第三十話
「あなた。この一週間、本当に楽だよね」
「ただの付き添いだからかもしれないがの」
遂に始まった、高校時代の後輩である増山達による大井山ダンジョンの攻略は、順調に進んでいた。
多少の指導と説明以外は暇なので、理沙も善三さんも気が抜けている。
増山達は、多少のブランクはあるがなつい最近まで運動部で鳴らした準トップアスリート達なので、次々と階層を突破してレベルと成果を獲得していた。
優秀すぎる生徒なので、俺達はただ見ているだけだ。
『鉱石と魔石も、売れば金になるから』
『増山商店の経営にも貢献できますね』
ただの冒険者の方が楽なような気もするのだが、増山達は実家の経営にも拘っている。
俺とは違って、根が真面目なのであろう。
次第にシャッター商店街化する地元を心から何とかしたいとも願っているのだ。
熱い後輩達である。
その内に、テレビ番組の○ロジェクトXとか、○熱大陸とかの取材が来るかもしれない。
彼らは全員が政府指定の強化プロテクトを装着し、増山は剣で、井川と江頭は槍、宇多は巨大なバトルアックス姿が板に付いている。
元々みんな体が頑強なうえに、俺達の指導と空子のレベルアップ補正によって、既に低~中階層の魔物はただの経験値とドロップアイテム進呈用の雑魚と化していた。
四人とも、全て一撃で殺してしまうのだ。
「自衛隊の部隊は知らないけど、成長早いな」
実家の都合が無ければ、プロの世界やオリンピックに出ていたかもしれない連中ばかりである。
その才能と合わせて、驚異的な速さでレベルアップと攻略が進んでいた。
「だが無理はするなよ。特に寝ておけよ」
ダンジョン探索とは、体が資本で一瞬でも気を抜くと死んでしまう可能性が高い。
兼業で実家の仕事もあるので、体は良く休めておくようにと忠告しておく。
「大丈夫です。今は商売の規模を縮小していますので」
増山達がいない分は、販売する量や営業時間などを短縮して対応しているようだ。
「なるほど。本業の日々の赤字を減らせるし、鉱石や魔石の販売額で家計を助けているわけだな」
「まだそれほど食材も取れませんからね。ある分だけで、試作などはしていますよ」
あとは、既存の弁当や惣菜を一部ダンジョン産食品に変えて商売を行い、そのおかげで客足が少し増えているそうだ。
増山達の不在は、彼らの家族が出来る限り手助けしているらしい。
「安定して食材が手に入れられるレベルになれば、三日に一度潜って食材を確保。残り二日で営業という事も可能です。儲けが増えれば、他に人を雇えるようになるでしょうから余裕が出ます。今は辛抱の時です」
例えその通りになったとしてもかなりハードな日々になるはずだが、増山達の表情は明るい。
同じ体育会系でも、根性が違うなと俺は思ってしまう。
「この辺が、柔道でもイマイチだった俺との差?」
「先輩は、農業もやっているじゃないですか」
「今は助っ人稼業でやっていないけどな」
ただ、助っ人稼業が終われば兼業農家に戻ろうと思う。
最初は仕方なしに始めた農業であったが、今では楽しいと思えるようになっていたからだ。
「ところで、空子は静かだな……」
ダンジョン攻略は順調に進んでいたが、なぜか空子は静かなまま端を歩いている。
普段なら五月蝿いくらいに話しかけてくるのに、本当に不思議な事もある物だ。
「空子。何か不満でもあるのか」
「ううっ。何か暑苦しいのじゃ」
「お前なぁ……。というか、機動隊と同伴していた時には何も言わなかったじゃないか。というか、今も今泉がいるし!」
今泉は失恋のショックから立ち直れないようで、いまだにボーーーっとしながら歩いている。
もう休暇明けから一週間なので、相当なショックだったのであろう。
仕事が増山達への補助でなければ、戦闘に支障をきたすレベルである。
「今泉は、影が薄いから気にならないのじゃ」
「お前。いくら何でも今泉に失礼だろうが!」
少し怒りながら今泉にに気を遣うように視線を向けるが、肝心の彼は相変わらずボーーーっとしたままであった。
空子の毒舌にも反応していないのだ。
「これは重症だな」
「一週間も気が付かないあなたも空子ちゃんと同類だよ!」
「ううっ。我が妻の指摘が正し過ぎる!」
理沙からの指摘に、俺も今泉の存在を忘れていた事実を思い出してしまう。
「瞳子さんはいなくて正解か……」
実は、休暇で東京に戻った瞳子さんは俺達の担当から外れていた。
その理由は、休暇中に彼氏とデートに出かけて電車に乗っていた時に痴漢に遭ったので腕を強引に掴んだら、その痴漢の腕の骨に罅が入ってしまったという物であった。
彼女も俺達と同伴してレベルを上げているので、その実力は一流の冒険者に匹敵する。
当然、身体能力が驚異的に向上しているので、一般人でレベル1の痴漢の腕では彼女の攻撃に耐えられなかったというわけだ。
相手は痴漢なので問題無いように思えたのだが、彼女が俺達の補佐を極秘で行っている点が問題になった。
変な連中に嗅ぎ付けられて問題にされると困るので、すぐに移動という事になってしまったのだ。
「でも、明日だって? 新しい担当の人は?」
「みたいだね」
その突然離任になった瞳子さんの代わりに、明日新しい担当が来る事になっている。
阿部さんからのメールでは、また女性だと書いてあった。
というか、一国の総理がそんな気楽にメールとか送ってもいいのであろうか?
