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「和華ちゃん聞いてー! きょうこんなことあってね……」
「はいはい、いま何時だと思ってんの」
警察官として働き始め、私は繁華街にいる少年少女たちを補導するため夜間巡回をするようになった。大阪の難波にある「グリ下」と呼ばれる場所には、家に帰りたくなくてたむろする多くの未成年の子たちがいる。グリ下を何度か巡回するうちに話しかけてくれる子もいた。私、手島和華がどうして警察官を目指すことになったのか、過去を振り返りながら話そうと思う。
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私は九州の田舎で生まれ育ったのだけれど、母親が16歳の時に生まれた子どもだった。母はつわりで何度も学校を休みがちになり、私を妊娠したことを機に高校中退したのだ。父親は中卒で働く地元の先輩だったけれど、母の妊娠がわかると連絡を絶ってしまったという。そういうわけで私も実の父親に会ったことがなかった。
母は未婚で私を産んだけれど、後に新しい男ができて私のことが邪魔になったようだ。それで私は乳児院に入れられた。乳児院にいた時のことは全く記憶になく、その後里親さんに預けられたことを覚えている。
里親さんは50代の夫婦で子どもはいなかった。新川明彦さん、飴子さんという名前で優しいひとたちだった。私が3歳の時に本当の両親ではないことを教えられていたので、私と里親さんの苗字が違うことは全く気にならなかったのだ。周りの友達のご両親よりもずっと年上であることも気にならなかった。時々友達から
「和華ちゃんのとこっていつもおじいちゃんおばあちゃんが来てるけど、パパとママはどうしてるの?」
と訊かれたことがあり、私は
「おじいちゃんおばあちゃんっぽく見えるかもしれないけど、あのひとたちが私のパパとママなんだ」
と答えていたのだ。質問してきた友達本人は驚いていたけれど、これ以上は深く訊いてこなくなった。
里親さんのことが大好きだったけれど、私は時々夜になるとこんなことを訊いていたものだ。
「私が大きくなる前にパパとママが死んじゃったらどうしよう……」
他の家庭の親より歳をとっていることは気にならなかったものの、私が大人になる前に2人が死んでしまったらどうしようかという不安が尽きなかった。泣きながらこんなことを訊いても、2人は咎めずに
「大丈夫、和華が大人になって結婚するまで私らは死なないよ」
と言ってくれたのだ。そう言ってくれたおかげか私は安心して眠ることができた。