㉕ マックス視点4 帰省
「お帰り、マックス!」
キルシュの帝都にあるハインツ家の邸宅に帰り着いたのは夕刻間近だった。
出迎えてくれたのは異母兄のアルディスだ。
俺よりくすんだ色の赤い髪で優し気な顔立ちながら、キルシュ屈指の実力を持つ騎士だ。
もう一人の異母兄でハインツ家の嫡男であるセールズは遠方の砦に赴任していて、もう何年も会っていない。
「ただいま帰りました。お久しぶりです、兄上」
「また大きくなったな」
そう言って俺の肩を叩く兄は、昔から俺を可愛がってくれていた。
夕食後、部屋で荷物の整理をしていると酒瓶を持った兄が部屋にやってきた。
「アレグリンドでの生活はどうだ?」
「まあ……なんとかやってます」
「明日は城に来いよ。俺は今年から皇女様の護衛騎士になったんだ。アレグリンドに留学してる弟が帰って来るって言ったら会ってみたいっておっしゃってな」
皇女様。確か俺よりいくつか年上でフィリーネとかいう名前だったと思う。
俺は心の中で溜息をついた。
俺に会いたいのではなく、有名な火竜の紋が見てみたいのだろう。
見世物にされるのはごめんだし、見せたところで気持ち悪いと思われるだけなのではないか。
「兄上。申し訳ないのですが、それはできません。明日にはアレグリンドに発ちますので」
「明日!?さっき着いたばかりじゃないか!父上にも会っていかないのか?」
父は仕事で明後日まで帰宅できないそうだ。
例年なら数日は滞在し、少なくとも父には会ってからまた学園に戻るのだが、今年はそれより優先したいことがあるのだからしかたがない。
「父上には俺は元気だったと伝えておいてください」
「そんな!おまえが手紙の一つもよこさないから、帰ってくるのを楽しみにしていたのに」
「手紙ならついこの間送ったじゃないですか」
「あんな帰ってくる日にちが書いてあるだけの手紙なんて、手紙とは言わない!あれはただの連絡だ!父上もおまえに会いたがっているんだぞ!」
父は俺に愛情を持ってくれているとは思うが、それは俺が火竜の紋を持つ息子だからだ。
そうでなければ庶子である俺はきっと捨て置かれただろうと思うと、あまり素直になれない。
「なんでそんなに急ぐんだよ?もう少しくらいゆっくりしていってもいいじゃないか!母上もいないんだし」
養母は俺が帰省している間は旅行かなにかでいつも家にいない。
お互いに顔を見るのも厭わしいと思っているので、俺としては有難いことだ。
アレグリンドに留学する際、夏の長期休暇に一度は帰省するという約束を父と交わした。
父に会わなくても帰省したことに違いはないのだから、約束を破ったことにはならない。
実の母の墓参りは今日済ませてきた。
もうするべきことは全て済ませたのだ。
アレグリンドの王都からアルツェークまでは五日の道程だった。
同行していた侍女も護衛騎士も、レオだけでなく俺にも親切でなにくれと世話を焼いてくれた。
シストレイン子爵の邸宅に着いてからもそれは変わらず、キアーラ嬢の次兄には『弟になれ!』と言われながら実の兄にもされたことがないような勢いで振り回された。
正直なところ、シストレイン子爵邸はこの家よりよほど居心地がよかった
養母がいてもいなくても、俺はこの家では暖かさを感じられないのだ。
「もしかして……女か!?女ができたのか!?」
これには一瞬ぎくりとした。
女ができたわけではないが、女が理由ではある。
「違います!……魔獣狩りに、誘われているんです」
嘘ではない。
キアーラ嬢に魔獣狩りをする行事に誘われたことで、アルツェークに滞在することを決めたのだから。
「そうか、魔獣狩りか……おまえを誘ってくれるような友人ができたんだな」
無言で頷いておいた。
キアーラ嬢はここ数か月の間、ほとんど毎週末一緒に出歩いた仲で、レオと同じく最初から俺を怖がらなかった。
『マックス様は背が高くて目立つ髪の色をしてらっしゃるから目印にちょうどいいですわ!』
『マックス様!朝からずっと気になっていたのですけど、髪が伸びすぎですわよ!理髪師の資格をもつ侍従がいますので、寮に帰る前にさっぱりさせてくださいませ。レオ様の隣に立つからには、身だしなみに気をつけてくださらないと困りますわ!』
『マックス様って案外面白い方ですのね。レオ様のおっしゃる通りですわ!』
『我が家の料理人はお菓子を作るのが得意で、レオ様も大好物なのです。後で包みますので、持って帰ってくださいませ』
といった感じでとても気安く接し、寮で生活している俺をさり気なく気遣ってくれる。
いつも明るく溌剌としたキアーラ嬢を、俺も好ましく思っている。
友人と言ってもいい関係だと思う。
