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愉快なエノキコーポラス!!  作者: 海南 あらた
第一章、住人加増す。
3/8

2話 突撃!お師匠様!!

  ふと、少し肌寒い風が吹いた。

  やっと日が登ってきた朝。ぼんやりと、蓼丸彰は遠くの空を眺めた。たまたま通りかかった桜志緒はつい声を掛ける。

「あ、彰さん。今日は早いですね。どうしたんですか?」

「ん、志緒か。いや、ちょっとな。山に置いて来た師匠の事思い出してた」

「師匠?」

 そう、と軽く言うと、頭を掻きながら志緒に向き直る。

「ま、別に死にゃしないとは思うけどな。あいつバケモンみたいなもんだし」

「心配なんですか?」

「心配はしてないけど、寂しくないかなって。あいつきっとひとりぼっちだから」

 ふと、顔を逸らした際に見えた横顔は、少しだけ寂しそうであった。柵に頬杖をついて遠くを見つめている。

「でもなんかなあ。嫌な予感がするんだよなぁ」

 彰の視線を追って、志緒も空を眺めた。もしかしたら、彰には彼女が見えない景色が見えていたのかもしれない。または、何も見ていなかったのかもしれない。またまたもしかしたら、何かを見ている気になっていただけなのかもしれない。

  風が吹くと、寒さに二人の肌が震えた。その時は、彰は何気無く呟いた言葉が現実になるなんて思っていなかった。


  「テメ、いい加減にしろよ!」

 今朝の黄昏た雰囲気なんて忘れて、彰はただ走り回っていた。その理由はいつのも通り、自分を亡き者にしようとする犯罪者から逃れるためだ。

「今日はこれからバイトの面接があんだよ!」

「どうせ落ちますよ。それよりも私と決着を付けましょう!」

「落ちるとか言うな!」

 怒鳴りながら階段を駆け上がる。最上階である三階にまで上がると、脇目も振らずに廊下を走って行った。ユース・コックスも身軽に階段を駆けると、悠々とその後を追う。廊下はそんなに長くはない。案外あっさりと端に追い詰められてしまった彰であったが、そのまま柵まで突進して行くと片手で掴みながら勢いを付けて身体を浮かせる。

「……Wow!」

 ユースが感嘆の声を挙げる。三階から飛び降りた彰は自分にかかった遠心力を使って身体を回転させ、二階へと滑り込んだ。上手く着地を決めると、勝ち誇った様に笑みを浮かべる。

「ハッ!伊達に20年鍛えてないっての!」

 そう高らかに言いながら、勢いよく階段を飛び降りた。後はこのアパートを出て面接会場に向かうだけだ、そう意気込んで走り出すと、冷たい物が眉間にぶち当たる。よく目を凝らして見てみるとそれが銃口だとわかり、そしてそんな事をするのは一人しか思い当たらない。

「なんでテメーの方が先に下にいんだよ!」

 銃の横から覗かせた顔に向かって声を上げる。余りに長すぎる前髪に隠れて表情が読み取れないが、唯一見える口元は微かに緩んでいた。

「私だって、伊達に裏職業に就いていませんよ」

 ジリジリと追い詰められて行く。気付くと壁に背中が当たった。もう逃げられない事を悟った彰の頬に、冷や汗が出る。いつものギャグテイストな追いかけっこではなくなってしまった。こんな事なら、もう少し真面目に修行をしていれば良かったと、後悔が頭を過る。

「さて蓼丸さん、どうしますか?命乞いしてみますか?それとも、もう少しだけ頑張ってみますか?恐らくあなたのが少しでも動く前に、眉間に穴が空くでしょうけど」

「……」

「一瞬で終わらせてあげますよ。でもまあ、その前に。遺言でも聞いてあげましょう。1秒だけ」

「短っ!」

 そう叫んだ瞬間、先程よりももっと強い力で壁に押さえつけられ、彰は反動で頭を強く壁にぶつける事となった。痛みに言葉を失う。生理的に出た涙で潤んだ目を開けると、鼻先には冷たい銃口があった。そのまま目線を上げると、真っ白な長い髪の間から、獲物を狙う猛獣のような、獰猛な輝きを持った瞳が覗いている。

