亡霊の森の「残り香」
「ハンスさんを、消したくない……。バルト、どうすればいいの?」
ボクは、色が少しだけ薄くなった右手の紋章を、もう片方の手でぎゅっと抑えた 。ハンスさんの鼓動はまだ聞こえるけれど、さっきの一撃で、彼の大切な何かが削られてしまったような気がして、胸が苦しい 。
+4
「坊ちゃま、ご安心なさい。器を広げ、新たな魂を募ればよろしいのです。一人の重荷を、十人で分かち合えば、摩耗は緩やかになります」
バルトは、昨日までとは打って変わって、鋭い光を宿した瞳を村の北側にそびえる黒い森へと向けた。
「あの森の奥……かつての古い戦場跡に、主を失ったまま彷徨う『孤独な魂』の気配がいたします。彼らと契約し、ハンス殿の負担を減らすのです」
ボクは頷き、リーニャからもらった保存食の袋を背負い直した 。
村を出てすぐ、陽の光さえ届かない深い森がボクたちを飲み込む。
+1
「……バルト、ここ、なんだか嫌な感じがするよ」
空気は粘りつくように重く、湿っている。
すると、右手の紋章がドクンと大きく波打った。
『……気をつけろ、小僧。ここは「食い合い」の場だ。正気を失った連中が、実体のない空腹を満たそうと、お前の瑞々しい魂を狙っている』
脳内に響くハンスさんの声。それは昨日よりも少しだけ掠れていたけれど、戦士としての鋭さは失われていなかった 。
+2
「バルト、ハンスさんが『狙われてる』って!」
「承知しております。……坊ちゃま、これより先は私の守護も限界がございます。あなたの『器』を囮にして、理性を保っている霊体だけを呼び寄せるのです」
バルトはステッキの石突きで地面を叩いた。
カツン、という音が静まり返った森に波紋のように広がる。
その瞬間、霧の向こうから、無数の蒼白い「火の玉」のようなものが浮かび上がった。
それはハンスさんのような騎士の姿ではなく、もっと小さく、獣のような、あるいは子供のような、不定形の光の群れだった。
「これ、全部……幽霊なの?」
「いいえ。これらは自我すら失いかけた『魂の欠片』にすぎません。ですが、その中に一つ……妙に『素早い』影が混ざっておりますな」
バルトが視線を投げた先。
木々の間を、風のような速さで飛び回る小さな光があった。
ハンスさんの「剛」の力とは正反対の、鋭く、しなやかな気配。
「……あの光、泣いてるみたいだ」
ボクの「器」としての体質が、その光の主が抱える「孤独」に共鳴し始める 。
ボクは誘われるように、霧の奥へと足を進めた。




