⑨ 毒が盛られた屋台料理
その後もお忍び街歩きは週末ごとに行われた。
流石に毎週は申し訳ない、と私は遠慮しようとしたのに、
「私がレオ様とご一緒したいのです!我が家の侍女たちも週末が近づくといつもウキウキしています。どうか私たちを助けると思って!」
「市井の生活を知るのはいいことだと父上にも言われた。身軽な学生のうちに楽しんでおけってね。父上も似たようなことをやってたらしい。国王直々に推奨されたお忍びなんだから、王太子として止めるわけにはいかない」
「実際に自分の目で経済の動きを見る貴重な機会なんだよ。なにが売られていて、なにが売れているのかなど、市場を見ているとよくわかる。僕なりに有意義な時間だと思っているよ」
「人が多いところでの護衛っていうのは難しいんだ。毎回師匠にまだまだだって怒られてる。俺のいい訓練になってるから、俺が師匠に認められるくらいになるまではお忍びは続けてほしい」
「……寮にいても暇だから」
キアーラに始まり、ジーク、エリオット、フェリクスと説得され、なぜか毎回付き合わされているマックスにまで消極的ながら止める必要はないと言われると、了承するしかなかった。
メンバーは私、キアーラ、マックスは固定だった。
そこにジーク、エリオット、フェリクスが混ざったり混ざらなかったりする。
ジークが来れないときはフェリクスが来ることが多い。
ジークもエリオットもフェリクスも都合がつかないときは、シストレイン子爵のタウンハウスでキアーラと料理をしたり、侍女たちの着せ替え人形になったりする。その日は流石にマックスも参加しない。
まだ学生であるにしても、ジークは王太子だし、エリオットとフェリクスもその側近だ。
いろいろと忙しいはずなのに、そんなに出歩いていていいのだろうかとも思いつつも、みんな楽しそうなのでまぁいいかと思うことにした。
そんなことが数か月続いたある日のこと。
その日は固定メンバーに加えエリオットがお忍びに参加していた。
エリオットがいるときは、市場を見に行くことが多い。
野菜や肉、食器、庶民でも手に入る手頃な値段のアクセサリー、古着や本など、ありとあらゆる物が店先に並べられていて、私も見て回るだけで楽しい。
エリオットはさりげなく気になる店の店主から話を聞いて情報を引き出し、キアーラは旬の食べ物や美味しい野菜の見分け方などを教えてくれる。
マックスはついつい夢中になって周りが見えなくなってしまうキアーラと私の近くで壁のように立ち、たまにこちらに近づいて来ようとする男をじろりと睨んで追い払ったりしている。
申し訳ないと思いつつ、本人が嫌々やっている様子でもないので甘えさせてもらっている。
前世のこともあり、男性からそのような視線を向けられるのが苦手なのだ。
もしかしたらマックスも卒業して帰国したら護衛みたいなことをするようになる予定で、フェリクスのように訓練しているということなのかもしれない。
そろそろお腹が空くころだから、ということでお忍び初日にも訪れた屋台の並ぶ通りにやってきた。
レストランに行くこともあるけど、屋台で食べ歩きをすることの方が多い。
例のとても辛いキルシュ料理、ローグは私のお気に入りとなっており、ここに来ると必ず買い求めるようになった。
「おじさん、二つください」
すっかり常連の私とマックスに、屋台の店主はいつもなら『仮面の兄ちゃんから俺に乗り換えろ』と軽口を叩くのだが、この日は違った。
私の顔を見ると真っ青になり、額に冷や汗が浮かべたのだ。
「……はいよ」
店主はいつものように私とマックスに一つずつローグの包みを手渡したのに、目を合わせようとしない。
どうしたのだろう?と首を傾げながらいつものように代金を支払った私に、マックスは小声でまだ食べるな、と言った。
少し離れて私たちを待っていたエリオットとキアーラのところに戻ると、マックスはエリオットになにか耳打ちした。
厳しい表情になったエリオットは、次の瞬間には普段通りの穏やかな顔になった。
「いいかい、落ち着いて聞いてほしい。取り乱したり騒いだりしないように。どうやらマックスとレオに毒が盛られたようだ」
キアーラは表情を変えないまま息をのみ、私はそっと手にしたローグの包みに視線を落とした。
「フェリクスは来ているか」
