その手に触れる、かつての誇り
『……死ねッ! 飢えを凌ぐ糧になれぇッ!』
咆哮と共に、老兵が踏み込む。
大剣が空を切り、風圧だけでボクの細い体は吹き飛びそうになる。けれど、バルトがボクの肩を片手で支え、最小限の動きで剣筋を躱した。
「坊ちゃま、目を逸らしてはいけません。恐怖の先、彼の『輪郭』を見つめるのです」
「……っ、う、うん!」
ボクは必死に目を開けた。
大剣を振り回す老兵の姿が、揺らぐ陽炎のように歪んで見える。
その瞬間だった。
ボクの視界が、ふっとセピア色に染まったのは。
(……ああ、熱い。喉が渇く。盾が壊れた。でも、まだだ……。この門の先には、逃げ遅れた子供たちがいるんだ……!)
「あ……」
頭の中に、知らない誰かの感情が流れ込んでくる。
それは、絶望的な防衛戦の記憶。背負った大剣がかつては美しく輝いていたこと。街を守り抜き、最後は誰に看取られることもなく、矢を全身に受けて息絶えたこと。
――怖い、という感情が消えた。
代わりに、胸が締め付けられるような愛おしさが込み上げてくる。
「おじさん……もう、いいんだよ。君はもう、十分に守ったんだ……!」
ボクはバルトの腕をすり抜け、無防備に駆け出した。
バルトが「坊ちゃま!」と声を上げたが、不思議と彼がボクを止めることはなかった。まるで、この結末を予見していたかのように。
『ガアアアァァッ……!』
老兵が、最後の一撃と言わんばかりに剣を振り下ろす。
ボクは避けなかった。ただ、そのボロボロになった鎧の胸元へ、両手を伸ばして――触れた。
「……お疲れ様。ボクの中に、おいでよ」
その瞬間、パチッ、と静電気のような刺激が走った。
ボクの「空っぽ」だった魔力回路が、一瞬だけ熱を帯びる。
『な……? お前……俺を、受け入れるってのか? この、呪われた魂を……』
老兵の青白い瞳が、驚愕に揺れる。
次の瞬間、彼の巨大な体は霧のように霧散し、吸い込まれるようにボクの右手の甲へと消えていった。
静寂が戻る。
井戸の周りの冷気は消え、残されたのは、右手の甲に刻まれた「盾と剣」の形をした淡い灰色の紋章だけだった。
「……はぁ、はぁ……。今、のは……」
体の中が、ほんのり温かい。
自分じゃない誰かの鼓動が、ボクの心臓のすぐ隣で鳴っているような、不思議な感覚。
「お見事です、アヴァン坊ちゃま。覚醒には程遠いですが……どうやら『器』としての蓋が開いたようですな」
バルトが静かに歩み寄り、ボクの汚れを払うように背中を叩いた。
「バルト……ボク、この人の声が聞こえたんだ。悲しくて、でも、すごく誇り高い声だった」
「ええ。その優しさこそが、亡き奥様があなたに託したかった『力』かもしれません。……さて、最初の住人は確保できたようです。村の掃除を始めましょうか。主としての初仕事ですぞ」
バルトの言葉に、ボクは小さく頷いた。
まだ、手は震えている。でも、さっきまでの「孤独な追放者」の気持ちは、もうどこにもなかった。




