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高嶺先輩は、酔いどれまくる〜完全無欠な会社の先輩が、酔っ払うと無防備に甘えてくる〜

作者: 夢生明





 ここは、とある広告代理店の会社。


「有山! 今日の会議で発表するコンペ案は完成しているな?」

「はい。高嶺先輩のアドバイスを元に案をまとめました。確認よろしくお願いします」

「ああ」


 先輩である女性社員に呼ばれて、俺は完成したパワーポイントを見せに行く。


「ここのスライドの文字が多すぎる。もっと端的な言葉を使って、入りきらなかった情報は自分で話した方がいい」

「はい。分かりました」

「うん。でも、他はよく出来ているな。今日の会議もよろしく頼むぞ」


 彼女が微笑むと、「ほぉ……」というため息が誰からか漏れ出た。

 始業直後の慌ただしい時間。取引先とのメール返信をする中でも、彼女の様子をチラチラと盗み見る人が多いのだ。


「課長。ぼうっとしているようですが、本日締め切りの案件資料について、確認していただけたでしょうか?」

「ああ、いや。これから確認させてもらう」

「よろしくお願いします。……部長、昨日打ち合わせ予定の光沢商事さんとの話し合いについてですが、議事録をお送りしたので、ご確認よろしくお願いします」

「あ、ああ。分かった」


 彼女の名前は、高嶺華。25才の若さながら製作・クリエイティブ部門のエースである彼女は、目を引かれる端麗な容姿をしていた。大きな瞳と長い睫毛。陶器のような白い肌。薄紅色の唇。一つにまとめられている艶やかな黒髪から時々のぞくうなじが彼女の色っぽさを増させていた。

 そして、その整った容姿に加えて、彼女の仕事ぶりも凄まじい。入社してから成功させた案件は数知れず。大手広告代理店と競ったコンペ案件では、見事勝利を納め、案件をもぎ取るほどの実力の持ち主だ。


 その才色兼備ぶりから、ついたあだ名は「高嶺の華」。

 男性社員はもちろん、女性社員の中でも憧れている人は多いだろう。

 そして、そんな彼女が教育係であり、面倒を見てもらっている俺は、他の社員たちから羨ましがられる対象だったりする。


「有山〜。お前、今日は高嶺さんから褒められていたな。羨ましい限りだぜ」

「たまたまだよ」


 コンペ案件に向けた社内会議が終わり、帰宅しようとエレベーターに乗ると、ちょうど乗り合わせた同期から話しかけられた。


「元々教育係だったんだっけ? ほーんと。高嶺さんに仕事を教えてもらう上に褒められるなんて、役得だよなぁ」

「本当に今日はたまたま。怒られることも結構あるし」

「あんな美人なら、たとえ怒られてもご褒美だろ」

「うわ、お前……」


 同期が真顔でやばいことを言ってる。俺が若干引いていると、彼はすかさず話題を変えた。


「ていうか、高嶺さんはもう帰ったのか? いつも早く帰っていくけど、何してるんだろうな」

「……さあ」


 彼の言う通り、高嶺先輩は仕事が終わるとすぐに帰宅をする。上司の誘いや同期の飲み会にも、ほとんど顔を出さない。そういった意味でも、絶対に手の届かない存在として、「高嶺の花」と呼ばれているのだ。


「やっぱり彼氏と待ち合わせとかか?」

「そんなこと知るかよ」

「まあ、彼氏くらいいるよな。いいよな、彼氏はあの胸を揉みたい放題なんだろうなぁ」

「お前、それは何かのハラスメントになるぞ」


 更にやばいことを言い始めた同期を諫めると、彼は肩をすくめた。


「絶対に手に届かない存在なんだから、そんくらい思ったっていいだろ」

「……」

「それに、本人に言うわけじゃないし……っと、俺はこっちから帰るから。じゃあな」

「ああ、また」


 手を挙げて去って行く同期の姿を見送りつつ、俺は呟いた。


「手が届かないなんて存在じゃないぞ、あの人は」


 ため息をついて、俺はいつもの場所に向かう。

 会社から徒歩20分。住宅街の続く路地裏に、ひっそりと看板を掲げている居酒屋。近くに駅やバス停がないため、交通の便が悪く、ほとんど地元の人間しか訪れない知る人ぞ知る場所だ。


