8話 詩穂の腹のうち
初めて足を踏み入れたスタジオは、ほんのり甘い木の香りがした。
安らぎを与えてくれるそれに反して、私の心は強張っていた。たぶん顔も同様だろう。
いま私の眼前には4人の少女たちがいる。彼女たちは各人各様の顔色で私を見つめていた。
一人は銀髪ポニーテールの荒々しい見た目の少女。すでに不機嫌そうで椅子に足を乗せており、スカートがあわや捲れて大惨事寸前である。でも本人はそんなこといっさい気にもしていない様子だ。
一人は紫色の髪の毛をウェーブがかかった……いや寝癖か? ともかく眠たげな少女。他人の顔色を窺いながら生きてきた私でも内面を読み取れないから不安だけど、よく思われていないことだけは確かな気がする。
一人は金髪ウルフカットの少女。金城狼奈さん。よく知った……というほどの関係性でもないけど、この空気感の中では一番安心できる人間だ。
最後は茶髪ロングのおっとりした雰囲気のある少女。藤田春子さんが、もはや隠す気すらない敵意を私に向けている。
挨拶をしよう。そう思った瞬間、私の発言権を奪う様に銀髪ポニーテールの少女が立ち上がって私に近づき、顔を接近させてきた。まるでヤンキーのガン飛ばしだ。
『テメェか、作詞するってのは』
「は、はい」
荒々しい口調だ。顔を近くで見るとまつ毛が長くてすっきりした顔立ちなのに、これでは形無しだ。
助けを求めるように狼奈さんへ視線を向けると、彼女はため息を吐いて不良少女を嗜めた。
『おいちぐさ、あんま顔近付けるな』
ちぐさ、というらしい少女は狼奈さんを睨む。
『あー? ジェラってんのか狼奈』
『ち、違うわ! 詩穂は耳が聞こえないんだ。読唇術で会話するから、あんまりガン飛ばして唇の動きを隠すな』
あ、何気に初めて狼奈さんから「詩穂」って呼んでもらった気がする。……ちょっと嬉しいかも。
『耳が聞こえないだと?』
ちぐささんは私の顔をよーく見て、おそらく舌打ちをして椅子に帰っていった。不良だけど、極悪人ってわけではなさそうだ。
さて、気を取り直してあいさつだ。しっかり自分の意見を伝えないと。
「……初めまして、国星詩穂です。私が作詞することに対して、みなさんがご納得いっていないのは理解しています。でも私は、作詞依頼を断るつもりも辞退するつもりもありません」
『ああっ!?』
突っかかるちぐささんを無視して続ける。
「私は先天性失聴で、たくさんの人に支えられて生きてきました。他人と接すると今みたいに、迷惑をかける場面が増えます。私はそれが嫌で嫌で仕方なかった。自分が誰かの荷物になるのが嫌で嫌で仕方なかった。時に死にたくなるくらいに」
『お前……』
『詩穂ちゃん……』
私に向けられる視線が少し変わった。そんな気がする。
私という人間を知ってもらうには、腹のうちを明かすしかない。明かすなら、すべてだ。蓋をして見ないふりをしてきたものもすべて、明かしてやる。
「それから私は読唇術を学びました。せめて他人の負担を減らそう。迷惑を最小限にしよう。そう思って、今日まで生きてきました。ずっと他人の顔色を窺い、なるべく他人のご機嫌を取ろうとして、自分を殺し、文学の世界に逃げ込み、日陰で生きていました」
もう誰も突っかかってはこなかった。みな一同に、私の話に耳を傾けてくれている。
「それでも昨日、《Hazy Fog》のライブを見て感動しました。みなさんが抱えている生きづらさが何か、いまの私にはわかりません。それでもみんなが生きづらさを抱えていて、それを狼奈さんに託して吐き出している。そんな《Hazy Fog》に心打たれたんです。その後に作詞を依頼されて、首を横に振るなんてできませんでした。私もその一部になりたい。生きづらさを吐き出したい。そう思ったからです!」
……静寂。だと思う。
まぁ満足かな。結果はどうなるかわからないけど、伝えるべきこと、そして私の腹は全部見せた。あとはどう決めるかは彼女たち次第。
『……やれよ』
口を開いたのは、意外にもちぐささんだった。
「え?」
『でも覚えとけよ! これでくだらねえ歌詞書いたらぶっ飛ばすからな!』
そんなことを口走るちぐささんの頬はほんの少し赤かった。ツンデレ? ちょっと古典的だなあ。
春子さんもうんうんと頷いている。ちょっとは認めてくれたらしい。もう一人の子は、まだちょっと感情がわからない。
認めてもらった私の肩を、狼奈さんが軽く叩いた。
『それで詩穂、歌詞に行き詰まっているって言ってたけど』
「あ、はい。みなさんがどんな生きづらさを吐き出したいのか、よくわかっていなくて」
そう、これからが大事。作詞するなら生きづらさの根源を知る必要がある。
厄介なのは、抱えている生きづらさの根源は人それぞれだという点だ。
手っ取り早いのはみんなのことを早く知ること。それには……
「そうだ! みなさんでお出かけしませんか? 遊園地とか」
『『『『却下』』』』
「全員否決!?」
『こいつらと休日過ごすとかない。きもい』
「ええ……」
仲悪ぅ。
でも仲良しこよしの馴れ合いでやってないからこそ、《Hazy Fog》特有の魅力があるんだろうなあ。ああ、ままならない。
「じゃあせめてお一人ずつ時間をもらって、ヒアリング調査をさせてくれませんか?」
『まあ、それなら』
渋々……という雰囲気だ。
でもそれでいい。聞き出して、吐き出してもらって、私が歌詞にする。
それに必要なフェーズは絶対に逃さない。それこそが、私の生きた証を磨き上げるのだから。