  彰の脳裏に死が過ぎった。

Morire(さあ おわり) ora().」

 ユースが冷たく言い放つ。

  その瞬間だ。

「---すみません」

 そう声が聞こえたかと思うと、音もなくユースの手元から銃が弾け飛んだ。突然の事に呆然とする二人であったが、よくよくみると誰かの足がユースの銃を蹴り飛ばしたようだ。

  少し遠くで銃器の落ちる音がした。いち早く我に帰ったユースは、蹴り飛ばした人物に向き直る。

「何かご用でしょうか?」

「実は人を探していまして」

 その人物は、一見普通の40代半ば程の男であった。伏せた瞼と綻んだ様な口元が感情を読ませない。一歩歩くごとに揺れる着物の裾と響く下駄の音が、涼しげは風流を感じさせた。

「そのために人の物を蹴飛ばすなんて、ただ事では無い様ですね」

「あなたこそ。人に銃器を向けるなんて尋常ではないようで」

 お互いに、表情の読めない笑顔で対峙した。未だに壁に押さえ付けられている彰は、その様子を見ることしか出来ない。

  男が口を開いた。

「山から逃げたクソ餓鬼を探しているのですが、心当たりはありませんか?目付きと口の悪い雄です」

「おい」

「あー。似ている人なら知っていますよ」

「テメー、勝手に話を進めるな」

「因みに、そのクソ餓鬼のお名前は?」

 すると、男は少し顎に手を当て、考えるそぶりを見せてから言った。

「えーと、確か……伊達丸秋太(だてまるあきた)?」

「ぜってーわざとだろ!!」

 堪えきれずに、彰が叫ぶ。途端に辺りが静かになった。数秒の沈黙の後、ユースが口を開く。

「……あ、蓼丸さん。こんなところにいたんですかー」

「テメー、一瞬どうやってボケようかとか考えてただろ」

「ああ、こんなところにいたんですか心配したんですよ?さあ山に帰りましょうか、クソ丸バカ太」

「は?ちょっと待て---ってうわあああぁぁぁ!!」

 そう言うと、男は彰の髪を鷲掴みにした。そしてそのままユースの腕から引っ張り出すと、強引に連れて行かれる。彰の抵抗など、屁でもないようだ。その様子をただ見送っていたユースだが、ハッと気が付いたように急いで後を追った。

