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3話ー2


 宿舎。デビューが決まってから住む部屋は、これまで住んでいた日当たりの悪いアパートから、事務所に近いマンションへと変わった。


 セキュリティの厳重さは、今の立場が以前とまるで変わったことを物語る。

 結局のところ、寝るためだけに帰る部屋はどこだろうと同じだったが、事務所に近くなったのは便利で助かっていた。


 練習生時代は、部屋に二段ベッドが押し込まれた四人一組の相部屋で過ごしていた。同室の練習生とは、互いに必要最低限の会話しかしなかったし、契約の終了によってしばしば入れ替わった。

 施設で育った俺にとっては、部屋が大人数の雑魚寝だろうと相部屋だろうと、今更気になるほどのことではなかった。

互いに踏み込まず、干渉もしない希薄な関係は俺の性格に合っていた。


 デビューしてからは、俺たちメンバーに割り当てられたのは、全員が共同生活するための宿舎。


 4つの居室と共有のリビングで構成されている。

 1つはスタッフの部屋、残りは俺たちメンバーの私室だ。設備は新しくなり、いくぶん広くそして清潔になった二段ベッドではない2人部屋は、快適なはずだった。


 だが、今度の相部屋の相手は、これまでの同居人とは違う種類の人間だった。


 俺が帰ってくると、ルームメイトのLIOは、屈託のない笑顔で親し気に近寄ってきた。

襟足を短めにカットした艶やかな黒髪に、目鼻立ちのはっきりした整った顔、意志の強さを伝えてくる印象的な太い眉、下あごの印象的なほくろ。デカい声。

 

「おかえりKEI。夕方、電話したんだけど、忙しかった? 」 


「LIO、かけ直してなくてごめん。タイミングを逃して、そのままにしてた」

「大した用じゃないからいいよ。夕飯に誘いたかった」

「……事務所に言われてる? 俺がこういう性格だから、馴染めるように気を遣ってとか」

「言われてないけど。こういう性格って?」


 LIOはその第一印象の通り、裏表のない性格の男だ。


「わかるだろ。刺々しい」

「ふーん…? 神経質で、少し気難しいのかなとは思う。別にいいじゃん、KEIの性格。壁をつくられてるのは確かに感じる。でも仲良くなればきっといいやつなんだろうなって思ってる。まだよくわかんないから、KEIのこと知りたいと思ってるけど」


 LIOの実直さを真っすぐ向けられて、俺の方が居心地が悪くなる。彼とは以前にも、こんなやり取りをした覚えがある。

適当に受け流そうとしていた自分が不誠実に思えてきて、ちゃんと向き合った方がいいだろうと、結局姿勢を正すことになる。


「断っておくが、おまえが嫌とかでは決してないんだけど。精神的にも物理的にも、他人との距離感が近いのが苦手なんだ。ずっと避けてきたから、慣れていないんだ」

「それはなんとなくわかるけど」


 LIOはふいに話を止めて俺の顔をじっと見た。

 視線が俺の身体をなめるように下に下がっていき、全身を観察されているようだった。


「KEI、体調悪い?」

「なんで…」

「顔色悪いよ、真っ白」


 奥歯が鳴るほどの寒気を感じていたのは、事実だった。顔色も相当に悪いだろう。


「そうか。じゃあ、少し休んだらシャワーを使えよ。そして今日はもう寝るといいな。照明も消そう」

「ありがとう、そうする…」


 汐人の前で、極限まで張り詰めていた神経。日常に引き戻された途端、それが急激に悲鳴を上げていたようだった。

 俺は気を失うように眠りに落ちた。




 朝から晩まで、寝ても覚めても生活の全てを共有する、強制的に与えられる親密さ。それは、俺の頑なな他人との境界線を、強制的に少しずつ削り取っていった。


 相部屋のLIOをはじめ、隣り合う部屋を使う他のメンバーたちとも、リビングを介して絶えず顔を合わせる。6人のメンバーとの距離感、関係性、言葉を交わすタイミングや内容にも、次第に馴染んでいく。

 否応なしに互いの性格を知り尽くし、共有する時間の中で関係性が形作られていく。かっては想像もできなかったような、肩の力の抜けたくだけた振る舞いができるようになっていく。


