㉛ エピローグ
キルシュがアレグリンドに併合されてから七年の月日が流れた。
穏やかな春の日、私は大きくなったお腹を撫でながら、陽当たりのいいテラスに置かれたカウチに座って庭を眺めていた。
そこには元気に走り回る子供が二人。
リザルド侯爵家の長女アイリーン五歳と、長男ウィリアム三歳だ。
驚くべきことに二人とも火竜の紋をもって生まれてきた。
服で隠れる位置なのでマックスは胸をなでおろしていたけど、『レオの型破りっぷりに火竜の身体能力が加わったら、一体どうなるんだ』と頭を抱えてもいた。
「おじいさま!」
アイリーンの嬉しそうな声が響いた。
今日もお義父様はタウンハウスを訪ねてきてくれたようだ。
二人は歓声をあげて祖父に駆け寄り、我先にと逞しい体をよじ登り始めた。
お義父様が二人を肩の上に座らせてくるくると回ると、きゃあきゃあと笑い声が上がる。
いつもの光景だ。
アイリーンが生まれた後、火竜って数代に一人くらいしか生まれないんじゃないの?と思いつつも孫が生まれたと手紙で知らせると、光の速さでお義父様が王都に駆けつけてきた。
そして、マックス譲りの赤い髪に瑠璃色の瞳をしたアイリーンの小さな手に指を握られ、ハートを射貫かれてしまったらしい。
再び光の速さでキルシュに戻ったお義父様は、アレグリンド騎士団に取り込むために解体と再編成の途中だった旧キルシュ軍の総将軍としての執務を全てセールズ義兄様とアルディス義兄様に押しつけて、引退宣言をして私たちが住むタウンハウスの近くに引っ越してきてしまい、マックスを唖然とさせていた。
それからウィリアムも生まれ、お義父様は孫たちにデレデレの好々爺へと変身を遂げた。
無表情で寡黙で厳ついかつてのキルシュ総将軍の姿はもうそこにはない。
「レオ」
優しい声に振り向くと、騎士服姿のマックスがいた。
「お帰り!今日は早かったね」
「ああ、ただいま。早く帰ってやれってジークに執務室を追い出されてしまった」
「そうなの?気を遣わせちゃったかな?」
「違うよ。ジークが早くキアーラのところに行きたいからって俺をダシにしたんだ」
マックスは隣に座ると、そっと私のお腹に手をあてた。
「体調はどうだ?」
「大丈夫だよ。お医者様も順調だって。キアーラの方は?なにか聞いてる?」
「あっちも順調だそうだ。もうしばらくしたら、お見舞いに行けるだろう」
「よかった。この子が生まれる前に、顔を見に行けたらいいんだけど」
ジークとキアーラの間には男の子が二人立て続けにできて、キアーラはつい先週三人目となる女の子を産んだばかりだ。
「ジークはもう娘にメロメロだ……一生嫁には出さない!とか言って。そのくせに、アイリーンを息子のどっちかの嫁にほしいらしい。矛盾してると思わないか?」
憮然とするマックスがおかしくて私は笑ってしまった。
「あ!おとうさま!おかえりなさい!」
アイリーンは父親を見つけると、かなり高い位置にある祖父の肩からぴょんと飛び降りて風のように走ってきた。
ウィリアムはまだ飛び降りることはできないので、地面に降ろしてもらってから同じように三歳児とは思えないくらいの速さで姉の後に続く。
二人とも、もう既に火竜の身体能力の片鱗をみせている。
「ただいま。いい子にしていたか?」
マックスが二人を抱き上げて交互に頬ずりをすると、二人は今日の出来事を賑やかに報告しはじめた。
「ほら、もうすぐ夕ご飯の時間ですよ。手を洗っておいで」
放っておくときりがないので私がそう声をかけると、子供たちははーいと元気に返事をして洗面所へと駆けて行った。
「お帰り、マックス」
「ただいま帰りました、父上。今夜も夕飯を食べていかれるのでしょう?」
「そのつもりだよ。アイリーンたちに寝る前に絵本を読んであげる約束をしているのでね」
お義父様はたまに寝かしつけまでしてくれる。
有難いやら申し訳ないやら思いつつも、本人は嬉しそうなので、素直に甘えさせてもらっている。
マックスとお義父様の間にも、かつてのようなピリピリした緊迫感はない。
お義父様が頑張って歩み寄ろうとしたのもあるけど、アイリーンたちの存在も大きい。
父親にも祖父にも平等に甘える幼児に、すっかり絆されてしまったのだ。
おじいさまー!とアイリーンが呼ぶ声に、お義父様はいそいそと室内に入っていった。
それを見送り、私はマックスに手を取られてゆっくりとカウチから立ち上がった。
「あ、今お腹を蹴ったよ」
「元気な子だ。また火竜の紋をもってるかもしれないな」
「二度あることは三度あるって言うしね」
マックスは私の腰にそっと手を回して抱き寄せて、額にキスを落とした。
私はマックスの左頬に触れ、愛情に溢れた紫紺の瞳を見上げた。
婚約者に裏切られボロボロになって死んでしまった前世の私。
母と弟を亡くし、父から存在を否定されたレオノーラ。
二人の記憶と意識が混ざり合い、可哀想な子ではなくなった私は、望む未来を手に入れた。
「愛してるよ、マックス」
「俺も愛してる。これからもずっと」
マックスの逞しい腕にすっぽりと包まれるように後ろから抱きしめられて、私は愛する夫の温かな体温と魔力を感じながら幸せを噛みしめた。