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいよー!」

 あっという間に遠くなって行く二人の影に声をかける。しかし一行に止まる気配が無い。あー髪が痛そう、だなんて思いながら、ユースは足早に追いかけた。

  その後、二人に追いついて事情を説明してもらうのに、ユースはかなりの努力を強いられたのだった。


  五人という人数にとっては少し狭く感じる部屋に、二人分のお茶を啜る音が響いた。1人はこの部屋の主である武者小路傳藏ことじいや。もう1人は先ほどの男だ。

「はじめまして。いつもバカ弟子がお世話になっています、烏田芳柳(からすだほうりゅう)と申します」

 そう言って、正面に正座している志緒に深々と頭を下げる。とりあえずお辞儀をし返すと、どういう事? とユースに目で訴えた。

  その視線を感じたユースは、わからないと肩を竦める。

「あの、今日は一体どう言ったご用件で」

「はい。実は大変勝手ながら、今日はバカ弟子を引き取りに来ました」

 すると、今まで黙って話を聞いていた彰が口を挟む。

「俺は帰らねーからな」

 壁に凭れ、腕組みをして芳柳を睨む。その様子にため息を吐いて、芳柳は応えた。

「今回は問答無用で連れて帰るつもりで来たんです。ここでの暮らしは楽しいとは思いますが、それは山での修行を終えてからにしなさい」

 冷たい言葉だった。ここにいる誰にも有無を言わさぬその姿に、重い沈黙が流れる。彰はついに視線を逸らした。

「私に見つかったからには強制帰還ですよ。観念なさい」

 床を睨んで、クッと唇を噛み締める。もう、本当に戻らなければいけないのか。彰は駄目元だと、半ば諦めて芳柳に食って掛かった。

「きょ、強制って。俺にもチャンスくれよ!」

「ちゃんす?」

「ここに残る機会をくれってこと!」

 芳柳は考えあぐねている様子だった。後一押しと、無意識に拳を握り、彰は言葉を続ける。

「例えば、俺と勝負とか!」

 しばらく部屋中空気が止まった。呆気にとられた様に、芳柳は彰を見上げたまま固まっている。はぁ、と溜息を吐き出すと、心底呆れたように言った。

「私と彰では勝敗は目に見えているでしょうに」

「う……」

 芳柳の言葉に、彰が口ごもる。確かに、師匠である芳柳に勝てる確率なんて無いに等しいのだろう。

  そんな中、志緒が遠慮がちに手を挙げて言った。

「あのー。なら、"じゃんけん"ってどうですか?」

 キョトンとした表情で、二人が志緒を見つめる。もしかしたらこれは、と志緒とユースは顔を見合わせた。

『じゃんけん?』

 ああ、やっぱり知らなかったんだ。そう思いながら、志緒は簡単にじゃんけんの説明を始めた。

「"三竦み"みたいな遊びです。手を握るのがグーと言って石を、人差し指と中指だけを立てるのがチョキと言ってハサミを、指を全部広げるのがパーと言って紙を表します」

 ほうほう、と芳柳は頷きながら聞いている。彰も頑張って努力しようとしている様であった。志緒は説明を続ける。

「石はハサミには切られないけど紙に包まれてしまう。ハサミは紙を切れるけど石だと刃が欠けてしまう、パーは石を包めるけれどハサミには負けてしまう。その三つを使って勝負するんです」

 実際にじゃんけんの形を作りながら、志緒は説明を終えた。

「なるほど、グーはチョキには強いがパーより弱い。チョキはパーより強いがグーより弱い。パーはグーより強いがチョキより弱い。そういう訳ですね」

 そうです、と頷いて、志緒は最後に提案という形で言った。

「じゃんけんの三本勝負で、どうでしょう?」

 遅れて理解した彰が、手を打った。自然と声が弾む。

「いいんじゃね?それなら俺にも勝てるチャンスがあるみたいだし、俺だけが有利ってわけでもないみたいだし。な?」

 やる気に満ちた表情で芳柳に向く。うーんと芳柳は考え込んでいる。

「彰。あなたはこの勝負で私に負けたら大人しく山へ帰りますか?」

「あたりめーだ!その代わり、俺が勝ったら山に連れて帰るとか無しだからな」

 それを聞くと、諦めた様にため息を吐いて、芳柳は立ち上がった。

「わかりました。ではこの勝負、受けて立ちましょう」

 グッ、と彰は声も出さずに拳を上げた。芳柳はやれやれと首を降っている。また厄介な事になったと、志緒は心の中で呟いた。


  広々としたボクシング会場のリングのすぐ近くに用意された席に、志緒と帆麻は座っていた。

「さー始まりましたー。第一回エノキコーポラスじゃんけん大会。今回は蓼丸彰さんと烏田芳柳さんの師弟対決です」

「えーと、なにこれ?」

 事態を理解出来ずに、志緒が呟く。机に置いてあったマイクがその声を拾い、会場中に響き渡った。慌ててマイクのスイッチを切った帆麻は、クルッと志緒に向いた。

「『何これ?』じゃないですよ志緒姉ちゃん。試合が始まりますですよ!」

「え、だから何なのこれ?」

 それでも志緒は理解出来ないでいた。もう!と怒ったように言うと、マイクのスイッチを入れる、

「えー。今回司会を務めさせていただくのは、皆のアイドルホマホマこと、舟渡帆麻です!解説にはエノキコーポラスの管理人、桜志緒さんをお呼びしましたー」

「あ、私解説者だったんだ」

「志緒姉ちゃん、挨拶しないと!」

 帆麻に急かされて、戸惑いながらもマイクのスイッチを入れる。

「え、あー。こんにちは〜」

 間の抜けた声が響く。とは言っても、観客は数える程しかいなかった。広い客席の最前列に、颯、ユース、亜紀乃、麗華、美世、愛來の順で真ん中に座っている。少し遠くでじいやがお茶を飲んでいて、何故かリングには総悟が上がっていた。

「えー、今回初のじゃんけん大会となりましたが、さて桜さん。お気持ちのほうはどうでしょう?」

「え?いや、なんか知らない間に大事になってるし。てか、ここどこ?って心境なんですけど」

 キョロキョロと周りを見渡しながら応える。昨日の事があった今朝、何にも説明を受けないままに起き上がるとすぐさま部屋に押しかけられ、そのままここまで連れて来られた。そして混乱したままこの席に座らされたのだ。愛來の困惑した様な表情と麗華の不服そうに腕を組む仕草で、他の全員も無理やり連れて来られた様だ。

  感覚で楽しめる人は気が楽だと、志緒は亜紀乃を見ながら思う。彼女はこれから何が起こるのかと楽しそうであった。颯と美世はもう慣れた様に、楽しむ事に決め込んでいる。拉致犯であるユースは、意外とこの勝負に乗り気のようであった。

