第5話
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前書き
子どもの遊びだったはずだ。
振り返ってはいけない。
動いてはいけない。
それだけの、単純な約束。
けれどもし、
その約束を破った瞬間に
世界から消えるとしたら?
本作は、日本中を舞台にした「鬼ごっこ」ではない。
逃げても、隠れても、正解を探しても意味はない。
問われているのは、
人は、どこまで自分で考え続けられるのか
ただ、それだけだ。
――だるまさんが転んだ。
その言葉が聞こえたとき、
あなたは、もう動いているかもしれない。
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前回までのだるまさんが転んだ
最初は、ただの音だった。
どこからともなく、同時に、確実に。
――だるまさんが転んだ。
振り返った者が消え、
走った者が消え、
叫んだ者が消えた。
爆発が起きた場所もあった。
事故だと言われた。
テロだと断定する声もあった。
だが、映像を見返すと、
爆心地には「動いた瞬間」が必ずあった。
止まれば助かる。
そう信じた人間から、消えていった。
助けようとした者が消え、
名前を呼んだ者が消え、
振り向いた者が消えた。
日本中が、ゆっくりと逃げ始めた。
逃げながら、立ち止まり、
立ち止まりながら、疑い始めた。
扉を開けた者が消えた。
開けるなと書かれた扉の前で、
「誰かが中にいる」と思った者から、消えた。
後ろに何かがいると感じた者が、
確認しようとして消えた。
SNSには答えが溢れた。
目を閉じろ。
呼吸を止めろ。
祈れ。
考えるな。
信じた者から、消えた。
分かったことは、ひとつだけ。
これは遊びじゃない。
ルールでもない。
救済でもない。
考えた瞬間を、見ている。
だるまさんが転んだ。
それは合図じゃない。
警告でもない。
――もう動いたな。
そう、数を数えているだけだ。
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第5話
正しい止まり方
その情報は、夜のうちに広がった。
《止まるときは、目を閉じてください》
《呼吸を止めると安全です》
《“だるま”を意識すると助かります》
誰が最初に言い出したのかは分からない。
医者だという者もいれば、生存者だと名乗る者もいた。
画像付き、動画付き、体験談付き。
「正しい止まり方」。
それは、希望みたいな顔をしていた。
俺は、スマートフォンを見下ろしたまま、動けずにいた。
目線を落とすという行為が、まだ安全かどうか、確信が持てなかったからだ。
周囲には人がいる。
昨日より多い。
みんな、少しだけ安心した顔をしていた。
試せる、と思っている。
最初に動いたのは、若い女だった。
目を閉じ、両手を胸の前で組む。
「……大丈夫。大丈夫だから」
誰に言ったのかは分からない。
自分に、かもしれない。
次の瞬間、音がした。
――違う。
音が、来た。
女が立っていた場所が、消えた。
正確すぎるほど、きれいに。
目を閉じたからじゃない。
手を組んだからでもない。
信じたからだ。
誰かが、嗚咽を漏らした。
それが「動き」に含まれるのかどうか、考える暇はなかった。
次は、動画配信者だった。
カメラを固定し、言った。
「検証します。皆さん、止まってください」
その声の途中で、映像が途切れた。
コメント欄だけが、流れ続ける。
《今の音、なに?》
《成功?失敗?》
《止まってるよね?》
俺は、理解した。
これは、ルールじゃない。
選別だ。
正しいかどうかじゃない。
従ったかどうかでもない。
考えたかどうか。
信じたかどうか。
誰かの言葉に、
答えを預けたかどうか。
頭の奥で、あの声がする。
だるまさんが転んだ。
それは、問いかけじゃない。
確認でもない。
嘘を信じた者が、
どこにいるかを
教えているだけだ。
俺は、スマートフォンを置いた。
画面を見るのを、やめた。
正解を探すのを、やめた。
助かり方なんて、
最初からなかった。
あるのは、
どこで消えるかだけだ。
それでも、
また新しい投稿が上がる。
《今度こそ本当です》
《この方法で助かりました》
《共有してください》
世界は、
最後まで
親切だった。
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後書き
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語には、明確なルールも、
分かりやすい敵も、
救いとなる方法も用意していません。
なぜなら、
現実に起きる恐怖の多くが、
そういう形をしていないからです。
誰かの善意。
正しそうな情報。
みんなが信じている答え。
それらが、本当に「安全」だったことは、
どれほどあったでしょうか。
この物語で消えていくのは、
弱い者ではありません。
悪い者でもありません。
考えることを、他人に預けた者です。
最後まで止まっていられるのか。
それとも、振り返ってしまうのか。
その選択は、
物語の外にいるあなたにも、
もう委ねられています。
――だるまさんが、転んだ。