 引き戸を開けて、店の中に入る。すると、そこには、ビールを仰ぐ美女の姿があった。

 彼女はすぐに振り向いて、俺に向かって手を挙げた。というか、子どもみたいに手をぶんぶん振っている。


「ありやまだ! おそいよぉ!」


 火照った頬に、とろんとした瞳。シャツは第三ボタンまで開かれており、胸元からは陶器のような白い肌がのぞいている。

 一つにまとめられていたはずの艶やかな髪は無造作に下ろされていて、どこか扇情的だ。


 その無防備な姿を見て、俺はため息を吐いた。そして、彼女の名前を呼ぶ。


「もう飲んでるんですか。……高嶺先輩?」


 そう。無防備な姿を晒して飲んでいるこの人こそ、企画部エースで俺の教育係・高嶺華である。



 企画部のエースで教育係の高嶺先輩。彼女のことを完璧な存在だと憧れているピュアな時期が、俺にもありました。けど、それは大間違いだったことにすぐに気づくことになる。

 きっかけは、入社して3ヶ月が経過した頃のことだ。教育係である彼女に仕事のイロハをたたき込まれ、ようやく独り立ちできるようになった日のことである。帰りがけに、彼女から飲みに誘われたのだ。


『この3ヶ月よく頑張っていたし、飲みに行かないか。奢るぞ。もちろん無理にとは言わないが』


 俺は二つ返事で了承した。憧れの先輩と飲みに行けることが純粋に嬉しかったし、彼女から飲みに誘われたという周りへの優越感もあったと思う。

 しかし、それらの感情はすぐに崩されてしまう。


 飲み始めた彼女は、まるで幼児みたいに甘えてきたのだ。


 『おつまみ食べさせて』とか『あたまなでて』とか甘えられるのはまだ良い方だ。酒に弱いんだなと思える許容範囲だ。それ以上はやばい。暑いからと服は脱ぎ始めるし、俺に抱きつき始めるし、絡んでくるし!

 やばかった。本当にやばかった。

 主に俺の理性が! 俺の理性が吹き飛びそうだったから!!


 この日を境に、完全無欠な会社の先輩像が音を立てて崩れた。そして、なぜか俺たちはよく飲みに行く仲になった。

 最初は先輩も醜態を晒したことを恥ずかしそうにしてたのだが、弱みを見せたことで吹っ切れたのか、たびたび俺を飲みに誘うようになったのだ。他の人の前では、お酒をセーブするようにしていたし、こんな姿見せたことがないらしい。本性を知っている俺の前でなら、いくらでもお酒を飲めるから、とお願いされてしまったのだ。

 俺も俺で、そんな彼女のことを放っておけず、週末は彼女と飲むことが恒例化してしまった。


 同期の『絶対に手に届かない存在なんだから、そんくらい思ったっていいだろ』という言葉を思い出す。


 「手が届かない」だって?

 彼女は、そんなかわいい存在じゃない。俺にとって彼女は、どこまでも手に負えない存在なのだ。


「ありやま~は~や~く~。わたしは、もう数杯のんだんだぞ」


 ふふーんと、ビールを片手に胸を張る姿は、幼い。

 幼いのに、シャツの隙間から覗く胸は成人女性であることを確かに主張していて、混乱する。というか脳がバグる。


「飲み始めるのが早すぎるんですよ」

「ビールがうまいからな!」

「幼児みたいな声でビールとか言わないで下さいよ後ろの人がびっくりしてるから」


 ノータイムでツッコミを入れつつ、俺は彼女の目の前に座る。店員を呼んで、注文を始めた。


「とりあえず生で」

「はいよ」

「大丈夫ですか。この人、お店に迷惑をかけてませんか」

「大丈夫ですよ。でも、お姉さんは寂しかったみたいですよ。扉が開く音がするたびに、後ろを振り返って誰が来たのか確認してましたから。お兄さん、愛されてますね~」


 店員の言葉に苦笑いする。なぜか、この店の人達には俺たちが恋人同士だと勘違いしているみたいで、この店に通い続けている俺たちを揶揄うこともしばしばだ。


 そんなことは気にもせずに、彼女はとろんと俺を見上げる。


「ありやま~。きょうも、おしごとがんばったんだぞ。えらいってほめて」

「はいはい。高嶺先輩はえらいですよ」

「もっと具体的に」

「注文が多いな……。そうですね。周りからのプレッシャーもあるでしょうに、それをものともせずに働いているところとか。俺の面倒を見ながら、別の大口も案件も進めているところとか、尊敬してます」


