㉗ マックス視点7 もう手遅れだと認めるしかない
「マックス」
優しい響きの声に振り返ると、レオがこちらに歩み寄ってくるところだった。
起きたばかりといった様子で薄いシャツとズボンだけを身に着け、いつもは後ろで纏めてあるプラチナブロンドの髪をさらりと背中に流した姿は、もうすぐ空に昇る月の妖精のようで、俺は密かに息をのんだ。
こんな姿で野獣たちの間を闊歩していたのかと思うと、その無防備さに頭が痛くなる。
キアーラ嬢はなにをやっているんだ、という怒りが込み上げてくると同時に、俺もその野獣の一人なのだということを思い知らされてしまう。
「レオか。もう大丈夫なのか」
努めて平静な声を出し、普段通りの無表情に徹したが成功したのだろうか。
「マックスが生きててよかった。また、守ってくれて、ありがとう」
おまえを守れてよかった。
おまえも俺を守ってくれた。
信じてくれてありがとう。
そう返したかったのに、後悔が胸につかえてなにも言葉が出てこなかった。
それから訊かれるままに、俺が実技で手を抜いている事情を話した。
ジークたちは既に知っている話だが、レオはなにも知らされていなかったようだ。
レオはなにも言わず、ただ納得がいったという表情を浮かべた。
「おまえは……これを見て気持ち悪いと思わないのか?」
俺は仮面を外し、火竜の紋を改めてレオに見せつけた。
兄にむかって、もう人前で仮面を外す気はないと言ったのはつい先日のことだったのに、今はレオに素顔を見てほしかった。
こんな俺を受け入れてほしかった。
「気持ち悪くないし、不気味でもないよ。私はそんなこと一度も思ったことない」
はっきりと言い切ったレオに、俺はまた胸の中が温かくなるのを感じた。
それからレオはお返しに、と自分の抱えている事情を話してくれた。
なんとも心が痛む話だった。
そして、レオが男装をしている理由に俺も納得した。
だがそれ以上に大きな問題だったのは、レオが俺の横にちょこんと腰かけたことだ。
暗がりで俺と二人だけで、こんなにも接近しているのに相変わらず意識していない様子だ。
これは腹を立てるべきなのか、心を許されていると喜ぶべきなのか。
レオが動くたびにプラチナブロンドがさらさらと揺れ動き、ついそれを目で追ってしまう。
アレグリンド現国王の姪で、王太子の宝物。
本来なら俺なんかが近寄ることすら許されない宝石だ。
アルツェークに来てさらにその輝きを増した宝石が、ほんの少し手を伸ばせば届いてしまうところにある。
あの真っすぐなプラチナブロンドに指を絡めてみたい。
あの唇を思う存分味わってみたい。
あの輝く青い瞳に、俺だけを映してほしい。
思い切り抱きしめて、全て俺のものにしてしまいたい。
もちろん、そんなことはできない。
そんなことをしたら、俺はアレグリンドで得た全てを失ってしまうだろう。
ジークたちの宝物が、俺にとっても宝物になった。
ただ、ジークたちと違うのは、俺は妹だなんて思っていないということだ。
アルツェークから王都に発つ日の朝。
俺とレオはシストレイン子爵から、幸運の加護がついているという驚きの懐中時計を渡された。
俺がそれをじっと見つめていると、キアーラ嬢が寄ってきた。
「ふふふっマックス様もレオ様とお揃いができてよかったですわね」
その碧の瞳は悪戯っぽく輝いている。
「……キアーラ嬢」
「みーんな知ってますわよ?激鈍で有名なカイル兄様ですら気がついたくらいですわよ?知らないのはレオ様くらいですわ」
何に、とここで訊くのは愚問なのだろう。
「……いつからだ?」
「私は、一番最初のお忍びの日からですわ。お可愛らしくなったレオ様に、マックス様は釘付けでしたわよね」
もう何カ月も前のことではないか。
「あれ以来、レオ様を見るマックス様の顔には『ダイスキ』って書いてありますもの。気づくなという方が無理ですわ」
「…………」
そんなに顔に出ていたのだろうか。顔の左側は仮面で隠れているというのに、どういうことなんだ。
「レオ様はあんなに賢くてお可愛らしいのに、こういった方面には本当に鈍くていらっしゃいますわよね。カイル兄様より鈍いなんて、びっくりですわ」
「……キアーラ嬢」
「アルツェークに来て、レオ様はより一層お可愛らしくおなりになったと思われませんか?王都に帰すのが心配なくらいですわ」
「……キアーラ嬢」
「マックス様も、以前に比べて表情が柔らかくなりましたわね。不愛想でも無表情でもなくなりましたわ。これもレオ様効果なのでしょうね」
「……キアーラ嬢」
「私のことはキアーラとお呼びください。私たちはもうお友達なのですから」
「…………キアーラ」
「私はマックス様を応援いたしますわ!ファーリーン湖で、レオ様に『必ず守る』とおっしゃったマックス様は痺れるくらいカッコよかったですもの!あの場面だけを絵画にしてしまいたいくらいでしたわ。それに、レオ様もマックス様のことは信頼していらっしゃいますわ」
視線を巡らせると、レオはシストレイン子爵家の侍女となにやら話をしているところだった。
その明るい笑顔を見るだけで、俺もつい頬が緩んでしまう。
「俺なんかが……望んでもいいのだろうか」
「まあ!今更そんなことをおっしゃるのですか!?私にそんなことを訊いてくる時点で、もう手遅れですわ!」
もう手遅れ。
はっきり言われてみて、改めてその通りだ、と悟った。
そうだ。もう引き返す術はないのだ。
「認めちゃった方がきっと楽ですわよ?」
「しかし……レオはアレグリンドの王族で、俺はキルシュ人だ」
「だからこそ!ジーク様があのナイフをくださったのではありませんか!」
やはりそうなのだろうか。なんとなく、そういう意図なのかなとは思っていたが……
「ジーク様も当然ながらマックス様のお気持ちをご存じですわ。その上で試していらっしゃるのだと思います。この休暇で、マックス様はまた一つ功績を挙げられました。レオ様だけでなく私もアルツェークも、マックス様に救われました。このご恩に報いるためにも、私はマックス様を応援するのです!」
ぐっと拳を握って宣言したキアーラからは気迫が感じられた。
それくらい本気で応援してくれているのだ。
「それに、ぼんやりしてると、レオ様を横から搔っ攫われてしまいますわよ。レオ様は本当にお可愛らしくなられましたからね。我が家の騎士たちも夢中だったのをご存じでしょう?これから、『レオナさんをおんぶし隊』みたいな殿方が間違いなく湧いて出てきますわ」
「それは……困る」
困るなんてものじゃない。そんなこと許せない!
「だったら、頑張ってくださいませ。マックス様になら、私の大事なレオ様を任せられますわ」
もう一度レオに目を向けると、シストレイン子爵婦人と別れの抱擁を交わしているところだった。
「キアーラ」
「はい、マックス様」
「その……俺なりに、頑張ってみる」
キアーラはぱっと顔を輝かせ、満足げに頷いた。
「その意気ですわ!言質とりましたからね?本当に頑張ってくださいませ!」
確かに認めてしまった方が楽だ。
なにをすればいいのか、おぼろげながら見えてきた気がする。
俺は、俺にできることをしよう。
左頬の火竜の紋を初めて誇らしいと俺に思わせてくれた少女のために。
これにて一章完結です