「さすが!桜さんも、この熱い決戦に心踊る様です」

「いやー私そんな前向きなコメントしたかなー。てか、ホマホマいつもと口調がちが---」

「おおーっと!ここで選手の入場です!」

 志緒の言葉を遮って帆麻が叫ぶ。観客席からはパラパラと拍手が聞こえた。選手入場用の入り口からは、別々に彰と芳柳が出て来る。

  服装こそはいつもと変わらないものの、その両手にはボクシンググローブが着けられていた。表情は二人とも固い。拍手に応えるように、時々観客席に手を振っている。

  みんな気合が入ってるなと志緒感心していると、また帆麻の声が会場内に響き渡った。

「因みに、今回の会場であるボクシングリングは、エノキコーポラスのスポンサーである武者小路傳藏さんのお心遣いでお借りすることが出来ました」

「じいやまで?!」

 ホッホッホッとじいやが笑っている。よく見るとその隣には、あの時のリムジンの男が座っていた。間違いなく志緒を睨んでいる。

「うわ、あの人もいる……」

「志緒姉ちゃん、どうしたんですか?」

「ううん、何でも無い」

 志緒の呟いた声に帆麻が反応する。お互いマイクを切っていたため、この会話は聞かれる事はなかった。志緒は重い溜息を吐いた。

「レフリーは、みんなのロリコン兄貴、久夛良木総悟さんでーす!」

「あぁ。レフリーだったんだ。てか、言うねぇホマホマ」

 よく見ると白の長袖シャツに黒のスラックスという一般的な審判服を着ている。志緒は納得したように声を上げた。

  両者がリング上に上がると、総悟がボディチェックを始める。両手を挙げて隈なくチェックを受けている様はなかなかに滑稽であったし、そもそもじゃんけんにボディチェックは必要ない。恐らく雰囲気を作る為の演出だろうが、完全に間違った物を参考にしている。

  チェックが終わると、二人はリングサイドに歩いて行く。いつの間にか、両サイドには人が立っていた。

「どうやら蓼丸彰さんのセコンドには、エノキコーポラスの変態紳士、黒光颯さんが付くようです。烏田芳柳さんには……ああーっと、なんと蓼丸さんと敵対関係にある殺し屋ユース・コックスさんです!!」

「殺し屋じゃなくて何でも屋ね。でもなんでユースさんなんだろう。山に帰ったら困るんじゃないのかな」

 志緒は首を傾げた。ユースにとって、彰は仕事上でのターゲットなはずであった。山に帰って師匠と暮らすことになったら、暗殺するのが難しくなるのではないのだろうか。しかし、そんな事を考えてもいないように、ニコニコと芳柳の肩なんか揉んでいる。

  実際にはその長すぎる前髪とその不自然な白さのせいで、唯一見える口元が不気味につり上がっているように見えただろう。リングライトのせいで余計に気味が悪く見える。志緒は大して長くもないが尋常ではない濃度の付き合いをしているおかげで、ユースの表情を察することができたが、それは中々に難易度の高いことだ。あなたは一体何を参考にしたんですか、と心の中でツッコミを入れるほど余裕がある。

  颯は反対のリングサイドで、ユースと芳柳のやり取りを見ていた。互いに特に何も話さない様子を確認すると、彰が外した右手のグローブを受け取る。

「彰君。僕は君にここに残って貰いたいと思う」

「ああ、絶対に勝ってやる」

「だから一つ、助言をしよう」

 助言?と彰が首を傾げる。その様子に、颯は片目を瞑った。

「じゃんけん必勝法の一つなんだけど、君は最初にパーを出すんだ。人は勢いをつけてじゃんけんをすると、グーを出す確率が高くなるらしい。それに、芳柳さんはじゃんけん初心者。きっとグーを出してしまうだろう」

 おおっ、と感嘆の声を上げるが、すぐに彰は首を捻った。

「でも、どうやって勢いを付けさせるんだ?」

「それは任せて」

 そう言ってウインクしながら去って行く。彰は怪訝そうに颯を見送った。鼻歌でも歌うように、颯は志緒と帆麻の席に近づく。

「やあ、ホマホマ、志緒さん」

「颯兄ちゃん!彰さんは順調ですか?」

「うん、絶好調だよ。是非第一試合は勢いをつける為に元気良くやりたいそうだ」

 わかりましたですと言うと、帆麻はマイクのスイッチを入れる。

「さあ、とうとう第一試合が始まります!レフリーさん、勢いよく開始しちゃってください!」

「任せろホマホマ!!」

 間髪いれずに返事が返る。総悟は気合を入れるために腕まくりをすると、リングの真ん中まで歩いて行った。

「聞いたか、第一試合は気合を入れるため勢いをつける。合図は俺が出すからな。『最初はグー、じゃんけんポイ』の『最初はグー』でお互いグーを出す。そして『ポイ』の部分で同時に出すんだ」

