⑦ 母の面影
昼休みにカフェテリアに行くと、キアーラと数人のクラスメイトに呼びとめられ、そのまま一緒に昼食をとることとなった。
以前は一人で黙々と食べるか、ジークたちがいたら一緒に食べていたけど、最近はずっとこんな感じだ。
同じメニューのはずなのに、以前より美味しいと思えるから不思議だ。
女の子たちの食事はとても賑やかだ。
流行りのスイーツや髪飾り、だれかの恋の噂、難しい課題についてなど、ころころと話題が変わっていく。
口は一つだけしかないのに忙しくおしゃべりをしながらもきちんと食事を済ませるという高等技術は、私にはまだ備わっていない。
たまに相槌をうち、会話をふられたら応えながら私もなんとか食事を終えた。
これくらいの年齢の女の子のパワーは底なしだ。
食後のデザートということで、クラスメイトの一人が小さな焼き菓子を配った。
「これ!新しくできたパティスリーで買ってきましたの!とても美味しいのですよ」
私もショートブレッドのようなそれを一つもらって食べてみた。
程よい甘さとバターの香りで、少し塩味がする。シンプルだけど本当に美味しい。
シフォンケーキならどこそこの店、チーズケーキならあそこの店、シュークリームで有名なお店の店員がカッコイイと話題は尽きない。
もうすぐ昼休みが終わりになるということで、またねと言ってそれぞれが履修している教室にバラバラに分かれていった。
「あの、レオ様」
キアーラに呼び止められたのはそんな時だった。
「もしよかったら、今度のお休みの日に、街に遊びに行きませんか?」
「街に遊びに?」
「多分、レオ様は、街でお買い物とかなさったことがないのでないでしょうか?その、御身分があるので、当然のことなんでしょうけど……きっと楽しんでいただけると思うのです。さっきみんなが話していたようなパティスリーも、可愛い雑貨が売ってあるようなお店も、たくさんあります。どうでしょうか?」
是非行ってみたい!
と即答しようとして、自分を押しとどめた。
「行きたい……けど、一度ジークに相談してからね」
「王太子殿下にですか?」
「なにかするなら事前に相談するようにって言われてるんだ。最近、心配かけてばっかりだから」
そうなのですか、とよくわからないという顔をしているキアーラに手を振って私は教室に向かった。
ジークに相談してみると、二秒くらい考えた後に許可をくれた。
ただし護衛をつけるからね、ときれいな笑顔で言われた。
あれはなにかを企んでいる笑顔だ。
キアーラもいるし、身の安全が保たれるのは有難いのだけど、ジークはなにを考えているんだろう。
実は、私が前世の記憶を取り戻した後、真っ先に考えたのがお忍びで城下街に行くことだった。
ただ、伝手がなかったのと、他のことを優先していたのでまだ実行していなかったというだけだ。
そのうち家政科のクラスメイトの誰かに頼んで連れて行ってもらおうと思っていたのだ。
だから、キアーラが誘ってくれたのは渡りに船だった。
でも、これは予想していなかった。
キアーラに指定された時間にシストレイン子爵家所有のタウンハウスに向かうと、
「レオ様、おはようございます!お待ちしておりましたわ!私服のお姿もとても素敵です!さあ、こちらへ!」
私は挨拶をする暇もなく、待ち構えていたキアーラと侍女たちに取り囲まれてキアーラの私室に連行されたのだ。
「なんてきれいな御髪なのでしょう!まるで月光を縒り合わせたようですわ。腕が鳴ります!」
「お肌もすべすべ!お化粧は控え目の方が映えますわね」
「ドレスはどちらになさいますか?こちらは今年の流行を取り入れて、カイト産のレースを胸元にあしらってあります」
「それよりこちらの方が瞳の色と馴染むかと思います。いかがでしょう?」
「それならこちらのブローチを」
「いいえ、それよりこちらの方が上品ですわ」
目を爛々と輝かせたキアーラと侍女たちは次々にドレスやアクセサリーなどを私の前に並べていたった。
「あの、キアーラ。なにを……」
「レオ様は今日はお忍びなのです。身分を隠すためには、私と同じようなドレスを着ていただいた方が目立たないのですよ。大丈夫です、私たちにお任せください!」
そう言うキアーラは、下級貴族か裕福な商家の娘が着るようなドレスを着ている。
私の目の前に並べられているドレスはどれもキアーラのものなのだろう。
そして、私がそれ以上の疑問を口にする前に、ついさっき素敵と言われたばかりの私服を脱がされ、最終的にキアーラが選んだドレスを着せられ、薄く化粧をされ、髪を可愛らしい編み込みにされた。
「レオ様、とてもお似合いです」
姿見の前に立たされた私は、思わず声を失って立ち尽くした。
そこには見たこともない令嬢がいた。
ラベンダー色の可愛らしいドレスに身を包み、プラチナブロンドの艶やかな髪には瞳と同じ青色のリボンが飾られている。
