12話 狼奈の生きづらさ
長かったヒアリングもこれで最後。
金髪ウルフカットの狼奈さんは、自動販売機で一番甘いココアを買って私の対面席に腰掛けた。
『なんか春子もちぐさも二葉も、みんないい顔して帰ってきたんだけど。アンタ精神科医だったの?』
「私は何も。吐き出したいことを吐き出せたら楽になれるアレじゃないですか?」
『なるほど……そういうものなのか』
狼奈さんは納得しながらココアに口をつけ、柔らかく口角を上げた。隠す気すらない甘党娘だ。
「さっそく本題ですが、狼奈さんの生きづらさの根源とは?」
まるでサッカー選手に「あなたにとってサッカーとは?」と尋ねるようなテンションで、私は狼奈さんに問いかけた。
狼奈さんは生きづらさを吐き出したいと言い続けていた。つまり、何かしらを抱えているはず。これまでその内容まではわからなかったけど、ついに明らかになるのだ。
が、得られた答えは意外なものだった。
『わからない』
「わからない……ですか」
狼奈さんは可愛らしい顔に陰を落とした。
『春子もちぐさも二葉も、具体的な生きづらさを持っているわけじゃん。でもアタシはそういうのなくて。でも生きづらさは感じていて。じゃあどうすればいいのって思ってるんだけど』
なるほど、作詞においては一番の強敵だ。
「迷路に入ってしまった、みたいな感じですね」
『さすが文学少女。表現がいいじゃん』
さて困った。これでは作詞に響く。
……いや、そうでもないのか? もしかしたら狼奈さんの生きづらさの根源って……。
「狼奈さんは学校ではどう過ごしているんです?」
『だいたい寝てるかサボって屋上だよ』
「失礼ですが友達は?」
『いない。やれSNSだアイドルだテーマパークだ。そういうのに楽しみを見出せないから』
なるほど。汚い言葉を使うが、狼奈さんはいわゆる「無キャ」というやつなのだろう。
趣味もなく、社交性も特段高いわけでなく、不良に陥るわけでもなく、猫をかぶることもしない。
欠けているんだ。自分が何者であるかが。すなわち、アイデンティティが。
アメリカの心理学者エリック・エリクソンは、アイデンティティを喪失した状態のことをアイデンティティ・クライシスと提唱した。狼奈さんはまさに、それに陥っている。
それが起因した生きづらさを感じ、その正体を掴めないからさらに生きづらい。負のループだ。
「……ありがとうございました。だいたいわかりましたので大丈夫です」
『は、はあ!? いまのやり取りのどこでアタシの生きづらさを理解したわけ?』
「まあ推理と知識と経験から基づいたやつです」
私はいそいそと立ち上がる。もうスタジオにいる意味はない。部屋に戻って、作詞開始だ。
『え、帰るの? ちょっと教えてよ。アタシは何で生きづらさを感じているの!?』
「違いますよ狼奈さん。私たちは生きづらさを解消するんじゃない。生きづらさを、吐き出すんです。そこを履き違えたらいい曲はできないですからね」
狼奈さんは口を半開きにして、私を見送った。
はあ、作詞兼ファシリテーターとは大変なポジションだ。そんなポジションについた覚えはないけど、そうしないと《Hazy Fog》の根幹が崩れる。
その上、彼女たちは特段仲がいいわけではない。ちょっとの綻びで解散しかねない、でもそうでなければならない綱渡りバンドだ。
「ああ、なんで生きづらい世界なんだろう」
何度目かのこのセリフも、いつだって本当の叫びだ。