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最終話ー2


 ――――突き刺さりたい。


 深く突き刺さって俺のことを忘れられなくさせたい。


 俺を見て、俺を覚えていて、俺のことを考えて。

 どんな手段を使ってでも、一人でも多くの人間の中に、俺の存在を深く突き刺して、いつまでもそこに残り続けたい。 


 思考がみるみる間に変質していくのが、かろうじて認識できる。


 俺の自我、感情、思考は変わらずここにありながらも、自らと汐人を殺して、この連鎖を終わらせなければという衝動が。大量の水に溶けるように薄まっていく。水の中に離散していく。


「ああッ……」


 そして、もともと俺の根幹に存在する望み。他人に深く突き刺さり自分を拡散したい欲望が、じわじわと主張してくる。


 と同時に、重しとしての役割しか果たしていなかった腕の感覚が、唐突に戻ってくる。

 感情への浸潤があらかた終わったのか。もう開放しても問題ないと、血液が判断したのだろうか。

 

「うあああああああああああああッ!!」


 腕が自由になったのを認識した瞬間、俺は力を振り絞った。


 汐人の肩を掴み、床に引き倒した。汐人のかけていたシルバーの眼鏡が、金属音を立てて地面に落ちる。虚をつかれ仰向けに倒れた汐人に、すかさず飛び乗り馬乗りになり、その首に両手をかける。ひんやりとした皮膚の感覚に一瞬ひるむ。

 

 そのまま全体重と力を込め、首を締め付けた。

 汐人は両目を見開いて驚愕し、必死の形相であろう俺を見上げた。


「慧一………ッ!!」

「汐人………ごめん、俺もこのあとすぐ」


 余計なことを考えると、決意が揺らいでしまう。

 俺は思考を振り払うと、喉を締め付ける指に力を込めることだけに集中しようとする。


 無我夢中で抵抗する汐人の腕が、俺の顔を薙ぎ払おうとする。手首の骨が激しく額にぶつかる。

 一瞬意識が飛びかける。もう一度。今度は眼球のわずかに上に激しく当たる。皮膚が裂けた気配がして、血のようなものが目にかかる。


 汐人の手は俺の顔を傷つけたことに気づき、一瞬躊躇するような動きを見せる。それから俺の腕をつかみ、引き剝がそうと渾身の力をこめてくる。骨に届きそうな勢いで、容赦なく腕を掴まれ、ミシミシと軋む。


「けいい……………」

「………この血液をここで絶つ。今ここで汐人を殺して俺も死ぬ。ここで絶たなければ、新しい犠牲者が生まれてしまう。汐人が一番わかってるだろ」


 血液が伝播される新たな犠牲者はLIOかもしれないし、俺に魅入られたファンかもしれない。

あるいはまったく関係のないまた同年代の若い男。


 さらに悪いことに、俺を介して拡散した場合は、犠牲者が同時に複数生まれる可能性さえある。


 

 終わらせなければ、断たなければ、断たなければ、断た―――――――――――――――――――――――――――――


 一度水に溶けて広がったものを必死にかき集めた感情が、再び水に溶けていく。

薄まり、拡散し、目視できなくなっていく。


 ――――――駄目だ、溶けないで。

 この血を――――――――――――――――――――――――――――――

 断たな―――――――――――――――――――――――――――けれ――――――――ば――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――…



 汐人の喉に絡みついていた指から、力が抜けていく。


 自分がなぜそうしているのかわからなくなり、俺は汐人の喉から指を解いた。


「ゲホッ、ゲホゲホッ…… ゲホ」


 汐人が勢いよく咳き込んでいるのか聞こえる。

 彼の顔は蒼白で、脂汗が浮かんでいる。どういうわけか俺は汐人に馬乗りになっていて、胸を圧迫しているのかと慌てて降りる。


「汐人……? 大丈夫か……?」

「ううん………ちょっと喉の調子悪くて」


 汐人の喉に手を当てて、しばらく苦しそうにしていた。それから俺の顔を見る。俺の額、左の眼窩のあたりに手を伸ばしてくる。戻っていった汐人の手には血がついていた。


「ごめん慧一。無我夢中で…顔を傷つけてしまった。許されようとしてるわけじゃないけど、今の慧一は傷の治りも普通の人間のそれと違う。明日には傷の場所すら分からなくなるだろう。ステージには立てるよ」


「そうか……」


「僕はもうすぐ死ぬけど、そうは言ってもまだ、ここで事故死するわけにはいかないんだ。黛壮太にも、家族と友人がいる。彼らとの別れはきちんとしなければ。一度経験したからわかる。別れ方が悪いと、残された方の後悔としていつまでも残るんだよ」


 黛壮汰と周囲の人間の間に、別れの儀式がいる。それは汐人なりの、侵食先の黛壮汰への贖罪なのかもしれなかった。



 夏の夜のぬるい風が、髪を撫でていく。

 遠くに一面に広がる闇の塊。昼間見ればそれは海なのだろう。

 それより手前に広がる、少し減ってきた市街地の放つ光を、俺たちは並んで見ていた。


「慧一はそろそろ戻った方がいいだろ。探されてたら大変だ」


 汐人はそう言うと、こちらに向き直った。それはもっともで、そろそろ俺を心配した事務所の関係者が、部屋を訪れているだろう。悪いことに、スマホも部屋に置きっぱなしだった。

 俺の思考を察したように、汐人は微笑んだ。


「友達になれてよかったよ。今度こそ本当にお別れ。この…黛壮汰の身体もあと1か月ももたないだろう」

「これで汐人は、本当の死を迎えられるのか?」

「きっとね。あの世からなんかできたら合図するから」

「そうか…絶対気が付くようにする」

「慧一がシャンプーしてるとき、後ろに立つとかな」

「……怖すぎる、髪が洗えない」


 汐人は楽しそうにふふふと笑った。


 俺はどうしたらいいのかわからずに、一歩引いたまま汐人の顔を見ていた。汐人はむにっと口元を緩めると、パチパチと音の出そうなウインクをした。


「慧一、友達は遠慮しなくたっていい。こういうときはハグして別れるんだ」


 そう言うと、汐人はその場で両腕を大きく広げ、白い歯を見せて屈託なく笑った。意外な展開に、俺の動きは一瞬止まる。それからつられて笑みがこぼれる。


 巨大な鳥のように、腕を広げたまま待っている汐人の身体に近づくと、その肩に顔を埋め、背中に腕を回した。汐人の掌が俺の肩や背中を掴み、抱きしめ返してくる。俺も負けずに背中に回した腕に力をこめる。意外と厚みのある体だった。だが体温は感じられず、ひんやりとしていた。


「ハグすると、落ち着くんだな。人に近づきすぎると、落ち着かないと思ってたから、初めて知った」

「ふふ…自分の身体で慧一に会って、こうしたかったな」


 しばらくの間、そうしていた。


「明日のコンサート、頑張って。バイバイ」


 それから汐人は俺から身体を離した。微笑むと手を振り、くるりと背を向けて遠ざかっていった。建物の中に戻る扉を開き、一度だけ振り返ってまた手を振った。そうして汐人の姿は建物の中に消えていった。


 その姿が見えなくなった後も、俺は立ち尽くしたまま、汐人が消えた扉を見つめていた。


 非常階段を降り、貸し切られたフロアに戻ると、俺がいなくなったことがバレていた。

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