、見た感じ彼は一般常識を兼ね揃えた一般人のようである。その事に志緒は少なからず安堵した。
別に非常識人が嫌いなわけではない。しかし、あまりにもそればかりだと持たないのだ。心と体が。
「まだ後何人かいますけど、また後に紹介しますね。それで、一応注意事項を」
「はい……?」
志緒のその言葉に多少警戒心を見せた出であった。それを見て、なんだかこんな大問題なマンションに住まわせることことが申し訳なく感じる。本当はもっと普通のところに越した方が良かったんじゃないか。物件はちゃんと訳ありと記載されていただろうか。
「ここの住人はみんなの変わり者ですが決して悪い人ではありません。本当です。ただ、ちょっと慣れないだけで……。なので、そこら辺はご了承ください」
「はあ……」
なんだかよくわからない、というような溜息のような返事が、出の口から漏れた。それを見て、志緒も困ったように頭をかく。
「愛來ちゃんも最初とーっても戸惑ってましたが、今はかなり戸惑うぐらいになったんで直に慣れますよ」
ね、と愛來に向けば、目を反らしながらそうですね、と返事が返ってくる。
「麗華ちゃんもだいぶ慣れた、よね……?」
「私の場合は、平穏な生活を諦めたのよ」
この言葉に、出の顔が不安そうに歪んでいく。ら
「だ、大丈夫ですからっ!」
志緒が慌ててそう言っても、出の不安そうな顔は変わらなかった。
とは言っても、もう越してきてしまったのだから、ここに住むことには変わらない。出はエントランスを抜けて1階へと向かう。すぐに階段を見つけ、自分の部屋のある3階を目指すために階段を上がろうとした。が、しかし。
「わりぃ!」
その声が聞こえた瞬間、一本のナイフが壁に突き刺さった。ピリッとした痛みに頬を撫でると、滲んだ血が指に付いてくる。思考が着いていけず、固まる出。
「すみませーん!大丈夫ですかー?」
そこににゅっと顔を覗かせたのは、何を隠そうこのナイフを投げた張本人であった。ああ、怪我してますよなんて言って数あるポケットからスッと絆創膏を取り出すと、ペタッと貼って、
「では、気を付けてくださいね!」
とか言って去って行く。遠くからは、お前いい加減周りを巻き込んでることを理解しろよいやあなたが除けるからいけないんでんすよ普通よけるだろ殺されそうなんだからなどという、物騒極まりない会話が聞こえてくる。
「な、なんだったんだあれは……」
「ーーーあら、今度もまた可愛い子じゃない」
突然の声に、出は体を強張らせる。いつの間にか目の前にいた女性からは、何というか香水の匂いというよりも妖艶なフェロモンが漂ってくる。
「私の部屋に来ない?お姉さんが可愛がってあ・げ・る♡」
スルリと肩に両手を乗せて、そっと体を密着させてくる。クラっとくるその雰囲気に、出は頭が真っ白になった。その時、
「美世さん、独り占めは良くないなぁ」
今度は背後から声が聞こえた。首だけを後ろに向けてみると、そこにはモデルか俳優並みの超イケメン美形な青年が立っている。
「そう?じゃあ二人とも纏めて可愛がってあげるわよ?」
「それも魅力的だけど……。生憎、僕は可愛がられるより可愛がってあげたい派だからね」
空いている肩に手を乗せて、スルスルと頬を撫でてくる。その指の動きの滑らかさと言うから何と言うか。今まで経験のない状態に、出はもう思考停止状態だ。
「おい、二人とも。初心者にはそれは辛いだろ」
そこには現れた救世主。3階から降りてくる途中のその男はがっしりした体格に少し厳つい顔付きであった。狭い階段をその大きい体をくねらせながら出を二人から引き離す。女性の方は少し不服そうに腕を組んでいたが、男性はやれやれと肩を竦ませると、自分の胸元を探り始めた。
「ホマホマの限定ブロマイド」
「っなに!?」
男が取り出したのは、先ほどあったアイドルホマホマのブロマイド。限定品らしく淵はキラキラに光り輝いていて、限定衣装なのかミニスカ風の着物にニーハイソックス、鮮やかな色合いと引き締める黒のブーツが目を奪う。裏返すと今度は幼さも感じさせるようなビキニの水着に大きな浮輪を持って、頭の高い位置にお団子で髪を結んでいるホマホマがいた。
「今回はこれで見逃してくれよ」
これ見よがしにヒラヒラとそのブロマイドを揺らしている。まさか、この強面でガチムチな男がそんな物に惹かれるわけが無いだろう。ロリコンでもあるまいし。出はやっと動き出した脳であれこれ考える。チラリと隣の救世主を見てみると、
「仕方が無いな。今回だけだぞ」
「!?」
対して悩むそぶりも見せずに即答しやがった。今度こそ出は頭がショートする。ブロマイドを受け取った男は嬉しそうに階段を降りて行った。何も考えずに、その後ろ姿を見送る。残されたのは、恐らく変態の2人と自分だけだ。