「はい」

「わかった」

 二人が頷くのを確認する。よし、と自分自身にも気合を入れるために声を上げた。

「いくぞ!」

 一旦息を止める。

「最初はグ!!じゃんけん---」

 唐突に始められて、二人して慌ててグーを出す。そしてその手を大きく振りかぶった。

『ポイ!!』

 勢いのまま手を出す。彰は颯に言われた通りパーを。

「おや、負けですか」

 芳柳はグーを出していた。

「第一試合、勝者蓼丸彰!!」

 ガッツポーズを上げて喜んでいる彰を背にを向けて、芳柳はリングサイドへと去る。ユースはユースは全て予想していたように、満足気な笑みを浮かべていた。

「勢いに負けてグーを出してしまいました」

「それが向こうの作戦ですよ」

 ふむ、と芳柳は相手サイドへと視線を向ける。少し遅れてユースも視線を追った。勝利の雄叫びを上げながら、彰がリングサイドへと戻っていく。

「よっし、第一試合は勝ったぞ!」

「でも向こうはこっちの作戦に気付いたようだ」

 颯はいち早く二人の視線に気付いていた。

「向こうはもうあの手には乗らないだろう。ここは相手の裏の裏をかいてチョキだ」

 颯の言葉に、彰は大きく頷く。反対では同じようにユースが芳柳に声をかけていた。

「相手も同じ手で来るほど馬鹿では無いでしょう。裏の裏の裏をかいてョキです」

 芳柳は既に先程の彰の作戦を見破っていたし、敢えてかかってみたというところでもあった。ユースの言葉を聞き流すように聞いて、ふむ、と暫し考える。どうしても彰の次の手が読めなかった。

  リングの中央に立つ。総悟が二人を確認すると、合図の為に拳を振り上げた。

「最初はグ!!じゃんけん---」

「ポイ」

「ポイ!!」

 一瞬遅れて声が重なる。出した手は両方ともチョキであった。

「ん? どうして二人とも動かないのでしょうか?」

 ホマホマが不思議そうに声をかける。

「あ? あー。あいこの説明してなかったかも」

 やめー、やめ! と総悟が二人の間に入った。

  即席であいこの説明をしているようだが、やれ先に出したほうが勝ちだのいや後で出したほうが勝ちだの後だしは反則だの歳上が勝ちだのいや若い方が勝ちだのそもそもお前らじゃんけん歴は同じだろなどと、かなり揉めているようだ。

「かぶったらそのまま『あいこでしょ!』って続けるんだ!!」

 総悟が叫ぶ。それでも、その合図はレフリーがするのかそれともその合図を出すのをじゃんけんで決めるかもう「あいこでしょ」はやらなくていいなどと、治まる気配がない。

「あー、もうお前らのタイミングでやってくれ」

「あ、レフリーが投げました」

「え、ダメでしょ」

 とうとう総悟が音を上げた。それを聞くと、二人の喧騒は徐々に収まっていく。

 リングの二人は数秒睨み合う。隙を見て、芳柳が叫んだ。

「---あいこでしょ!」

「あ!? クソー!!」

 彰の慌てて出した手は、グーであった。そのままリングに崩れ落ちる。芳柳は勝ち誇ったように微笑みながら、サイドへ向かった。

「初めに僕たちが使った作戦でやられたね」

「くそー」

 頭を抱えながらリンクサイドに戻った彰に、颯が補水用にと持ってきたペットボトルを投げる。受け取った彰の着ているシャツは、なぜか汗でびっしょり濡れていた。渡されたタオルで汗を拭きながら、彰はため息を吐国を。

