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㉙ オスカー・ギース

 私はキルシュでもう一つやらなければならないことがあった。


 私はこの日も朝から緊張していた。


「本当に一人で大丈夫なんだね?」


「うん……その方が、ちゃんと話をしてくれるんじゃないかと思うから」


「わかった。じゃあ、僕たちは隣で話を聞いているからね」


 今日はジークたちも一緒だ。記録のため、アレグリンドから来た文官も一人控えている。


「無理はするなよ。少しでも危ないと思ったら、すぐに踏み込むからな」


 心配するマックスに、私は笑って見せた。


「大丈夫だよ、あっちは動けないんだから。じゃあ、行ってくるね」


 私が一人で向かった部屋の中には、動けないように椅子に縛りつけられた男が一人。


「あれ?僭帝陛下じゃない?久しぶりだね」


 相変わらず軽薄な口調。

 キルシュの元宰相、オスカー・ギースだ。


 クーデターがあったあの日、ギースは捕らえられて投獄された。

 それから様々な尋問をされ、これから最後に私からの尋問を受けるのだ。


 ギースは私の記憶よりも瘦せ細り不健康そうな顔色になっているけど、瞳はギラギラと光り表情は不敵なままだ。


「思ったより元気そうだね」


「おかげさまでね。それにしても、僭帝陛下は女の子だったんだね。惜しいなぁ、僕のハーレムで可愛がってあげたかったなぁ」


 この部屋とジークたちがいる隣室は魔法具で繋がっている。

 ここでの会話もなにもかも、ジークたちには筒抜けになっているのだ。

 今のギースの発言で、マックスは殺気を放っているんじゃないだろうか。


「あなたの調書を読んだよ。皆、意味が解らないって頭を抱えてた」


「そうだろうね。でもね、僕は何も嘘はついていないんだよ。全て訊かれた通りに正直に答えただけだ」


 ゲームとかマンガとか、調書はそんな言葉で溢れていて、そんな概念のないこの世界の人たちには理解しがたい内容だった。

 前世ではあまりその方面に詳しくなかった私にも解らない言葉もあった。


「私は……タキガワナツミ。あなたは?」


 ギースは目を見開き、心底面白そうに笑った。


「僕は、マツキシンイチロウ。なんだ、僭帝陛下も日本人なの?」

 私は苦いものが胸の中に一杯に広がるのを感じながら頷いた。


「教えてほしい。なんで、あんなことを?」


「だって、異世界転生したらハーレム造るのは当たり前でしょ?それが醍醐味ってやつだよ!ナツミちゃんにはわかんないかなぁ」


 そういう内容の漫画とかがあったのは知っているし、それを目指したのだろうとは予想していたけど。

 牢獄はギースにとってハーレムだったわけだ。


「どうして自分で皇帝にならなかったの?」


「それも考えたんだけどね。どうせなら、影の支配者?みたいになってみたくて。なんかその方がカッコいいでしょ?」


 ヘラヘラと笑うギースに私は唇を噛みしめた。


「考えてもみてよ?せっかく異世界転生したっていうのに、僕はこんな冴えないオッサンでさ。金も無ければ魔力も少ない。最初は絶望したよ。ついでに言えば、ここは僕が知っている漫画やゲームでもない世界みたいだ。ナツミちゃんは?ここがどの作品の世界かわかる?」


 私は首を横に振った。

 私も前世の記憶が蘇った直後に一生懸命に考えたけど、レオノーラというキャラクターが出てくる話に心当たりはなかった。


「……ここが、漫画かゲームの中の世界だと、どうして思うの?」


 ギースは虚を突かれたような顔をした。


「だって、そうとしか考えられないでしょ?魔法とか魔獣とか、よくある設定だし」


「日本にあった漫画やゲームが全く関係していない世界だとは思わないの?」


 ギースは肩を竦めた。


「そんなの確かめようがないよ。僕もそこそこ詳しかったんだけど、まだ読んでない漫画もたくさんあったからね。きっとその中の一つなんだろうね」


 私の知る限り、漫画もゲームも小説も、星の数ほどあった。

 その全ての内容を知るのは不可能だろう。


「どの作品だろうと、きっと僕はモブなんだよ。だって、こんなオッサンがメインキャラクターってあり得ないでしょ?でもそんなの悔しいじゃないか!僕だって、いい思いしたいに決まってるよ!だから、僕は僕がメインキャラクターになるように、頑張ることにしたんだ。幸いなことに、魔法具とかの知識は豊富だったからね。その方面を極めてみたら、思うように事が運んだんだよ。自分で思い通りの魔獣が造れたときは感動したよ。最初に想像したのと方向性は違ったけど、やっぱり、ここは僕のための世界だって確信したね!モブが成りあがる、みたいなね」