 その日はめずらしく夜も比較的早い時間にすべてのスケジュールが終了し、俺たちは宿舎へと送り届けられた。

 歯を磨こうと、バスルームの前にある洗面室に入る。そのとき、バスルームの扉の向こうからJJの声がした。


「誰〜? 洗面台にあるヘアマスク取ってくれる?」

「どれ?」


 俺は共有の棚に手を伸ばした。メンバーたちのこだわりの詰まったアイテムが、ぎっしりと並んでいる。


 ズラリと並ぶ、デザインの違うシャントリやヘアオイル、整髪料の数々。


 メンバーそれぞれの髪質に合わせたヘアケアのボトルたち。

 セット用の強力なスプレーやバーム、ダメージを補修する重めのヘアオイル。

 スキンケア系も、洗顔から導入美容液、化粧水、乳液。あらゆるボトルがひしめき合っていた。


「右の棚の真ん中らへんにある水色の丸いの~」

「…丸いクリームみたいなのか?」


 バスルームの扉を開けて、髪から水を滴らせるJJに手渡す。


 深みのあるチョコレート色の髪。華やかな目元、人懐こい笑みを浮かべる口元。

 華やかでどちらかというと可愛らしい印象を与える顔のJJだが、すらりとした長身を持ち、そのギャップが人気を集めている。


「ありがと〜」

「これは…?」

「ヘアマスクだよ」


 JJからふわりと、上品な香料のにおいがたちのぼる。かつて俺が身を置いていた、泥臭い集団生活とは違う世界のにおい。

 

「JJの髪、いつもいい匂いがするな。シャンプーとトリートメントの他も…ケアしたほうがいいに決まってるよな」

「KEIの輝く美しい髪、それだけだったの……? それだけハイトーンにしてるのに」

「使い方、教えてあげるよ。KEIも使って」


 JJは女子なら誰もが心を射抜かれてしまうだろう、楽しそうな笑顔を俺に向ける。


 ――それは、一緒に風呂に入るってことか……?


 そこそこ広いバスルームだとしても、所詮は一般家庭のものだ。男二人が入れば、嫌でも身体が密着する距離になる。


 ――仲間の距離感って、そういうものなのか……

 ちょっと近すぎるような気も、しないでもないけど……


 ボーイズグループのメンバー同士が、互いに触れ合い、仲の良さ、距離の近さや触れ合いを誇示するのは、ファンの求める理想の姿だ。皆それを理解しているゆえ、日常の中でも流れるように距離を近づけてくる。

 

 俺は一瞬迷い、そのまま硬直した。突然真剣に考え込みだした俺の様子を、 JJは癖になっているであろう満面の笑みを浮かべながらも、疑問符をその端々に滲ませながら待っていた。


「頼もうかな……」


 俺は意を決した。躊躇しているのを悟られないよう下を向き、素早く上着とインナーを脱ぐ。


「えっ?」


 スウェットと下着を一緒に脱ぎ捨てる。顔を上げると、目が合ったJJが一瞬わずかに目を丸くしていた。けれど彼は、即座にその表情をかき消すと、楽しげに俺の腕を引いてバスルームへと促した。


 清掃の行き届いたシンプルなバスルーム。その片隅に、JJのヘアをケアする用品がいくつか並べられている。


 湯気で白く煙った視界の中で、 俺たちは狭いバスタブにぴったりと所狭しと浸かってた。

ぬるい湯が気持ちいい。JJが、俺の髪に粗いコームを通している。


「これを毎晩するのか?」

「そうだよ。KEIはヘアケアにあんまり興味ないの? そりゃあ何もしないででこれだけ綺麗だったら、興味も何もないか…」

「練習生時代、貧乏だったから、共有のシャンプーとトリートメントしか使えなくて。あまり気にしたことなかった」

「えっ……そうなんだ。じゃあスキンケアも…?」


 洗面台に誰かがやってくる。

 俺たちの話し声を聞きつけてか、「何してんの?」という声とともにバスルームの扉が開いた。


 顔を出したのは、コンタクトレンズを外しに来たらしいLIOだった。 ぴたりとくっついてバスに浸かっている俺たちの姿に、目を丸くする。


「……JJ、KEI、……ほんとに何してんの?」

「? JJが髪を手入れしてくれるって言うから」

「風呂に一緒に入って????」

「ははははははははははは」


 我慢していたのを吹き出すようにJJが笑い出す。


「ははははあ…ひいっ……」


 じきに笑いすぎて息ができなくなったJJが、変な声を出し始めた。


「KEI、めっちゃ距離あるから、どうして近づこうかと思ってたら。いきなり裸で密着してくるの面白すぎ」

「……もしかして、おかしかった?」

「え~~いいよ~嬉しいって。見て。KEIの肌、どこもかしこもつっやつや」

「くすぐったい…」

 

 JJがわき腹を撫でてきて、俺もつられて笑う。 俺たちの様子に、LIOは片頬を上げて笑った。


「実家から肉が届いたんだ。今準備してる。上がったら、食べよう」

「頂く」

「やった、LIOのパパとママに感謝~」



 リビングには全員が揃い、テーブルに広げられたホットプレートの周りには、所狭しと皿が並んでいた。

惜しげもなく並べられていくのは、見るからに高そうな肉。誰かが買ってきたらしい鮮やかな緑の野菜が、そこに彩りを添えている。 YUNAがその様子を配信用に動画撮影している。