「なあ、最後はどうしたらいい?」

 タオルを返して颯に聞く。

「うーん、それは……。正直もう手はないな。後は自分を信じて出すしか無い」

 ごめんね、と颯は言葉を続けた。彰はため息を吐いて、自分自身の右手を見つめる。

「芳柳さん。これで後は運頼みとなりましたね」

 一方芳柳&ユースサイドも、打つ手は無いようであった。ニヤリと口元を歪めて、リングの外からユースが水を投げる。

「ええ、こればっかりは仕方がありません」

 一口二口と口を潤して、残りをユースに投げ返す。彰と比べて、あまり疲れは見られない。

「ですから、少し遊びませんか?」

「遊び……?」

 理解できない、と怪訝そうな顔をした

 芳柳にユースはそっと顔を近づけて囁いた。

「試合が始まる前、蓼丸さんにこう言うんです」

 耳打ちされた言葉に首を傾げた芳柳だったが、段々とその意図が読めたように小さく笑う。

「それは楽しそうですね」

 それはまるでイタズラを思い付いた子供のような、綺麗な笑顔だった。


  最終ラウンド開始のコングが鳴り、リング中央に彰と芳柳が集まる。

「審判さん、少し発言してもよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。別に構わんが」

 どうもと返事をすると、芳柳は彰に向いた。彰の体に緊張が走る。

「さて、彰。あなたは次に何を出しますか?」

「はぁ!?そんなの言うわけ---」

「では、私はチョキを出します」

 一瞬、空気が固まった。

「私はチョキを出します。以上ですよ」

 一泊遅れて、会場中がザワザワと少しだけ騒がしくなる。彰は思考が付いていけていないようで、石化したように固まっている。

「おおーっと!急に展開が怪しくなってきましたねー!!」

「なんかやっと解説っぽくなるのかなー。今まで殆ど喋ってないし」

 帆麻と志緒が述べた各々の感想がこだまする。観客席に座っている数少ない観客も、この展開に目が離せないようであった。

「ふふ、蓼丸さんったら混乱しちゃって……。かわいそう♡」

 無駄に熱い会場の空気に、美世は髪を優雅に掻き上げた。その口調は哀れむと言うよりかは、楽しんでいるようであった。

「頑張れータデちゃん!」

 隣に座っていた亜紀乃も身を乗り出して、他人事のように応援している。実際、彼女にとっては他人事なのだが。

  そんな中、彰だけは自分の心の中で自問自答を繰り返していた。この勝負、一体全体どうしたら良いのか分からない。さっきまでは、勝敗は神のみぞ知る、そういう展開であった。それがどうだ、今ではこの勝負の鍵を芳柳に握られてしまっている。もしも自分が芳柳を信じずに、負けてしまったとする。

『せっかく出すものを教えて差し上げたというのに、それで負けてしまうなんて本当馬鹿ですねー』

 かと言って、信じて負けてしまったら。

『敵である人物の言葉を真に受けるなんて、あなた救いようのない馬鹿ですねー』

 ……どっちにしても、馬鹿にされる。

「脳筋な蓼丸彰さんにとって、こういう高度な心理戦は難しいのではないでしょうか?」

「え、ホマホマって普段彰さんのことそういう風に思ってたの?てか何気に今回毒舌だよね。どうしたの?不満でもあったの?」

 先程から微動だにしない彰を余所目に、司会と解説者は談笑を始める。観客席でも、今更になって勝者は誰になるかという話に花を咲かせていた。じいやはのほほんとお茶を飲んでいる。ユースはニヤッとした口元をら隠そうともしない。この試合は彰にとって重大イベントであるが、まあそれは彰にとってであるわけで、その他の住人にとっては本当に他人の事なのである。わー楽しーとか、うけるーとかそんなノリなのである。ただ唯一彰の身を案じて懸命に呼びかけている颯であるが、当の本人は自分の世界に入り込んでしまったのだから世話がない。

「ーーー決めたぜ、俺は!」

 長く考え込んでいた彰が、ついに顔を上げた。その様子に、周りの空気は可笑しな緊張感に包まれる。息が詰まりそうで、少しでも気が緩んだら爆笑してしまいそうな雰囲気であった。

  つまり、それぐらいエノキコーポラスの住人たちは、この勝負を真剣に楽しんでいた。

「さあ、最終決戦が始まります!両者リングの中央へ!!」

 帆麻が声を上げる。神妙な面持ちで、二人は再度中央に揃った。総悟が手を挙げる。

「いざ尋常に……」

 二人の顔を交互に見比べた。片方は睨みつけるように相手を真っ直ぐに見つめ、もう片方は余裕そうに目を伏せている。総悟は深く息を吸った。

「最初はグ!!じゃんけんーーー」

 今までに無い威圧感であった。会場が震える。地面に叩きつけるように出された拳で空気が激しく揺れた。そして振り上げた手を、二人ほぼ同時に振り下ろす。そのあまりの風圧に、総悟は慌てて顔を庇った。因みに、これはただのじゃんけんである。

