⑭ 主の魔石
シストレイン子爵家の邸宅から北東に徒歩で二日ほどのところにある山中に、ファーリーン湖と呼ばれる湖がある。
美しいその湖はアルツェーク地方の貴重な水源となっている。
そして、この時期の満月の夜が明けるころ、水属性の魔獣が大挙してそこから溢れだす。
湖の中に古代の遺跡が沈んでおり、そこの魔道具が定期的に作動している、という説が最有力らしいけど、原因不明なのだそうだ。
「そこだけ聞くと大惨事のように聞こえますけど、強い魔獣はほとんどいないのです。なので、いい訓練になるのですよ」
キアーラも碧の瞳を輝かせて楽しみだと言う。
「溢れだすって、どれくらいの数が出てくるの?」
「そうですね、年によって違うのですけど、数百匹はでてきますね。ルルグもたくさんでてきますよ。今年はお掃除魔法があるので、ルルグを狩るのは簡単に済みそうですね。魔石や素材が一度にたくさん手に入る稼ぎ時でもあるので、平民でも腕に覚えがある有志が遠征隊に参加します。
それから、最後に主とよばれる一番強くて大きな魔獣が出てきます。主を斃すのは、アルツェークの騎士にとってとても名誉なことなのです。
去年の主は、大きな水蜘蛛で、カイル兄様が倒しました。その前の年は、馬みたいな姿のケルピーという魔獣でした。あの時は、たしか騎士の一人が倒したはずです。カイル兄様が悔しがっていました。主は毎年変わるのです。今年はなにが出てくるか楽しみですね」
カイル兄様も腕の確かな騎士だ。今年も主を狙うととても張り切っているらしい。
「そして、もう一つ大切なことをお伝えしなければなりません」
キアーラはふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「アルツェークの女の子は、主の魔石を捧げられながら求婚されるのが憧れなのです。他の魔獣はともかく、主は強いですから魔石の価値も段違いですし、どんな魔獣や困難からも守ります!という決意の現れにもなります。ケルピーを倒した騎士もその後すぐ結婚しました。求婚したい相手がいる騎士にとって、主の魔石は喉から手が出るほどほしいものなのです。
ですからね。今年の主狩りは競争率が高くなりますよ」
その理由がわからず首を傾げる私に、キアーラはまた笑った。
「レオ様ですよ!レオ様に主の魔石を捧げたいと思っている騎士が何人もいます。私が知っているだけでも四人はいますわ!」
「え?私?いや、そんなバカな……」
あまりに予想外のことを言われて、私は慌てて言葉がでてこなくなってしまった。
「レオ様は賢いのに、たまにすごく鈍いですわね。そこがまたお可愛らしいのですけど。そのあたりの争奪戦もファーリーン湖遠征の醍醐味なのです。今年は面白いことになりそうだと、みんな楽しみにしていますわ!」
騎士が四人って……どの人だろう?
みんな親切にしてくれてると思っていたけど、そんな人がいるなんて考えてもみなかった私は、頬に血が昇るのを感じて俯いた。
私は自分のことに必死で、また周りが見えていなかった。
いや、こういったことには前世から鈍かった。
文字通り、死んでも治らなかったわけだ……
私は今はレオナと名乗っているけど、お忍び中の王族なのだ。
いくらいい人でも、結婚できないと思う。
プロポーズ……されてみたい気もするけど、断るのは心が痛むだろう。
特に、婚約者に捨てられた記憶を持つ私は、それに近いことはしたくない。
実際、今の私は結婚願望自体がほとんどゼロなのだ。
「……主を倒したからって、求婚しないといけないわけではないんだよね?」
「ええ。そのまま魔石を売り払っても構いません。持ち主の自由ですわ」
「それなら!私が主を狩って魔石を手に入れる!そうすれば、誰にも求婚なんてされない!」
これなら確実に気まずい思いをしなくてすむ!
魔石はいいお土産にもなる。
頑張ろう!と私は両手をぐっと握りしめた。
「まあ!その発想はありませんでしたわ!」
キアーラは楽しそうに目を丸くした。
「私、レオ様に賭けます!全力で応援しますから、きっと主を斃してくださいませ!」
あ、これって賭けになってるんだ、と少し引いた私に対し、キアーラはきらきらとした笑顔だ。
だれがどれくらい賭けているのか気になる。私も自分に賭けていいかな?
「ちなみに、カイル兄様はだれかに求婚したの?」
「ええ、はい……」
ふとした疑問に、キアーラの笑顔が曇った。
「その……求婚した相手の方が、すでに婚約者がいる方だったようで……」
つまりフラれてしまったということか。
婚約中の女性を好きになってしまうあたり、カイル兄様らしい気もする。
それにしても、水属性の魔獣か。
私が得意な水魔法とは相性が悪い。
本気で主を狩るつもりなら、なにか策を考えなくてはいけない。
逆にマックスは火魔法が得意だから相性がいいはずだ。
もしかしたら、今年のマックスが主の魔石を手に入れるかもしれない。
そうなったら、マックスはその魔石をどうするのだろうか?