 彼女の注文通りに褒めると、彼女は満足そうに「ふふーん」と笑った。


「というか俺も働いてるんですけどね?」

「む、そうだな。ありやまもえらいな~。ほめてつかわす~」


 彼女は身を乗り出して、俺の頭を撫でる。その瞬間、のしっと重いものがテーブルの上に乗った。


「……シャツのボタンを開けて身を乗り出さないでくださいよ」

「なんで?」

「……」


 見えそうだからに決まってんだろうが。何がとは言わないが。


「お店に迷惑だからですよ。ほら、しっかり座る」

「はーい」


 聞き分けよく返事をする姿は、まさに幼児。その危機感のなさも彼女の幼児度を上昇させている一因だ。幼児度ってなんだ。


 と、そんな会話をしていると、ようやくビールが運ばれてきた。ためらわず、ぐいっとビールを仰ぐ。鼻腔をくすぐるアルコールのにおいとビールの苦みが心地良い。仕事終わりのビールは身に沁みる……。


「ありやま、からあげ頼んどいたけど、たべるか?」

「お、ありがとうございます。いただきます」

「レモンはかける派?」

「かけない派です」

「よし、じゃあ、私が絞ってあげるからな~」

「話聞いてました? というか話の文脈分かります?」


 そう言うと、彼女はいたずらっ子みたいに笑った。会社では絶対に見せない顔だ。

 この表情を見れるだけで、まあ結局のところ役得かなとも思えてしまう俺よ……。


「こんな先輩の姿を会社の人が見たら、絶望する奴が多いんでしょうね。先輩は、いつだって完璧だから」

「むー、いいじゃん。いつも完璧を演じてると疲れるんだもん」

「だもんって」

「それに、有山にしかこんな姿見せることはないだろうし」

「そう、ですか?」

「うん!」


 そう頷く姿は幼い。幼いんだけど、その見た目はどこまでも大人の女性で……。

 「俺にしか見せないって、どういう意味ですか?」と聞きたくなる。というか、聞いてもいいんじゃないか、これ。もし気まずい空気になりそうだったら、冗談だってことにして……。


「……い」

「え?」


 その時、彼女が何かを呟いた。


 俺が聞き返すと、彼女は青ざめた顔で口を開いた。


「き、きもちわるい……」

「早くそれを言え!!!」






 俺は酔い潰れた先輩を支えて、彼女の住むマンションまで来ていた。ここまで酔っている彼女を一人で返すわけにはいかないという使命感ゆえ、ここまで来てしまった。会社の同期が知ったら、殺されそうな状況だな。