「グー!!!」

「チョキ」

 少しズレて聞こえた二つの声に、会場が静かになる。出された手を確認しようにも、何故か突如現れた砂埃のせいで誰もリング上を見ることができない。遅れて、誰がグーだ誰がチョキだど若干1名が騒ぎ出す。

  だんだんと砂埃が晴れていく。因みにここはただのボクシング会場である。

「しょ、勝者!蓼丸彰アアァァァァァ!!!!」

 総悟に掴まれた腕を、天井に高く上げた。その顔は、今までに見たことがないぐらいに綻んでいる。その手は、グーのままであった。そんな彰に背を向けて、芳柳はリンクサイドに歩いていく。

  その表情は俯いていてよくわからない。

「今のお気持ちは?」

 帆麻がマイクを片手に彰の元へと駆けて行った。遅れて志緒が後を追う。

「山に帰らなくて済んでホッとしてます」

 珍しく丁寧な口調で答えた彰に、今度は志緒がマイクを向けた。それにしてもこの志緒、ノリノリである。

「この事を1番に報告したい人は?」

「そうですね、取り敢えず今回まったく干渉せず、応援にも来てくれなかったヒキニートの橘秀人には事の報告だけはしてやろうと思います」

 ふざけて真面目な受け答えに、やっと芳柳は顔を上げた。置いてあったペットボトルで給水すると、自嘲気味に口の端を上げる。

「やれやれ、負けてしまいましたね」

「でもあなた、嬉しそうですよ」

 いつの間にか、近くにはユースが立っていた。彰の周りには、住人たちが集まっている。皆、あんなに面白がっていたくせち彼がここに残ることに決まって、とても嬉しいようであった。彰が笑っている。それは芳柳が今まで見たこともない、笑顔であった。

  さほど驚きもせずに、芳柳は先の言葉に応える。

「あ、やっぱりわかりますか?」

 少しだけ、イタズラが成功した子供のような笑顔に見えた。


  その日の夜。

「なあお前、わざとだろ」

 彰さん残留決定おめでとう会だかなんだかで結局住人たちがが騒ぎたいだけな宴会が行われた中、彰は姿を現さない芳柳を探していた。主役が消えても宴会に支障は無いようで、なんとも楽しげな声がいつもは人気のない部屋に響いている。芳柳は少しだけ寒さを感じる風の中に立っていた。

「まずは師匠に対してお前という態度について、お聞きしましょうか」

「ゴメンナサイ」

 反射的に謝罪の言葉が出てしまう。山にいた頃は、彰は芳柳に逆らったりなど決して出来なかった。少しでも悪口を言ったりクソ野郎などと呼んだりしたら、すぐさま然る可き制裁が下されたからだ。あの頃と変わらない彰の姿を見て、芳柳はクスリと笑みを零す。

「でも、私を信じたのはあなたですよ」

 あの時ユースが言った言葉は、「彰に自分はチョキを出すと言う」ということだけであった。芳柳が何を出すかを指定していたわけではない。芳柳は自分の意思で、自分の言ったとおりチョキを出した。彰はおそらく自分を信じると願って。

  これは芳柳の賭けであった。彰は自分を信じてくれるか。それとも信じないのか。山で過ごした20年間は、二人の絆の長さであった。それを確かめたかったのだ。

「芳柳が……、師匠が俺に嘘を吐く訳ないからな」

 ポツリと零した言葉に、芳柳が振り向く。彰の顔は暗くてよく見えなかった。けれど、彼はいまだに自分の事を師匠と慕ってくれている。それだけで芳柳は良かった。

  息を詰めて、彰に向き直る。どうしても、芳柳は彼に伝えたいことがあった。

「彰、到底受け入れられる提案ではないと思いますが、どうか聞いてください。私たちの学んでいるこの拳法は、歴史こそ浅いけれどとても深いものなのです。私まで続いて四代……。ここで絶えさせてしまうのは、先代たちに申し訳がたちません。けれど、今からまた新しく弟子を取るのには、私の体は限界です」

 芳柳は今年でもう45歳であった。20年も共に過ごしてきた彰にすら全てを伝授出来なかった者が、今から新たに弟子をとって生き絶えるまでに何を教えられるだろうか。そしてこの拳法は、武術家の子でなければ習得出来ない。弟子を見つけるだけでも一苦労であった。