「来てる。他にも三人はいるはずだ」
今日はジークはいないけど、フェリクスは護衛の訓練をしているらしい。
他にも三人というのは、フェリクス以外に同じような訓練をしている人、もしくはそれを指導している人が合計三人はいるということだ。
「どんな種類の毒かはわからない。少なくとも、レオの方のは死ぬほどの毒ではないと思う。政治的にレオを殺して得をするやつは今のところいないからね。どうにかやってレオを利用するつもりなんだろう。毒を盛ったやつらは、今こっちを見てるはずだ。引っかかったふりをして、逆におびき出してやろうじゃないか」
笑顔を崩さぬままエリオットは策を講じる。
「マックスとレオは、ローグを食べたふりをしながらあっちの人気の少ない方へ。木陰にベンチがあったはずだから、具合が悪くなったからそこで休む、という感じに見えるように。僕とキアーラ嬢は、別の屋台に向かうふりをしてフェリクスに合流し応援を要請してくる。
レオにやつらが接触したところで取り押さえる。そのローグも証拠になるから、捨てずにとっておいてくれ。 なにか質問は?」
「大丈夫。その作戦でいこう」
私が応え、キアーラとマックスも頷いた。
「姿は見えないけど護衛は確実についてるから、なにも心配いらない。
というわけで、キアーラ嬢はこちらへ。マックス、レオを頼むよ」
エリオットとキアーラが背を向けて歩き出したのを見送り、さあ私たちも移動しなくてはと高い位置にあるマックスの顔を見上げた私は、思わず叫びそうになった。
マックスが無表情のまま見せつけるようにローグを一口齧ったところだったのだ。
「大丈夫だ。俺は毒が効きにくい。これでやつらは安心したはずだ。お前も食べるふりをしとけ」
どんな毒かもわからないのに、なんて無茶を!
ローグの包み紙を適度にはがし、齧るふりをしながらマックスに並んでエリオットが指定したベンチに向かった。
焦りが顔に出ないようにするのに努力が必要だった。
ベンチに座ると、マックスはシャツの胸の辺りをぎゅっと掴んで俯いた。
「マックス……!」
「問題ない。毒が効いているふりをしているだけだから心配するな。そろそろお前も苦しんでいるふりをした方がいい」
苦しんでいるふり……私はマックスを真似て、背中を丸めて胸と口元を押さえ下を向いた。
マックスは本当にふりをしているだけなのだろうか。
私が左側に座ってしまったので、仮面に隠れてその表情も顔色も見えない。
焦りばかりが募り、私は本当に具合が悪くなるような気分だった。
誰がこんなことをしたのか知らないけど、さっさと出てこい!
「おや、こんなところに美しい人がいると思ったら、レオノーラ様ではありませんか」
涼やかな若い男の声。
私が視線だけ上に向けると、見覚えのある顔があった。
「ローレンス・パーカーと申します。不躾にも突然声をかけてしまったことをお許しください。レオノーラ様の二学年上になりますが、私も学園に通っております。レオノーラ様の美しさには、以前から心惹かれておりました」
整った顔のその青年は、どこか昏い瞳をしていた。
ジークには遠く及ばないにしても十分に麗しい外見をしているはずなのに、それを覆い隠してしまうほどの闇がある。
「レオノーラ様、体調を崩されたのではありませんか?雪のように真っ白になっておられます」
優しげな笑みを湛え甘く囁くような声を吐き出すその男に、私は寒気を覚えた。
この男がたいして強くないことを私は知っている。
私が本気になれば、こんな男は簡単に吹っ飛ばすことができる。
それなのに、体が動かない。
目の前の男と、前世で私をぼろ雑巾のように捨てた婚約者が重なった。
あの婚約者はいつも私に優しく微笑んでくれた。
そしてその裏で私をずっと裏切っていたのだ。
この男は、婚約者より酷いことが平気でできる男だということがひしひしと感じられた。
硬直したまま動けない私に、ローレンスは手を伸ばしてきた。
「ああなんてことだ、今にも倒れそうではありませんか。すぐに横にならなくては。近くに私がよく利用する宿があるのです。そこにお連れいたします。さあ……」
嫌だ!触らないで!
私は声にならない悲鳴をあげた。
そして、ローレンスの手が私の肩に触れる寸前。
マックスがローレンスの顔を思い切り殴り飛ばした。