「高嶺先輩、鍵下さい! 鍵!!」

「胸ポケットに入ってるから、取ってぇ」

「……んなところに入れるな。自分で取れ」


 彼女は不本意そうに胸ポケットをまさぐって、キーホルダーのついた鍵を俺に渡した。白い薔薇のシンプルなキーホルダーは、会社での彼女のイメージと合致していた。


 高嶺先輩の住む部屋は、意外と広くて、リビングの他に二つ部屋があった。


「先輩、寝室はどこですか?」

「あっち」

「はいはい」


 俺はすぐに、彼女が指をさした扉を開けて、そのまま彼女をベッドに転がした。

 顔を真っ赤にしてベッドに転がる姿は扇状的で、俺はなるべく彼女の姿を目に入れないようにして、口早に言った。


「それじゃあ、水を飲んで早く寝てください」

「まって、」


 早々に立ち去ろうとしたのに、くいっとシャツの袖を引っ張られてしまった。

 後ろを振り向くと、高嶺先輩が俺のシャツを掴んでいた。


「な、なんですか?」

「……」


 俺のシャツをつかむ彼女の手が熱くて、彼女の身体が火照っていることが指先から伝わってくる。


 第三ボタンまで開かれたシャツからは、ハリのある柔らかな胸がのぞいている。推定Fカップ。いかん、何を考えているんだ。


「もういくの?」

「行きますよ」


 俺はすぐに目を逸らして、足を進めようとするが、彼女はなかなかシャツから手を離そうとしない。というか何気に力が強いな、この酔っぱらい。


「先輩、離して下さいよ」

「どこに行っちゃうの?」

「どこって、家に帰るんですよ……」

「ねえ、ありやま」


 何かに期待するような瞳で見つめられる。彼女は薄紅色に染まった唇を、ゆっくり動かした。


「まだ、いかないで」

「……」

「一緒に寝ようよ」


 その言葉にヒュッと喉が鳴った。


 何を言ってるんだ、この酔っ払い幼児は。こんなの、何をされたって文句言えないだろう。


 俺は試すように、推し量るように、彼女に一歩近づいた。


「……誘ってるんですか?」

「え?」

「誘ってるとしか思えないんですけど」


 「一緒に寝よう」なんて言って、何もされないと本当に思っているのだろうか。俺を舐めているのだろうか。侮っているのだろうか。


 だとしたら、ここで引くわけにはいかない。そう思っていたのに……


 俺の質問に、彼女は満面の笑みで答えた。


「うん! 誘ってる!!」


 ……本当に幼児かよ。


「はあ……、気が抜けました。さっさと寝て下さい。この酔っぱらい幼児が」

「えー、いっしょにねよーよ」

「寝言は寝て言え」


 そう吐き捨てて、俺はバタンと彼女の部屋の扉を閉めた。そして、俺はその場にしゃがみ込んだ。


「あっぶなかった」


 あとすこしで。本当にあと少しで、会社の先輩に手を出すところだった。


 俺は、必死に煩悩を消し、大きくため息を吐いた。


「はぁぁぁぁぁぁあ」


 俺は、いつもいつも、この誘惑に打ち勝たなければならない。一線を超えてしまうわけにはいかない。もちろん会社での関係とか、きまずいとか、そういうのもあるが。


 だって、彼女は酔った勢いで言ってるだけで、他意はないと分かっているから。


 俺だって、無防備に甘えてくる彼女に、「もしかして俺に気があるんじゃないか」とうぬぼれたことくらいある。今日だって、何回もうぬぼれかけた。でも、それは違うと分かっているのだ。


 かつて彼女が酔っ払った時に言っていたのだ。


 “忘れられない人がいる”と。


 きっと昔の彼氏のことを言っているのだろう。彼女は、本当に俺のことをただの後輩としか見ていないし、後輩だと意識していないからこそあんな無防備な姿を見せてくるのだ。勘違いしてはいけない。


 こんなに甘えられておいて、こんなに煽られておいて。手を出せないなんて、どんな拷問だ。

 待てをされた犬の気分ってこんな感じなのかな、はは。


 それでも、今日みたいに勘違いしてしまいそうになる日はあって……。


「はああああああああああああああ」


 扉の前で座り込んで、再び深いため息を吐く。すると、後ろからドンドンと扉を叩く音が響いた。


「ありやま〜、ありやま〜!」

「なんですか? なにかあったんですか?!」

「トイレ行きたいのに、扉が開かない!」

「だぁぁぁぁぁあ、もうっ!」


 今日も今日とて、高嶺先輩は酔いどれ、俺はそれに振り回されている。






◇◇◇




 次の日、朝。6時にセットされた目覚ましが鳴り、私、高嶺華はすぐに目覚まし時計を止めた。


 起きあがった瞬間、倦怠感と頭の痛さに襲われる。見下ろすと、昨日仕事に着ていったものをそのまま着ていた。


 そして、徐々に昨晩の記憶を取り戻し……


「ああああああ、またやってしまった」


 私は膝を抱えて、羞恥心に身もだえた。


「また、恥ずかしい姿を見せてしまった……。しっかり先輩として有山をねぎらおうと思ってたのに! なんで酔っ払ったんだ、私は! でも、会社の外で有山とシラフではうまく話せないし……」


 私は彼のことがずっと前から好きだった。アルコールの力がなければ、二人きりの状況に緊張して、彼とまともに話すことすらできない。会社では、先輩として話すことは容易だが、プライベートだと思うと、どうしても緊張が勝ってしまうのだ。だから、いつもお酒を多めに飲んでは、情けない姿を晒してしまう。

 それでも、彼と近づきたくて、いつも必死に飲みに行こうと誘ってる。うまく距離を縮められたことはないけど。


「というか、誘ってるのかって聞かれて、“うん! 誘ってる!”って、なんて答えなんだ! 色気も何もないし、絶対変に思われた!」


 私は頭を抱えて、首を振る。こうして反省会するのも、いつもの恒例である。


 そして、決意するのだ。

 

「……次は気をつけよう。次は」


 その決意が実現する日は、まだこない。

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