  彰の顔に険しさが増す。

「山には戻らなくても構いません。ずっとここに住んでいても構いません。けれど、稽古だけは続けてもらいたいのです」

 芳柳にとって武術だけが全てであった。しかしまだ若い彰にとっては、それはとても狭い世界だった。芳柳にはそれがわかっていた。だからこそ、こんな提案をしたのだった。

「私の弟子のままで、いてもらえませんか?」

 深々と、芳柳が頭を下げた。その様子に、彰は声を出さずに驚く。彼は一度だって自分に頭を下げなかった。例え彼自身に非があったとしても。師匠である芳柳は、弟子の自分に頼み事などしたことがなかったのだ。

  雲に隠れていた月が顔を出した。その明るさに、二人の顔が照らされる。

  彰はその顔を隠すように、そっぽを向いていた。

「週一なら……」

「え?」

「一週間に一日の稽古なら、やってやってもいいぞって言ってんだよ!!」

 言うが早いが、彰は乱暴な足取りでエノキコーポラスに戻っていく。その様子を呆然といていた芳柳も、つい笑い出してしまった。一週間に一日だなんて提案、飲めるわけがない。けれど、それでもいいかと芳柳は笑う。彰が、まだ自分の弟子でいてくれるのなら。

「ありがとう、彰」

 呟いた言葉は、もちろん本人には届かなかった。


  芳柳がやって来たあの日から数日後、エノキコーポラスはもとの騒がしさを取り戻した。平和と記述できないのが口惜しいところでもあるが、いつものように繰り広げられる生死を賭けた鬼ごっこやクレームの嵐、家賃滞納諸々の取り立てやらの日常を垣間見ると、やはりこの表現が適切であろう。そして時は人々が寝静まった深夜。人気の全くない公園で、彰の武術修行が行われていた。今回は「見学にでも行きませんか」とすっかり寝静まった志緒を叩き起こして、ユースもその公園に来ていた。恨めしげにユースをに睨みながら眠い目を擦る志緒も、寒さに身を震わせながら稽古の様子を見ていた。

「ちょっと待て、なんで芳柳が隣に住んでんだよ」

 芳柳の放った右手の突きを軽く払って、彰が口を開いた。生まれた顔面の隙を狙って、芳柳に向けて左足で鋭い蹴りを繰り出す。しかし、それは難なく除けられた。

「桜さんに、お隣の部屋が空いていると伺ったので」

「ちげーよなんで山に帰らないのかって言ってんだよ」

 体の回転を加えた大きな蹴りで芳柳の顔の側面を狙う。それをわざと大袈裟に飛び除けて、芳柳は少しだけニヤッと笑った。

「誰が帰るなんて言いましたか?」

 そんな技と言葉の攻防を遠くから眺め、なんだか親子のようだなーと志緒は目を瞬かせた。少しだけ羨ましいなんて気持ちも心にしまって、暖かい目で見守る。

  今の技はダメだ、と一旦流れを止めて芳柳が言う。目の前で手本を見せるように同じ技をやって見せた。彰もそれに習う。二人で何度も繰り返す。時々違うと声が聞こえた。

「だからここはそーじゃなくてこーですって」

「"こー"とか"そー"とかじゃ分からねーよ!!」

「私の動きをよく見て真似しなさい」

「それができたら苦労しねーよ!!」

 ブチ切れた彰が不意に芳柳に向けて蹴りを放つ。虫でも払うかのように避けられた足をそのまま掴まれ、一気に寝技をかけられた。全く今の蹴りなんかでは子供だって倒れませんよ。なんて言いながらも、その腕と足でギリギリと彰を締め上げていく。彰は地面をバシバシと叩いて、ギブアップを宣言している。

「私、なんだが彰さんが山から逃げたのわかる気がする」

「同感です」

 こんな夜中の公園で、21歳にしてマンションの管理人を勤めている女子大学生と、国際指名手配犯である自称何でも屋は同じように頷く。二人の意見が一致したことは、きっとこれが初めてであろう。この稽古内容を見た限りでは、おそらく烏田芳柳なる人物は典型的な天才型で、蓼丸彰なる人物は一般的な努力型なのだろうということが窺い知れた。それでは指導もうまくいかないわけだ。

  砂まみれの彰が立ち上がると、また芳柳に飛びかかる。その姿は、父親と戯れ合う子供のようであった。自然と、志緒の顔も綻ぶ。

  夜が耽るのが、不思議と早く感じる夜中であった。






「やったね!志緒ちゃん。家族が増えるよ!!」

「それはあまりいいセリフじゃなかった気が……」


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