11話 二葉の生きづらさ
次にやってきたのは紫色の髪にウェーブか寝癖がかかったミニマム少女。名前は……あれ? 知らないぞ困ったな。
「こんにちは。どうぞお座りください」
『 』
なにか言った気がするし、言ってない気もする。唇の動きが最小限だから、言っていたとしても『ん』とかそれくらいの言葉だろう。
小さな少女はゆっくりゆったり、対面のソファに腰掛けた。水もジュースも買わないのはちぐささんと同じだけど、たぶんこの子は自動販売機に気が付いていないだけだ。
「えっと……お名前から教えてもらってもいいですか?」
一拍。謎の間があってから眠たげな顔で
『二葉』
と答えた。
「二葉さん! 可愛い名前ですね」
『…………』
返事がない。けどちょっとだけ顔色が良くなった気がする。
というのも二葉さんはその乏しすぎる表情ゆえに、感情が読み取りにくいのだ。春子さんより難敵かもしれない。
「二葉さんも生きづらさを感じているんですよね?」
紫色の少女はこくり頷いた。二拍くらい空いたけど。
なんかこう、ペースが普通じゃないな。文学的に表現するなら、『生きる歩幅が異なる乙女』って感じ。
『二葉は、不登校』
「不登校……」
『たまに、いくけど』
「なるほど」
難しい。どこに相槌を打てばいいのか。
……いや違うな。この子はずっと会話を試みている。私が話そうとするからダメなんだ。会話のペースを、この子に合わせるというよりこの子に作らせる。
『二葉は作詞反対だった』
『でもさっきの話』
『二葉、いいと思う』
『二葉、狼奈の歌が好き』
拍を置きながら、言いたいことは言い切ったようだった。
要するに元は作詞反対だったけど、スタジオで腹を割って話した私に考えを変えて、任せてもいいと思えた。で、狼奈さんの歌は好きだからしっかりやってね。ということだろう。きっと。
「差し支えなければ、二葉さんが不登校になった理由、聞いてもいいですか?」
迷った挙句に聞いてみた。
デリケートな問題。でもそこに触れずして、《Hazy Fog》の作詞なんてできっこないから。
二葉さんは俯いてしまった。たぶん話したくないのだろう。
「無理だったら結構ですよ。心を痛めたら嫌ですもんね」
『……いい歌詞作れる?』
「えっ」
二葉さんは上目遣いで、かつ潤した目でそう尋ねた。
これが春子さんだったら「あざとい」と言うところだけど、二葉さんは天然モノだ。体の小ささも相まって、可愛い。小動物的な可愛さだ。
……って、そこは本筋じゃない。
「もちろん。いい歌詞を作るつもりです」
『なら、話せる』
『二葉、こんな感じだから』
『学校、友達できなくて』
『みんな迷惑そうで』
『家でこもって』
『パパが昔使ってたドラム叩いた』
だからドラマーなのか。というか高校生でパパか。
だからそこは本筋じゃないって。
生きる歩幅が普通と違う二葉さんは、社会では切り捨てられる存在。
なんだか自分と重なって見えた。
『高校も休んでる。けどたまに行く』
「どうして高校からは行けるようになったんですか?」
『春子が、ちぐさが、必要としてくれた』
『春子は優しい。今まで出会った誰よりも優しい』
猫被りがまさか功を奏していたとは。
『ちぐさはバカ。だから二葉のこと、気にしない』
ひどい言いようだ。でも本質を捉えている。
『2人が二葉を必要としてくれた』
『そのあと狼奈の歌聴いた。好きだと思った』
『だからこのヘイジーホグで頑張りたい』
『学校も、たまに行きたい』
バンド名すらあやふやだけど……
それでも二葉さんにとって、ここは大切な唯一の居場所なんだ。
社会と彼女を繋ぎ止める、最後の鎖なんだ。
「……ありがとうございます二葉さん。きっと……ううん。絶対いい歌詞作りますからね」
『 』
何か言ったけど、唇は読み取れない。たぶんまた『ん』って言ったんだろう。
二葉さんは小動物のようにスタジオへと帰っていった。
改めて、責任ある仕事を引き受けたものだと実感した。