『嫌われるエロってなに?』〜勝利の女神:NIKKE界隈で起きたこと〜
エロに興味がある方も、興味の無い方も、とりあえずの、ご静聴をお願いいたします。あくまでも、『嫌い』と感じられてしまいやすいエロについて考えてみます。
エロの良し悪しは論じません。
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私は『勝利の女神:NIKKE』というソシャゲをプレイしてる。4人のキャラクターを完凸させた、中堅ユーザーといった具合だ。
『勝利の女神:NIKKE』はエロだ。肌の露出が多いキャラクターや、性を強調した格好のキャラクターがたくさんいる。
しかし、去年、あるキャラクターの衣装がユーザーの間で議論を呼んだ。
「ブラン」というキャラクターの新コスチュームが公開されると、そのコスチュームに拒否反応を示すユーザーが多く現れた。
詳しく知りたい方は「ブラン パンツレス」と検索してみてほしい(不快に感じる人がいた以上、見ることの強制はしません)。
実際に調べてみて、「うーん……」となった人にとって、私の解説は、今後、自分が感じた違和感を言葉にする助けになるはずだ。
【なぜ、あの露出は嫌がられたのか】
これまでも『勝利の女神:NIKKE』は過激なコスチュームをいくつも実装してきた。しかし、なぜか例のブランの衣装には、拒否反応を示す人が多かった。
私はその理由を、「ハイファッション」と「強引な視線誘導」という2つの視点から考えてみた。
この話は、絵を描くクリエイターや接客業に携わる方、もしくは、誰かを魅了したい「小悪魔」な人々にとっても役立つヒントになると思う。
【「ハイファッション」という異質さ】
まず前提として、ファッションには2つの世界があることを、ざっくりと解説しておきたい。
まず1つ目は、私たちが普段着ているUNIQLOやGUといった「一般的なファッション」だ。2つ目は、芸術としての「ハイファッション」だ。
パリコレなどで見かける、珍妙にも見える服装。以前、ファッションデザイナーのドン小西さんが、「パリコレのあの服は売るための洋服じゃない。ないない。今期のコンセプトを表現したアートなんだよ」と言っていた。
つまり、ハイファッションは「衣服」というよりも芸術としての側面が強いのだ。
ハッ!?( > д < )
ファッッッション!!!( >д<).;':
――あぁ、寒い寒い。ファッションと言い過ぎて、思わずくしゃみが出てしまった……。
さて、話を戻そう。
ブランのあの衣装は、ハイファッションだ。その中でも「ノーパンツ・ルック」と呼ばれる、過激な広告的意味合いの強い特殊なファッションに分類される。
「ノーパンツ・ルック」には、過激な下半身で強烈な注目を集め、「それ以外の部分にある、売り出したい小物やメッセージに目を向けさせたい」という意図がある。
決して日常的な「ファッション」ではないのだ。
ユーザーはあの衣装を、無意識にいつものファッションとして理解しようとした。しかし、実際は、ハイファッションという芸術寄りの衣装であったために、自分の中にある「ファッション」とは異なるその異質さに、拒否反応を起こしてしまったのだと思う。
◇要約 ハイファッションという「異質」なものを、一般的な服として受け入れようとしようとした結果、拒否反応が起きた。
【「視線の自由」を奪う強引な誘導】
次は、その「ノーパンツ・ルック」という広告的ハイファッションが招いた「強引な視線誘導」について話したい。
ブランのコスチューム自体の出来は素晴らしい。おそらく、卓越したデザイナーがデザインしたのだろう。しかし、「ノーパンツ・ルック」による視線誘導があまりにも強すぎた。
全体的に、白を基調とした衣装デザインの中で、下半身だけが濃いブラウンで描かれている。
人間は、異質なものや見慣れないものに、無意識に視線が向くようにできている。これは、命を守るために進化した本能的な機能だ。
ブランのデザインはこの機能に強く引っかかり、見た人の「視線の自由」を強引に奪ってしまった。
少し想像してほしいのだが、もし、街中でパンツ一丁の異性が歩いていたら、あなたはどう思うだろう?
「うっわ!エッッッロ!」と喜ぶだろうか?
おそらく、多くの人は「うわ、ヤバい奴がいる……」と、性的な興奮よりも圧倒的な不快感が勝るはずだ。
その不快感は、「ヤバい奴がいる」という緊張感もあるのだろうが、見たくもないものに、強引に視線を奪われ、「(自分の意識を不当に奪われている)」という不快感も含まれている。
さらに、「ノーパンツ・ルック」のような過激な広告的ハイファッションは、倫理的な嫌悪も引き起こす。
社会には、「異性の下半身をガン見してはいけない」という規範がある。
しかし、今回のブランのような、「全体的に白いデザインの中で、下半身だけが濃いブラウンで強調されている」というデザインは異質さがあり、本能的に視線が向いてしまう。
この「見たくないのに、視線がいってしまう」という、心と身体のズレが、コスチュームへの拒否反応を生み出したのだと私は思う。
◇要約 計算された魔性のデザインが、人の視線を強引に奪い、その「意識の侵害」に対して、ユーザーは不快感を抱いた。
【まとめ】
「理解できない異質さ」
「意識を侵食する強引な視線誘導」。
この2つが組み合わさったとき、それは「品のないエロ」として一部の人々から嫌われ、拒絶されてしまう。
逆に、見る側の自由に委ねられた視線誘導――、たとえば、スカートのスリットから覗く足や、シャツを着た男性の腕に浮かぶ血管などは、「自分の意思で見つけた」といった達成感に繋がり、心地よい「品のあるエロ」として受け入れられるのだろう。
エロは奥が深い。
「理解できない異質さ」と「意識を侵食する誘導」。
これらの要素が合わさったとき、それは表現として非常に「難しいエロ」になるのだと私は思う。
【あとがき】
「品のあるエロ」は、見る人の意思(視線の自由)を尊重し、「品のないエロ」は、人の意識を強引に向けようとする。こういった感じだろうか。
以前、なろうで「エロ広告」について賛否があったようだが、広告側が、見る人の意思を侵害しているからこそ、問題が起きたのだろう。
難しい話だが、こうして考えることが出来て楽しかったと思う。




