㉓ マックス視点2 手が届かない宝石
「今週末は空いている?」
妙にいい笑顔のジークにそう尋ねられたのは、レオと親しくなってほしいとエリオットに言われた数日後のことだった。
「特に予定はないが」
「よかった!なら、ちょっとつきあってほしいんだけど、いいよね?」
空色の瞳でいつになく圧をかけてくるジークに、俺は頷くしかなかった。
指定されていた場所に停められていた馬車に乗り込むと、そこにはプラチナブロンドの髪をこげ茶色に染めたジークがいた。
「おはよう、マックス」
髪の色と服装を変えても、ジークはやっぱりジークのままだった。
滲み出る王族オーラみたいなものが隠せていない。
「……俺はどこに連れていかれるんだ」
「シストレイン子爵所有のタウンハウスだよ」
シストレイン子爵。キルシュとの国境を有するアルツェーク地方の領主ということは知っているが、それだけだ。なにかで関わりを持ったことはない。
「最近よくレオと一緒にいる茶色い髪の女の子がいる。彼女はキアーラ・シストレインという。シストレイン子爵家の長女でレオの家政科でのクラスメイトだ」
あの元気のよさそうな女生徒か。
遠くから見て顔だけは知っている。
「今日はキアーラ嬢がレオをお忍びで街歩きに連れて行ってくれることになっているから、僕たちもそれに同行するんだ。護衛みたいな感じでね」
ジークに護衛なんて勤まるのだろうか。
王太子とかそういう身分は置いておいて、男の目から見ても完璧な美貌のジークにこそ護衛が必要なのではないだろうか。
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。僕には護衛がたくさんついてるからね。一応僕もそれなりには鍛えてるから、その辺の破落戸の十人くらいは簡単に吹き飛ばせる」
ジークは騎士科を履修しているわけではないが、王族なだけあって魔力は豊富だし剣術の基礎はしっかり叩き込まれている。
そこに護衛がたくさんついているというのなら、滅多なことはないだろう。
シストレイン子爵家のタウンハウスは、ややこじんまりとした佇まいながら手入れが行き届いていて主の明るい心根がそのまま現れているような邸宅だった。
キルシュでもアレグリンドに来てからも、このように親族でもない誰かの家を訪ねるのは初めてだった。
居心地の悪さを感じる俺に対し、ジークは瞬く間に馴染んでお茶を出してくれた侍従と談笑している。
どうやら使用人たちはジークの正体を知らされていないようで、キアーラお嬢様のご友人の兄くらいに思っているようだ。
そこに賑やかな若い女の声が近づいてきた。
現れたのは、見慣れた学園の制服ではなく動きやすそうなドレスを着た茶色い髪のキアーラ・シストレイン嬢。
そして、その後で手を引かれているのは……
夜明け前の空のような青い瞳で、輝くプラチナブロンドの髪を可愛らしく編んだ見たこともない令嬢だった。
薄紫色のドレスのシンプルなデザインはその美しさを際立たせているようで、女物の服のことなどよくわからない俺でもよく似合ってると思った。
見たこともないわけではない。
むしろ、よく知っている顔だ。
それなのに、理解が追いつかない。
唐突に訓練場でもらったクッキーのことを思い出した。
なんの変哲もない、ごく一般的な見た目と味のクッキーだった。
……レオの初めてのクッキー。もっと味わって食べればよかった。
いやいや、俺はなにを考えているんだ。
不埒な方向に傾きかけた思考を無理やり軌道修正した。
ジークと俺を見て目を丸くするレオの髪をいつものようにジークが撫でた。
「きれいにしてもらったね。本当にきれいだ。よく似合っているよ」
それにはにかむような笑顔を返すレオに、俺は心の奥がモヤモヤした。
なぜそう思うのかよくわからないまま連れていかれた先は、もっと居心地が悪かった。
ドレスなどの服が並べられた店内では俺は完全に場違いだった。
ジークはここでもするりと馴染み、キアーラ嬢や女性店員に混ざって騒いでいる。
レオまで居心地悪そうな顔をしているのはなぜなのだろう。
「なんか、ごめん。退屈だったよね」
