9話 春子の生きづらさ
スタジオ練習をする人たちが休憩するためにあるのであろう広大なスペースで、私はソファに腰掛けた。飲み物の自動販売機だけでなく軽食の自動販売機も完備されており、かなり充実した休憩が取れそうなこの場所は、今からヒアリング会場となる。
苦い話になりそうだ、ということで私は砂糖マシマシのカフェラテを購入。体に悪そうな甘さが体に染み込んで、なんだか逆に生きた心地がした。
『よくそんな甘そうなもの飲めるね』
「春子さん!」
1人目は春子さんらしい。らしいというのも、私に主導権を握られるのが嫌なのかヒアリングの順番は《Hazy Fog》のみなさんで決める、と押し通されてしまったのだ。
春子さんは長い茶髪を指でくるくる巻いて、不服さを前面に押し出している。自動販売機で水を買い、私の対面のソファに腰掛けた。
『っていうか、私からのヒアリングって必要? どうせ狼奈ちゃんから聞いているんでしょ?』
「それはそうなんですけど、作詞のためには本人の口から聞きたいんです」
『それ、残酷なこと言ってる自覚ある?』
「あります。もちろんです」
『……大胆』
春子さんは呆れたようにため息を吐いた。
「教えてください。春子さんが感じる生きづらさの根源を」
『……私は学校では優等生なの。友達も多くて先生からの信頼も厚い。中学では生徒会長だってやった。軽音部部長と兼任でね』
誰もが春子さんの人生は順風満帆なものになる。そう信じて疑わないだろう。
しかし、狼奈さんから聞いた話が真実なら話は変わってくる。
『高校に入って、たまたまドラムとギターをやってた二葉ちゃんとちぐさちゃんを誘ってバンドを結成した。煌びやかな青春が送れると思った』
「でも、違った?」
『私たちはライブハウスで活動する予定だった。でも現実として施設利用料とチケットノルマ、2つの金銭問題に直面した。ちぐさちゃんと二葉ちゃんはあんなだから、バイトなんてできるはずもない。だから私が稼がなきゃって思ったの』
言ってることは酷いけど、気持ちはわかる。詳しく知らないけど、あの2人にバイトや金銭を任せるのは不安だろうから。
『どこにでもあるドラッグストアでアルバイトを始めた。上手くいくと思ってた。どこに行っても、私は優等生だったから。でも、社会は違った』
「違ったとは、具体的にどう違ったんですか?」
『そのドラッグストアは店長だけ中年男性で、あとはパートの主婦さんたちと大学生だった。店長は売上ノルマのためにギラギラしていて、常に余裕がない感じだった。入ったばかりの私に、5年以上働いているパートさんと同じ働きを求めた』
「…………」
『大学生は仲良くしてくれたけど、次第に目つきが変わり始めた。噂で聞いただけだけど、1人が私のこと好きになったみたい。それで居場所がなくなり始めていった。ミスをするとパートさんから、色恋に夢中になってるからって嫌味を言われる。大学生には気持ちの悪い色目を使われる。はっきり言って後半は地獄だったよ』
「それはその職場が悪いんじゃ……」
『ううん。次のバイト先も、そのまた次のバイト先でも人は違えど結果は同じだった。私の手元に残ったのはライブ一回分のチケットノルマ代と、短期退職を繰り返してきた履歴書だけ。私は社会不適合者なんだって、思い知らされた』
すべてを語り終えた春子さんはペットボトルを握りつぶす勢いだった。
「ありがとうございました。これを参考にいい歌詞を書きますね」
『……あのさあ、もっと気の利いた言葉とかないわけ?』
「だってこんな暗い話を全員分聞くんですよ!? そんなの受け止め切れないです。私が求めるのは【勝手に吐き出してください、歌詞にしますから!】 って状況だけです」
全部受け止めていたらこっちが病んでしまう。私がするのはヒアリングであって、カウンセリングではない。
「じゃあ次の方呼んできてください」
『……なんか詩穂ちゃんといると調子狂うなあ』
「告白ですか!?」
『ペットボトル投げるよ?』
何はともあれ、春子さんのヒアリングは終了した。が、最後に春子さんは足を止めて……。
『私は《Hazy Fog》で食べていくつもりだから。詩穂ちゃんもそのつもりでね』
……プレッシャー。本心だろうけど、わざと言ったなあの人。
事情は事前に狼奈さんから聞いていたけど、やはり本人から聞いてこそな部分は大いにある。
でもこれを4人分と考えると、ちょっと心が痛い仕事だなあなんて弱音を吐くのは許してほしい。それくらい、生きづらさを吐き出されるのも辛いのだ。