5話 Hazy Fog
狼奈視点
〜1時間前〜
アタシら《Hazy Fog》が利用する練習スタジオは、メンバー4人で割り勘すれば小学生でも利用できるくらいには良心的なところだ。
アタシたちは月に一度、体育館を10分間占拠してミニライブを行っている。今日もライブをやったわけだけど、盛況とは程遠い結果だった。
だからライブ後は、決まって反省会のような重苦しい空気が流れている。
そんな空気を吹き飛ばすように、アタシは口を開いた。
「作詞の件だけど、ウチの生徒に依頼したから」
アタシの宣言に、すぐ行動に移したのは予想通り銀髪の女だった。
そいつはつかつかと足音を立て、勢いそのままにアタシの胸ぐらを掴んだ。
シャツが首を圧迫し、呼吸を制限される。
「テメェふざけてんのか!」
凄む銀髪ポニーテールのこいつは椙山ちぐさ。ウチのギター担当。
派手な銀髪やら金色のピアスやら荒すぎる言葉遣いやら。見ての通りアタシ以上の不良娘だ。
極め付けは、こいつの一人称。
「誰の許可を得て依頼なんてした? オレか!? ああん!?」
オレ。不良を拗らせまくった結果、そこに落ち着いたらしい。
収まる様子のない喧騒の間に立ったのは、ふわっと香るレモンの香り。
アタシの肩とちぐさの手に、柔らかな雪肌の手が乗せられた。
「2人とも落ち着いて。ね?」
「……チッ」
「アタシは元から落ち着いているから、春子」
藤田春子。ウチのベース担当。
ふわふわした茶髪と、見た目通りふわふわした性格。あと巨乳。
同級生からの信頼も厚く、一部界隈からは「ママ」とまで呼ばれている変わった女だ。今日のライブに来ていた生徒も、8割以上こいつのファンだ。
「狼奈ちゃん、突然どうしたの? 今まで狼奈ちゃんが書くって言ってたじゃない」
「……4月に結成して、もう9月だよ。アタシら一曲しか作れてないじゃん」
今日演奏した『藁』。あれが《Hazy Fog》唯一のオリジナル曲だ。
「このままだと来月末の文化祭に間に合うわけない。現実問題、作詞は誰かに任せるべきだったろ」
「それで外様の女に任せるってか? イカれたのかテメェ」
「ちぐさ、こっちは色々考えているんだ。ただギター弾いているだけのお前とは違うんだよ」
「……よーし、買ってやるよその喧嘩!」
「もう2人ともストップ!」
春子の言葉に、アタシもちぐさも一旦はクールダウンした。
しかし納得していないのは変わらない事実で、ちぐさは毒を吐くように言葉を紡いだ。
「そもそも学校なんかで演奏して何になるっていうんだ。演奏ならライブハウスだって……」
「お金はどうする。レンタル代やチケットノルマ代なんて、アタシたちで捌けるわけじゃない」
「……チッ」
ちぐさは演奏能力やストイックさは優れているけど、いかんせん頭が弱い。そこは、アタシたちでカバーしなければいけないところだ。
もちろんライブハウスに移ることも選択肢にはあった。それでも金銭的な事情により、その計画が流れたのは記憶に新しい。
ちぐさは舌打ちを吐き、ギターを持って帰ろうとした。練習すらやめるつもりらしい。
揺れ動く銀色のポニーテールの背中に、アタシは呟いた。頭の中で微笑む、黒髪サイドテールの失聴少女にごめんと謝りながら。
「なら明日、依頼したやつをここに連れてくるよ」
アタシの言葉に、ちぐさは足を止めた。そしてひと言。
「ああ、くだらねえ奴ならオレがボコボコにしてやるよ」
それだけ言い残し、ちぐさは去っていった。
「はあ、こうなる気はしてたんだよなあ」
沸点が低いちぐさなら、って危惧していたが、その通りの結果になった。
不意にごとんと重たい音がスタジオに響いた。音の出所へ視線を向けると、今まで口をつぐんでいたウチのドラム担当が帰る支度を進めていた。
「なに、二葉も帰るの?」
「ん」
「そっか、じゃあ今日は終わりか」
淑徳二葉。ウチのドラム担当。背が極端に小さい。小学生かと思うほどだ。
紫色の髪にはウェーブがかかっているが、本人曰く寝癖らしい。
それに説得力を持たせるのが、二葉は不登校気味であるという点だ。あまり見た目に気を使うタイプではない。
その上かなりの無口で何を考えているのかわからないやつだ。でも、絶対に《Hazy Fog》の練習には参加する。
帰り際、二葉もちぐさのように言葉を残していった。
「……二葉は狼奈の歌が好き。二葉は狼奈の歌詞が好き」
「そっか。あんがと」
「ん」
つまりは作詞依頼反対ということなのだろうが、同じ意味でもちぐさとは大きな違いだ。
さて、残ったのは春子だけか。こうなると決まって……
「ねえ狼奈ちゃん、ちょっとカフェにでも行かない?」
「……うっす」
こうなるんだよなあ。
春子は柔和な印象を受けるけど、その奥には北極より極寒の冷えた心がある。それはバンドメンバーなら全員感じていること。だからちぐさも春子には反抗したりしない。
世界一まずいコーヒータイムが始まりそうだ。
ああ、なんて生きづらい世界なんだろう。