「あれ?いいナイフ持ってるな。それ、どうしたんだ?」
兄は目敏く机の上に置いてあったナイフを見つけ、ひょいと手にとった。
「へぇ、いい造りだな。付加魔法までかけてあるじゃないか。本当にこれ、どうしたんだ?」
アレグリンドの王太子から直々に下賜された、なんて言えるわけがない。絶対に面倒なことになる。
「……街で柄の悪い男に絡まれているやつがいたから助けたら、それを貰いました」
ローレンスの襲撃を要約すると、だいたいこんな感じだ。
事実の肝心な部分を敢えて伏せているだけで、嘘をついているわけではない。
「それだけで?随分気前がいいな。あ、もしかして魔獣狩りの友人って、その関係か?」
「はい。王立学園の生徒だったので。俺はこんななりだから、むこうは俺のことを知っていたんです」
「ということは、貴族か金持ちの商人ってことだな。なるほどね、それなら納得できる」
否定も肯定もしない。本当は貴族でも商人でもなく、王族なのだから。
「なんて名前の人?俺も知ってるような人かな?」
「いえ……」
ハインツ家も伯爵という地位にある。
貴族は顔が広ければ広いほどいいとされている。
俺がアレグリンドに送られたは、その方面に繋がりを作ることを期待されたからでもある。
王太子と愛称で呼び合い、王家の紋章入りのナイフまで下賜された俺はそういう意味では大成功している。
ただ、それをキルシュの誰にも教える気がないだけだ。
俺をダシに誰かを利用しようとされるのもごめんだった。
「言いたくないなら、無理には訊かないよ。おまえに友人ができたならそれでいい」
言葉を濁した俺に、兄は苦笑を返した。
「なぁ、本当に明日帰るのか?それじゃあ手合わせもできないじゃないか。俺とおまえが手合わせするのを見学するって皇女様が楽しみになさってるんだ。皇女様は、あれで……」
「兄上。俺はもう人前で仮面を外す気はありません」
護衛騎士の弟なんて、皇女からすればどうでもいい存在のはずだ。
そんなものにわざわざ会いたがる理由なんて一つしかない。
レオもジークも、アレグリンドの王族が俺に仮面を外せと強要したことなどないというのに。
父か兄に頼まれ、火竜の紋を人目に晒した事は何度かあった。
毎回自分がすり減るような嫌な思いをさせられた。
去年までは唯々諾々と従っていたが、今はとてもそんな気にはなれない。
記憶にある限り、実の母以外で俺の左頬に人の手が触れたのはあの時が初めてだった。
あの手の感触で俺の中のなにかが大きく変化してしまった。
兄ははっとした顔で口を噤んだ。
自分の母親が俺になにをしたか知っているのだから当然だ。
「悪かった。そうだな、俺が無神経だったな」
兄は眉を下げて俯いた。
「じゃあ、皇女様のことはもういいから、手合わせだけでもしないか?おまえ、アレグリンドでは全力だせてないんだろ?」
俺は毎年、兄と手合わせすることだけを楽しみに帰省していた。
アレグリンドでは実技で手を抜いているため、帰省の間の短い間でだけ全力で訓練ができた。
火竜の紋を持っている俺でも、六歳上の兄には一度も勝てたことはない。
「いえ。明日発ちます。もう決めたことですから」
俺は首を振ってきっぱりと言い切った。
一刻も早くアレグリンドに戻りたい。
あの危なっかしい少女の元へ。
「そうか……なら、もう止めないよ。父上にも上手く言っておくから」
「お願いします」
「……マクスウェル。おまえは俺の弟だ。なにか問題があるなら必ず力になるから相談しなさい。いいね?」
「はい……ありがとうございます」
俺が最初に毒を盛られたとき、兄は自分の母親を殺しそうな勢いで激怒していた。
二度目に毒が盛られて以降、兄は養母と口をきかなくなった。
それまでは兄と養母は普通の親子だったと聞いている。
その仲を俺が引き裂いてしまったわけだ。
「大きくなったね。外側だけじゃなくて、きっと内側も。新しくできた友人のおかげなのかな。大切にするんだよ。お休み、マックス」
兄は俺の肩をまた叩いて去っていった。
それから数日後。
「マックス!もう帰ってきたの?早かったね!」
アルツェークのシストレイン子爵邸にたどり着いた俺は、エプロン姿のレオに出迎えられた。
「お姉様に教えてもらってパイを焼いているところなんだよ。後で一緒に食べようね」
頬に小麦粉をつけて屈託なく微笑むレオに、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。
「お帰り、マックス」
「ただいま、レオ」
俺は束の間の幸せを噛みしめながら、その白い頬をそっと拭った。
兄と手合わせをせずアレグリンドに戻ったことを、俺は後に激しく後悔することになる。