 肉の焼ける香ばしい匂いと音。焼きあがる側から、あちこちから箸が忙しく伸びてくる。

肉が上手いという会話をひとしきりした後、自然と、LIOの実家の話題になる。


「LIOってパパがアメリカ人、ママが日本人なんだよね。出会いは?」

「母親が留学してた時に出会ったらしい。父親が一目ぼれして着いてきたんだって」

「これが両親」


 差し出されたLIOのスマホの画面を、みんなでのぞき込む。

 LIOによく似た精悍で体格のいい白人男性と、母親らしき快活そうな女性、LIOの姉と弟らしき顔の整った男女、そしてLIOが映っている。みんな楽しそうに笑い、互いの身体に軽く接触している。絵に描いたような朗らかで美しい家庭だった。


「お父さん、すごいLIOに似てる」

「よく言われる」

「HAULもハーフだよね、ご両親の出会いって?」

「うちは…」


 話題はそれぞれの実家の話に移り、自然な流れで、とんでもなく旨い肉の味を堪能している俺にも向けられた。


「KEI、実家の話聞いたことないけど、どんな家なの?」

「俺は実家はない」

「?」


 何を言っているかわからないという顔を全員がした。全員の視線が集まる。

タイミング悪く、新たに野菜を口に入れてしまった俺は、新鮮な野菜のシャクシャクとした歯ごたえを一通り楽しんでから、咀嚼する。


「非公開にされるだろうけど、俺は施設で生まれ育ってる。両親の顔も名前も知らない。LIOの実家から頂いた肉、旨いな。こんなの初めて食べた」

「……」


 リビングを沈黙が支配する。肉と野菜の焼ける香ばしい音だけが、響いている。焦げてしまうから、早く次の肉を取ったほうがいいのに。


「パパとママに、一度も会ったことないの?」

「ああ、ないな。不破の苗字は親の戸籍から来てるらしいが…それ以外は知らない」


 トングを握り肉を焼く係をしいていたLIOが、俺の皿の上に肉を山盛り乗せてくる。野菜を焼いていたJACKも、野菜もさりげなく乗せてくる。


「KEI、好きなだけ食べな」

「うん」

「来週、うちの実家からも差し入れ届くから…それも一緒に食べようね」

「ありがとう」


 めいめいにいろんなものを乗せてきて、俺の皿は山盛りになる。俺は遠慮することなく、それらをもりもり頂いた。キッチンからは、HAULが食後のフルーツを切っている香りが漂ってきた。


 そうして俺も、JJに言われるがまま、髪をケアし、丁寧なスキンケアを日課にするようになった。


「なんか肌艶がよくなったような気がするな……」


 自室。鏡を見ながらクリームを塗っていた俺は、つい独り言を漏らす。スキンケアの用品は、メンバーたちからそれぞれ与えてくれたもので、俺の机の上に山積みになっていた。


「よりいっそう、艶々になった」


 部屋に戻ってきたLIOが、当たり前のように近寄ってきて、顔を覗き込む。

 自分のベッドがあるにも関わらず、彼はわざわざ俺の隣に潜り込む。広い肩幅に、熱い胸板。体格の良い彼のせいで、シングルサイズのベッドは途端にものすごく窮屈になる。

 わざわざパーソナルスペースを捨てて至近距離に入り込んでくるのは、彼なりの親愛の表現なのだろう。俺もそれに応えなければならない。子供の獣がじゃれ合うような雰囲気で、LIOに顔を近づける。


「こういうのが仲間だし、ファンにも望まれてるんだろう?」

「KEI、最初は近づくだけで毛を逆立ててたのに」

「バレてた?」

「まあ…露骨だったし。慣れてない猫みたいだって思ってた」

「……慣れたし、理解した。ここにいるのは、望みを叶えるために人生の全てを賭して努力を重ねてきた人間たちだ。自分の望みにも他人にも真摯でいいやつだ。いいやつじゃないのは俺くらいだろう。みんなこんな俺を、親友のように扱ってくれる。こんな居場所が俺に与えられるなんて、思ってもみなかった。育った環境と生来の性格のせいで、俺は他人を信頼できないままで、ここまできたけど。おまえたちのことは、信頼したいと思い始めてる」


 裕福で何不自由なく育った者特有の、大らかさと性格の良さ、品の良さを持つLIO。彼は目を丸くして聞いていて、珍しく何も言わなかった。

 LIOの気配が間近にあるのにも、すっかり慣れた俺は、スマホを置くと、そのまま目を閉じた。



 ――まぶたを閉じると、心象風景は一変した。

 汐人との時間が鮮明によみがえる。


 日差しの強い、見晴らしの良い河川敷。

 並びたち生命力を主張するように、青々と生い茂る桜の葉。汐人。

 彼の周りにだけ匂い立つ、死の気配。

 燃えるような大きな夕陽。

 闇に閉ざされていく河原。


 ――あれは夢だったのだろうか。


 それとも、切望していたアイドルになり、信頼のおける仲間と共に過ごしている、今が夢なのだろうか。


 眠りに落ちながら、温かで大きい手のひらのようなものが、輪郭を撫でるように滑っていったような気がした。


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