「いや……大変そうだったな」
すっかり意気投合したらしいジークとキアーラ嬢の後ろをげんなりした様子で歩きながら、レオは俺に謝ってきた。
居心地は悪かったが、退屈だったわけではない。
ドレスを手にした店員に取り囲まれて困ったり、可愛いと言われて嬉しそうに笑ったり、暴走するジークに慌てたりと、くるくると表情を変えるレオから目が離せなかった。
「うん。大変だったよ……女の人って大変だってことがよくわかったよ」
「そうみたいだな……俺も、勉強になったと思う」
同時に溜息をついて、同時に笑って。
俺とレオの距離も近づいたのではないかと感じた。
屋台のある通りでは、別の意味でレオから目が離せなくなった。
とにかく危なっかしいのだ。
キラキラと輝く青い瞳に映るもの全てが珍しいらしく、きょろきょろふらふらしながら歩くものだからすぐ人にぶつかりそうになる。
まったく周りが見えていない。
さっきからいろんな男がレオを振り返っているのにも気がついていない。
下心のある顔をした男が前から近づいてきた。
わざとぶつかろうとしている様子だ。
レオに注意を促すのも間に合わない。
迷っている暇などない。
これは不可抗力だ、と心の中で無意味な言い訳をしながら、レオの腕を掴んで引き寄せ、ついでに男を睨みつけた。
レオは驚いた顔で俺を見上げてくる。そこには警戒も侮蔑も嫌悪も怯えもない。
これだけ接近しているというのに全く俺を意識していないことがはっきりと表れていて、そのことに少し腹が立った。
ジークもだが、レオはどうして俺を信用できるのだろう。
幼馴染だというエリオットとフェリクスと同じ枠に俺も入っているのだろうか。
あの二人と違って、俺は妹だなんて思っていないのに。
さっき俺の脳裏をよぎった不埒な考えのことを、もしレオが知ったらどんな顔をするのだろうか。
「ありがとう……マックスはここに来たことがある?」
「ああ。たまに来る。キルシュの料理を出している屋台があるんだ」
青い瞳がまた好奇心で輝き、とても辛いと教えたのに食べてみたいと言い出した。
そこまで言うならと屋台のところに連れて行き、すぐに後悔した。
「よう、仮面の兄ちゃんじゃないか。こりゃ驚いた、なんでお前さんがそんな美人を連れてるんだ!」
屋台の店主が軽口をたたいて客を口説くような男だということを忘れていたのだ。
「こんな不愛想な男にはもったいない美人だ。お嬢さん、こいつが嫌になったら俺のところに来ないか?こう見えて俺まだ独身だから」
「あら、それは光栄ですわ。考えておきますね」
案の定レオに余計なことを言う店主だったが、レオはまったく気にする風もなく受け流した。
もたもたと財布を取り出そうとしたレオを一秒でも早く店主から引き離したくて、さっさと金を払ってその場を後にした。
「すまなかった。嫌な思いをさせた」
「なんで謝るの?あれくらいの冗談、どうってことないよ」
服装が変わって口調まで変わったレオは、本当にどうってことないと思っているようだ。
ジークたちを過保護だと思っていたが、俺も人のことを言えなくなっているのかもしれない。
俺たちの心配をよそにレオはローグを美味しいと言って完食し、俺はすごく嬉しくなり、そんな自分に驚いた。
その夜。
寮の部屋でベッドに横になりながら、朝からのことを思い返した。
レオの初めてのお忍びということだったが、俺にとっても初めてのことだらけの一日だった。
誰かの家を訪ねることも、女性物の衣裳店に入ったことも、誰かと一緒に街を歩いたことも。
あのように女性に触れたことも。
掴んだ腕の感触を思い出すと、それ以外のものまで胸に湧き上がってきてしまう。
アレグリンド現国王の姪で、王太子の宝物。
本来なら俺なんかが近寄ることすら許されない宝石だ。
望んだところで手が届くわけがない。
あまりに自然に笑顔を向けてくれるから、もしかしたらなんて錯覚を起こしてしまっただけだ。
レオもジークもキアーラ嬢も楽しそうだった。
俺もとても楽しかった。
それだけだ。
それ以上を望んではいけない。
俺は溜息をついて目を閉じた。