 ギースは四十代のはずなのに、なんとも言動が幼い。

 自分をオッサンと言うからには、前世ではもっと若かったのだろう。


「……あなた、死んだ時の記憶はある?」


「あるよ!通学途中で交通事故で死んじゃったよ」


「通学?ということは、学生だったの?」


「十六歳の高校生だったよ」


 ああそれなら、と納得した。

 前世で十六歳くらいの子供だったら、これくらい幼くても違和感はない。

 私とは違って、四十代まで生きた元のギースの性格はあまり残らなかったのだろうか。


「ナツミちゃんは?」


「私は……二十代のOLだった。病気で死んだよ」


「そっかぁ。いいなぁ、ナツミちゃんは異世界転生して若返ったんだね。しかも、可愛くて魔力量も多くて王族だなんて、チートすぎない?不公平だよ!僕はこんななのに!」


 ギースはこんな時でもおどけた調子のままだ。

 この余裕はどこから来るのだろうか。


「あなたが言ってたっていう……えぬぴーしーって、なに?」


「NPC?ああ、ノンプレーヤーキャラクターの略だよ。ナツミちゃんはあんまりゲームとかしない人だった?」


 私は頷いた。

 ゲーム関係は大人になってからはほとんど触っていなかった。


「プレーヤー以外の、ゲームの中に配置されてるキャラクターのことだよ。村人だったり、武器屋とか宿屋の主人みたいな。プレーヤーじゃないから、意志もない。物語の都合上造られたキャラクターだよ」


 それは、なんとなくイメージできる。

 話しかけるとひたすらに『〇×村にようこそ!』と応えるようなキャラクターのことだろう。


「そう……そういう意味だったの……」


 調書の中で、何度もこの言葉があったけど私にも意味がわからなかったのだ。

 そして、ギースがなんであんな酷いことを平気でできた理由が理解できた。


「あなたは……この世界が、あなたのための世界で……あなた以外の人は、全部そのNPCだと思っているんだね」


「そうだよ!だって、ゲームってそういうもんだよ。あ、でもナツミちゃんは違うよ?僕と同じプレーヤーだもんね。嬉しいなぁ、ここでプレーヤーに会えるって思ってなかったよ。ねぇ、これきっと、僕をここから助け出すっていうナツミちゃんのクエストだよ。僕たちが手を組んだら、すごいことができると思わない?きっと、そういう流れなんだよ!」


 同じ日本という国で生きた記憶を持っているというのに、ここまで違うのか。

 あまりにも理解ができない精神構造に、私は一瞬気が遠くなって立ち眩みを起こしたようによろめいてしまった。


「レオ!」


 私が持ち直すより早く、マックスが飛び込んできて私の体を支えるように抱き寄せた。


 ギースの理論では、マックスもNPCということになる。

 マックスだけでなくて、ジークもエリオットもフェリクスもキアーラも、ギースと私以外は皆NPCなのだ。


 私を包み込むマックスの大きな体は温かく、その中を巡る魔力も同じように温かく、逞しい胸からは力強い鼓動が響く。


「大丈夫か?」


 心配そうに私を見下ろす紫紺の瞳には愛情と優しさが溢れていて、私は涙が零れそうになった。


 そんなはずない。

 マックスが、NPCなんかなはずがない。

 だって、マックスの中に温かな魂を確かに感じる。

 だからこそ、この美しい紫紺の瞳を見つめるたびに、私の心も魂も共鳴するように震えるのだ。


「あれ?それ、火竜じゃない?ナツミちゃんて、火竜とそういう関係なの?ウケる!」


 ギースは耳障りな声で笑い、マックスは私をギースの視線から隠すように肩を支えて凍えるような殺気を漂わせた。


「ねぇナツミちゃん。僕に乗り換えなよ。そんなのより、僕の方がよっぽどナツミちゃんを満足させられると思うよ?だってほら、僕は経験豊富だからね?試してみたくない?ナツミちゃんも、きっと気に入るよ。だからさ、これから」


「黙れ!」


 私はそれ以上聞きたくなくて、鋭く遮った。


 ギースの言う経験とは、あの牢獄に囚われていた女性たちを相手にした経験なのだ。

 そんなの考えただけで吐き気がする。


「違う。違うよ……あなたは間違っている」


 私はマックスの手を握って、ギースに向き直った。


「この世界は、ゲームの中でも漫画の中でもない。ここの人たちは、NPCなんかじゃない。皆心と魂を持って、必死で生きてるんだよ。傷つけられたら痛いし、大切な人が死んでしまったら悲しい。前世で私たちの周りにいた人たちと同じなんだよ……」


 救護施設で治療を受けている人たちの顔が脳裏をよぎった。

 ギースとフィリーネに深く傷つけられた人たちだ。

 もしあの人たちがNPCだというのなら、あれだけ苦しむはずがないではないか。 


「なに言ってるんだよ、ナツミちゃん!そんなはずない!だって」


「ここはあなたのための世界じゃない。私のための世界でもない。日本でもそうだったように、ここでも私たちは、ただの一人の人間にすぎない。前世の記憶を持ってるってだけで、なにも特別なことはない、ただの人間なんだよ」