その時、思わぬ救世主が現れた。音も立てずに階段を昇ってきたそれが、出に飛びついてくる。ほぼ反射で受け取ったのは、クリクリの目をした黒猫であった。
「ごめんなさーい!またうちの子が脱走しちゃって……」
それを追いかけるように、1人の女性が階段を上がってくる。一見、普通の女性のようだ。大きな猫が描かれているパーカーが目に留まる。
もしも、その女性も変態であったら……。
出、猫を拉致って逃走。その速さ正に光の如く。
「わ!」
あまりの速さに、恐らく猫の飼い主であるその女性は驚いて声を上げる。変態の2人は、楽しそうに見守っていた。そんな声なんて、出には聞こえてはいなかった。
「ちょっとー!うちの子返してよー!!」
子どもを奪われた母猫が、虚しく階段に向かって鳴いてみるが、返事は返ってこなかった。
その日から、出の受難な毎日が始まった。いつまでも猫を拉致しているわけにもいかないもので、返しがてらに挨拶回りをすることを決めた出。部屋から出る度に左右確認前後確認など厳重警戒をしている様はまるで軍人のようだ。途中出会った志緒に事情を説明すると、申し訳ないと土下座をする勢いで謝られ、ついでに挨拶回りの手伝い(つまりボディーガード)をしてもらうことに。まあ、それはほとんど意味をなさなかったが。
ある日、颯のセクハラに合う(尻を撫でられる。本人曰く「挨拶代わり」)。
ある日、ユースと彰の殺し合いに巻き込まれる(彰の拳がこめかみにヒット。4時間昏睡状態になる)。
ある日、ホマホマファンクラブにもみくちゃにされる(一緒に買い物中、出待ちしていたファンに)。
ある日、麗華の愚痴に付き合わされる(たまたま廊下で会った麗華に連れられ8時間)。
ある日、美世に拉致されかかる(間一髪のところで総悟に救われる)。
ある日、秀人と間違われる(やっと部屋から出たのかとえらく感動され言うに言えず1日そのまま)。
などなどなどなど……。
それから数日後のバイト先の帰り。これからあんなところで生活なんて、やっていけるのか。不安だ……。などとため息交じりに思いながら、仕事帰りの道をトボトボと歩く。本来、仕事が終わり、やっと家に帰ってゆっくりできると喜ぶはずであるその時間は、その帰る場所がエノキコーポラスなだけでこんなにも重く暗く苦しいものになってしまうのか。いつもよりもとおまわりをして意味のない抵抗を試みるが、そんなものは本当のところ本当に意味のないのもな訳で。ただ歩き疲れるだけである。
そのとき、ふと目の前に猫が通った。手入れされて綺麗な白い毛が月明かりに光り輝いて、赤い首輪がピンポイントになっている。あっと顔を上げた出と、一瞬目があったかの様に思えた。
「!?」
ぴきーん!その瞬間、出の中に何かが流れ込んでくる。それは甘酸っぱい果実のようで、うっとりとするように歌声のようで、雲の上から見下ろす世界のようでもあった。
まあつまるところ、一目惚れというやつである。
白猫は目が合った瞬間、慌てて走り去って行く。その後ろ姿をしばらく見つめて、見つめて、見つめて。出も突如走り出した。
「あ、あの、志緒さん」
「な、なんですか?」
帰ってくるなりガシッと肩を掴んでゼーハーゼーハーと肩で息をしている男を目の前にして、驚かない人はいないだろう。それでもちゃんと対応してあげるのが、志緒の良い点でもありもっと厳しくしても良い点でもある。
「ここら辺で、白猫って見たことありませんか?」
その問いに、志緒は少し考え込む。正直、猫の事なんてあまり気にしたことはない。近所にはあまり人は住んでいない。一軒を除いては。
「ああ、先日隣に越してきた老夫婦さんの所の猫みたいですよ」
「出さんがお隣さんの白猫にゾッコンすぎなんですが」
「ホマホマ、ちょっと怖いです」
それからというもの、出は暇さえあればその白猫に会うために外を徘徊するようになった。志緒が教えた老人夫婦のうちには行く勇気はないらしく、偶然を装うために同じ道をグルグルと回っているのである。
「お隣さんとこの近くをよく通るみたいだよ」
「なんかオシャレして、恋人に会いに行くみたいですね」
最初は誰もあー猫好きなんだーぐらいにしか考えていなかったが、それにしてもその執着心である。それはもう周りがドン引きする程だ。唯一亜紀乃が猫好きなんだー、私と一緒ー!と言っているぐらいだ。
そんなことも気にせずに、出は今日も意中の猫に会うためにおめかしして出かけて行く。
「うーん。つまり、エノキコーポラスには変人しか集まらないってことなのかなあ」
その後ろ姿を見ながら、ため息とともにつぶやいた志緒の言葉は誰にも聞こえなかった。
「これで3階にはバイとゲイとロリとケモナーと……変態ぞろいだ!愛來ちゃん気を付けて!!」
「は、はい……(言えない、私も同類ですって……)」




