3話 アオハルの音
『だ、ダサかった? アタシのライブが……ダサかった?』
私の言葉を反復し、わなわなと震える狼奈さんは、怒りというより困惑の様相だった。
選んだ言葉に棘を持たせてしまったことを少し悔いた私は、すかさず訂正の言葉を吐き出す。
「もちろんギターを弾く狼奈さんはカッコよかったと思いますよ。出来の良し悪しは私にはわかりかねますが」
この訂正で幾分か冷静さを取り戻した様子の狼奈さんは、しかしまだ納得がいかないとばかりに唇を尖らせた。
『じゃあ、何がダサかったわけ?』
「歌詞です」
『っ!』
図星……って表情だ。
「狼奈さんの“生きづらい“という気持ち、すっごく心に響きました。正直、こんなに感情が動いたのは初めての経験です。ですが、いささか歌詞が直球的すぎるとおもいます。もう少し垢抜けた歌詞じゃないと、せっかくの“生きづらさ“というテーマが形無しになっていると思うんです」
狼奈さんが具体的に何に対して生きづらさを感じているのかはわからない。
ただ生まれた生きづらさの種を、大きな木に育てているのはたぶん……
「狼奈さんにとって、生きづらさは心の霧を上手く言葉にできないことにも起因しているんじゃないですか?」
私の問いに、狼奈さんは一瞬目を閉じた。そして答える。
『……ああそうだ。その通りだよ』
あっさり認めた狼奈さんは、屋上に吹く風で乱れた髪も厭わないように失笑したようだった。
『あーあ、本当はアンタに褒めてもらって、ちったあ生きづらさを解消できるかと思ったんだけどな』
「嘘ですね」
『嘘?』
私の言葉に、狼奈さんは目を見開いた。
「狼奈さんは自分と同じ生きづらさを感じる人間を探していた。たまたま出会った私が失聴者で、生きづらさを抱えていると知ったからライブに誘った。違いますか?」
『……勘のいい女。小説家と話しているみたいだ』
「小説をたくさん嗜んできましたから」
なぜ私がここまで狼奈さんを追い詰めるようにズバズバと指摘するのか。
それはさっき言った通り、彼女の歌に感動したからだ。あれは嘘ではない。本当に、本当に人生で一番感情が動いたものだった。
だからこそ、狼奈さんにはよりよい歌を作ってほしい。また私を感動させて欲しい。生きづらさを吐き出して、共感させてほしい。そんな思いから、私は心を鬼にしてズバズバ言葉を紡いだのだ。
さて颯爽とスカートを翻して帰ろう。まるで小説における主人公を導くミステリアスなキャラクターの如く。
……が、そんな私の思惑は後ろ手を取られることでかき消された。
『 』
狼奈さんに背を向けているので、何を言っているのか分からない。
ただ、思い切った何かを言ったようだ。というのは振り返って彼女の表情を見て理解した。
「あの、手痛いんですけど」
『あ、悪い悪い』
嘘だ。別にそんなに痛くなかった。
でも狼奈さんの猛々しい見た目に反して柔らかな温かみのある手に触れていると、謎の危機感を覚えたのだ。
「それで何か言いましたよね。聞こえていないのでもう一度お願いします」
私が促すと、狼奈さんはモジモジ、モジモジ。
そして彼女は再び顔をほんのり赤らめながら、言った。
『《Hazy Fog》の作詞をして欲しい!』
唇の動きを読み取って、フリーズ。
読み間違え……いやそんなはずはない。他人の顔色を窺って生きてきた私は、いわば読唇術のプロだ。間違えるはずもない。
いやでもしかし、にわかには信じられなかった。だから私はがらにもなく聞き返した。
「も、もう一度言ってもらえます?」
『バカっ! 恥ずかしいんだぞこれ!』
その発言は、聞き間違いではないと言っているようなものだった。
『……アタシの感じる生きづらさを、アンタがダサくない歌詞にする。そんでもって、生徒がたくさんいる文化祭で初披露。どうだ?』
……私はずっと、『自分が生きていた』という証をこの世に残したいと思っていた。
でも行動には移さなくて。日々を消化して、生きづらいとか思っていて。
狼奈さんは違った。行動していた。生きづらい社会に、生きづらいんだぞって叫んでいた。
それが眩しくて、カッコよくて、産毛が逆立った。もし私が、その一部になれたなら。もし私の歌詞が、この世に生きていたことの証になるのなら。
迷うより先に、答えた。
「やります……やります!」
『……へへっ』
狼奈さんはニヤッと笑い、私に手を差し伸ばしてきた。
私はその手を取り、にっこり微笑み返す。
人生が動き出す、無音の音がした。
それはアオハルという名の、エフェクターとなって。