 ここに来てギースの顔色が変わった。

 私が言っていることが理解できたのだろう。


「あなたが殺した人にも、弄んだ人にも、それぞれに魂があった。あなたがやったことは大量虐殺だ。あなたは罪もない人たちを惨殺し、さらに多くの人の心を踏みにじった。決して許されることではない。わかるでしょう?」


「でも……それなら、なんで?なんで僕は、異世界転生なんか」


「それはわからない。私も、なんで前世の記憶が蘇ったのか、さっぱりわからない……前世の私は、若くして死んでしまった。だから、私は今度こそ幸せになろうと思って頑張って、周りの人たちにも助られて……それで、ここにいるんだよ」


 私が今こうして生きているのは、マックスやジークや、多くの人たちのおかげだ。

 ギースの周りにはそういう人たちはいなかったのだろうか。


「私はあなたに関することでも、それ以外でも、何度も危ない目にあった。そんな私がメインキャラクターなはずがない。あなただって、そうでしょう?メインキャラクターだったら、惨めに牢に繋がれて、処刑されるなんてことにはならないはずでは?」


「……処刑……?」


 ギースが信じられないというような顔で青ざめた。


「当たり前でしょう?あなたはそれだけのことをした。あなたは明日、フィリーネと並んで首を落とされ、城門の外に死体を晒すことになる。もう誰にもあなたを助けられない」


 ガチャン、と音がした。

 ギースが枷から逃れようと暴れた音だ。


「そんなの嘘だ!僕が、メインキャラクターが死ぬはずない!」


「それはあなたの妄想だよ。あなたは明日、処刑される。もう決定だ」


「嫌だ!僕は、皆がNPCじゃないなんて知らなかったんだ!知ってたら、あんなことしなかったよ!」


 ガチャガチャと暴れるギースを、私は悲しい気持ちで見つめた。

 

 私は前世の記憶が蘇った時、この世界のどこかに私と同じような人がいるのではないかと思った。

 できることなら助け合えたらと思っていたのに。


 その願いが叶うことはなかった。


「日本でも言われたことない?現実にリセットボタンはないって。ここでも同じだよ。魔法が使えて魔獣がでてくるような世界でも、現実は現実。リセットボタンなんて存在しない」


「助けてよ!ナツミちゃん!なんで僕がこんな目にあわないといけないんだ!どうしてナツミちゃんばっかり、いい思いをするんだよ!あんまりじゃないか!」


 涙目で喚くギースだけど、同情心は欠片も起こらない。

「私はレオノーラ。もうナツミじゃない。さようなら、ギース。自分の犯した罪の報いを受けるといい」


 私はなおも喚き続けるギースに背を向け、マックスと並んで狭い部屋を後にした。

 酷く疲れた気分でジークたちにギースの言葉の意味を説明し、文官が必死にそれを記録して、それが終わったころにはもう日が暮れていた。


 私はマックスに抱えられるように部屋に戻り、夕食もとらずに寝台に倒れこんでそのまま朝まで眠った。


 

 

 フィリーネとギースは翌日、私が言った通りに処刑されて城門前に死体を晒された。

 フィリーネは全ての魔法具を取り上げられてから精神汚染が緩んだそうで、自分が欲望のままに数えきれないほどの人を虐殺してしまったことを認識して、クーデターの数日後には牢獄の中で精神崩壊してしまったそうだ。


 ちなみに、私が後宮でフィリーネの指からこっそりと抜き取った指輪は、フィリーネの魔力を暴走させて周囲にまき散らす効果のものだったらしい。

 もしそれが発動していたら、しっかり対策を考えていた結界の魔法具よりよほど厄介なことになっていただろう。

 やっぱり私は運が良かったのだ。


 私たちがアレグリンドへの帰途についたのはその翌週のことだった。


「マックス……元気で」


「はい。父上も」


「アーネストを頼んだぞ。レオノーラ姫とも仲良くな」


「はい……」


 お義父様は私との約束を果たそうとしてくれているらしく、ぎこちないながらもマックスと別れの言葉を交わしていた。

 マックスもまだ警戒心は消えないようだけど、以前よりは柔らかい表情をお義父様に向けていた。


 アーネストくんはアレグリンド王立学園への留学が認められ、私たちと一緒に王都に向かうことになっている。今から入学が楽しみだそうで、アーネストくんの顔は明るい。


 戦装束を身に纏い白馬に跨ったジークは、絵に描いたような白馬の王子様だった。

 私たちはそんなジークを先頭に、ジークと同じ色のプラチナブロンドが少し伸びた男装姿の私、左頬の火竜の紋を堂々と晒したマックスと続き、黄色い悲鳴や様々な歓声に笑顔で手を振りながら帝都を後にした。


 私とマックスが二人だけでキルシュに入国してから四か月が経っていた。



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