大きく瞳を見開いたその顔は……ずっと心の底に封じ込めていた優しい記憶の中の人を思い出させた。
「……おかあさま」
つい零れてしまった呟きに、私の背後に控える年嵩の侍女の一人が目じりを押さえるのが見えた。
母は私に新しいドレスを誂えるたびに可愛い可愛いと褒めてくれた。
スカートの裾を翻し、くるりと回ってみせると優しく抱きしめてくれた。
私はお転婆ではあったけど、女の子らしい可愛いものが大好きだった。
ジークのお下がりを着るようになってから私は鏡を見るのを避けるようになり、一枚だけあった母の姿絵も父がどこかに隠してしまった。
だから、私は自分が母に似ていることを知らなかったのだ。
ずっと恋しかった母の面影がこんなに近くにあったなんて。
「いつもの男装も凛々しくて素敵ですけど、今のお姿はもっと素敵ですわ。ほら、リボンは私とお揃いですのよ。レオ様とお揃いができるなんて、夢のようです」
私に寄り添うように立ったキアーラは、誇らしげに茶色い髪に結ばれた青いリボンを指さした。
屈託のない笑顔に、私もつられて笑顔になった。
「ありがとう、キアーラ。みなさんも、ありがとう」
「さあ、行きますわよ!時間は有限なのです!」
キアーラに手を引かれて玄関に向かった私は、そこでまた目を見開くこととなった。
「マックス?と、ジーク!?」
ジークは私と同じプラチナブロンドをこげ茶色に染めて地味な平服を着ているのに、その美しさと気品は全く忍んでいない。
マックスも黒のトラウザーズにグレイのシャツという地味ないで立ちだけど、真っ赤な髪と顔の左側を覆う仮面は相変わらずなのでこれまた目立つ。
お忍びなのに、大丈夫なのかな?
「護衛をつけると言ったよね?……きれいにしてもらったね。本当にきれいだ。よく似合っているよ」
優しく目を細めて私の頭を撫でるジークに、私は照れくさくなってしまった。
「まさかジークが来るなんて……いいの?」
「いいんだよ。きれいになったレオを一番に見たかったんだ。それに、僕がいると安全だからね」
当然ながら王太子であるジークにはいつも陰ながら護衛がついている。
ジークの護衛がジークを守り、そのジークは私を守るから安全ということなのだ。
「フェリクスは?」
「もちろん来てるよ。今日はいい訓練の機会だ。可愛くなったレオを見て悶絶してるんじゃないかな」
フェリクスもどこかで身を隠しながら護衛をする訓練をしているようだ。
流石に悶絶なんてしてないと思うけど。
「マックスは僕が頼んで来てもらったんだ。マックスに喧嘩を売りたがるやつはいないと思うから」
マックスは十代半ばにしてすでに大柄で立派な体躯をしていて、シャツに包まれた腕や肩にも逞しい筋肉の盛り上がりがある。
ちょっと触ってみたい……なんて前世の私の邪な部分が顔を出しそうになり、慌てて振り払った。
「そうだね。ジークだけだと変なのに絡まれちゃいそうだ。マックス、来てくれてありがとう」
マックスは無言で小さく頷いた。相変わらず不愛想だ。
ジークがキアーラに視線を向けると、キアーラはさっと淑女の礼をとった。
「キアーラ嬢も、世話をかけたね。想像以上の出来栄えだ。シストレイン子爵家には腕のいい侍女がいるようだね」
「恐れ入ります。王太子殿下」
「今日はジークと呼んでくれ。堅苦しい礼をとる必要もないよ。友人の兄くらいに思ってくれたらいい。お忍びだからね」
「承知いたしました……ジ、ジーク様」
キアーラの頬が心なしか赤い。
絵に描いたような美貌の貴公子にこんなことを言われたら赤くなるのも当然だろう。
私は微笑ましい思いでそれを見ていた。
「まずは、一番大事な用事を済ませますわよ!」
弾むような足取りで歩くキアーラに連れられ最初に向かったのは、女性物の既製服の店だった。
色とりどりのドレスやスカートが吊るされ、靴や帽子なども並べられている店内は華やかだ。
私が今着ているドレスもここで購入したものらしい。
「今日は私のドレスで間に合わせましたけど、レオ様にはレオ様に合わせたドレスを着ていただきたいのです。
ご安心ください、ご自宅に持ち帰れないというのなら、我が家で大切にお預かりします。お休みの日に我が家でお着替えをなさるといいです。侍女たちも可愛い女の子を着飾るのが大好きなので喜びますわ。
オーダーメイドだと時間がかかりますけど、このお店だと出来上がっているものを手直しするだけなので、数日で出来上がります。デザインも豊富ですから、きっとレオ様が気に入るドレスが見つかりますわ」
「いや、ありがたいけど、そこまで甘えるわけには……」
「いいじゃないか。ここはキアーラ嬢に甘えさせてもらおう。お金のことは気にしなくていいよ。母上に頼んで予算をもぎ取ってきたからね。気に入ったものがあったら何着でも買ったらいい」
私の知らないところでキアーラとジークは結託していたようだ。
ジークはこんなことを企んでいたのか……