「今泉さん。きっと、新しい人は綺麗な人だと思うよ」
「そうかな? 理沙さん」
「うん。きっと阿部さんが気を使ってくれていると思う」
「明日かぁ」
理沙の励ましで、今泉はようやく元気を取り戻しつつあった。
「そうかのぉ? 阿部は時おりKYだと思うぞ」
「空子ちゃん。確かに阿部さんはたまに空気読めないけど、奥さんが怖いから男女の機微には鋭いと思うんだ」
「そういえば、ネットで見たの。阿部の嫁は怖いと」
「だからきっと大丈夫」
いつの間にか、女二人で阿部さんの嫁がいかに怖いかという話になっていた。
物凄く失礼な気もするが、確かに阿部さんの嫁さんの話はテレビなどでも良く流れてくる情報だ。
「あの……。先輩」
「どうした? 増山」
今までは静かに警戒をしていた増山が、いきなり俺に話しかけてくる。
「あそこに、一人いじけている総理大臣に良く似た人がいますけど……」
増山が指差した方向には、一人ダンジョンの壁の端でいじけている阿部総理の姿あった。
よく見ると、周囲にSP達の姿もある。
みんな呆れているか、一人だけ阿部さんに同情するかのように涙を流している人もいた。
「あのSPも恐妻家のようじゃの」
「しぃーーー!」
俺は慌てて空子の口を塞ぐ。
他所の家の事に、軽い気持ちで口を出してはいけないからだ。
「先輩。あの方は?」
「ええと。本物だ」
「ええっ! 本物なんですか? 先輩って一国の総理大臣と知り合いなんですね。凄いなぁ」
「さすがは、増山の先輩だな」
「奥さんも可愛いし、本当に凄いや」
「尊敬します」
なぜか増山達に過剰評価されてしまう俺であったが、阿部さんに関しては段々と付き合いが長くなってきたので『知り合いだから何?』という気持ちが次第に強くなってきている。
勿論、それはあまり表沙汰には出来なかったのであったが。
「なるほど。大塚さんは後輩のためにひと肌脱いだのですね」
「そこまで大層な事でもないですけど」
阿部さんがダンジョンの端でいじけていたので、俺達は昼飯がてら一度ダンジョンを出て入口近くの休憩室で弁当を広げていた。
ここは冒険者用に整備された休憩所で、何かを買って来て食べるも良し、弁当を広げるも良しという場所になっている。
最近では、冒険者用に様々な価格帯で食事を提供するお店も出来て、ダンジョン周辺は賑やかになっていた。
元々大井山ダンジョン近くに何も施設が無く、特にトイレが無いと女性冒険者達や、加えて女権論者なども動いてこういう施設が整備されたのだ。
費用は税金であったが、冒険者関連の事業は大幅な黒字なので何も文句は出ていない。
必要な設備であったという点も大きかった。
「いえいえ。なかなか出来ない事ですよ」
阿部さんは俺を褒めながら、俺が理沙と一緒に作った弁当を遠慮無しに食べていた。
傍にいるSP達が、何とも言えない表情で阿部さんを見ている。
つい先ほどまで、空子の恐妻発言で落ち込んでいた人と同人物とは思えない。
「ところで、今日は何か用事でも?」
「瞳子さんの次の担当についてですよ。今度は東大の首席で、法務省にトップ入省を果たした逸材です。肩書でいえば、瞳子さんをも上回りますよ」
「それは凄いですね」
「明日を楽しみにしていてください。では」
それだけを言うと。阿部さんは颯爽と俺達の元を去っていく。
「わざわざ本人が伝える必要があるのかの?」
「さあ?」
善三さんの疑問に、俺も首を傾げるしかない。
空になった弁当箱を見るに、多分昼飯を食べに来たのだと納得する事にする。
「それよりも、空子は珍しく弁当を貰いに来ないな」
空子は恐ろしく食い意地が張っているいるので、理沙が大きめのお弁当を準備しても結局足らないと騒いで俺達の元に貰いに来る事が多かったからだ。
今日はそれが全く無いので、俺達は驚いてしまう。
「空子なら。ほれ」
善三さんは、空子の居場所を知っていた。
何と、あれほど暑苦しいと避けていた増山達の所にいたのだ。
「あいつ。何しているの?」
「増山君達が、試作品の試食をどうぞって」
空子は、増山達が持参した大量のお弁当やデザートを順番に食べながら締まらない笑みを浮かべている。
元白キツネとは思えない無防備さだ。
「さあ。沢山あるので遠慮なくどうそ」
「この焼き肉丼は美味いの」
「肉を特殊な調味液に漬けこんで柔らかくしたんです。あまり柔らかくない安いお肉を使えますから、ランチ弁当の目玉にしようかと」
「タレも絶妙な味わいで美味いのぉ。この揚げ物もさすがは惣菜屋。おおっ! 海鮮丼かこれも美味い」
空子は、増山達に進められるがままに大量に口に頬張っている。
しかし、まだ昼なのに良くあれだけ食べられる物だ。
「空子さん。デザートにケーキもありますよ。ようやく手に入れたダンジョン産の果物で作ったムースです」
「贅沢な昼食だのぉ。我は大満足じゃ。お前らは良い奴らじゃ。安心して我に任せればよいぞ」
妙に空子に避けられていると感じた四人は、それぞれに彼女の弁当を持ってきていた。
はっきり言って買収だが、食い意地の張った空子には効果てきめんで、午後からは増山達に愛想の良い表情を向けるようになっていた。
「単純な奴め……」
「空子ちゃんは悪い人じゃないから」
「まあそうなんだけど……」
空子のレベルアップ補正に更に贔屓分が付いたのかは知らなかったが、増山達のレベルアップとダンジョン攻略は順調に進んでいくのであった。




