㉔ 西方将軍と皇子
ジークたちはそれからすぐに慌ただしく動きだした。
私たちとゆっくり話をするのは後日ということで、私とマックスはいつものように救護施設に向かった。
ここにはすでに薬とアレグリンドの医師たちが到着しており、引継ぎが行われていた。
ずっと働きづめだった医師や看護人たちもこれで休めることだろう。
救護施設以外のところでも、アレグリンドの騎士服や文官のお仕着せを着た人がちらほらといて、皆忙しそうにしていた。
これからいい方向へと向かっていってほしいと私は心の中で祈った。
ジークたちが到着した二日後には、西の砦から一軍を率いてマックスの長兄がやってきて、また謁見室で出迎えることになった。
「マックスの上のお兄さんって、どんな人?」
と訊いてみたところ、
「最後に会ったのはもう何年も前だ。俺とは八歳も年が離れているし、実はあまり関わったことがない。子供の時は、なにやら賑やかな人だと思っていたが……今はどうなんだろうな」
と、結局年齢以外のことははっきりしなかった。
それにしても、賑やかな人って?他のハインツ家の面々から考えても想像がつかない。
謁見の間でジークは玉座には座らずその前に立ち、私はその横に並んだ。
現れたのはマックスより暗い色の赤い髪をした大きな体躯の青年と、その後ろに隠れるようにしているのはまだ幼さが残る少年だった。
青年はどう見てもマックスの長兄で、少年は皇子なのだろう。
二人はジークの前で膝をついた。
「ジークフリード・エル・アレグリンド王太子殿下。私はキルシュの西の砦を預かる西方将軍、セールズ・ハインツと申します。そして、こちらが三代前の皇帝陛下の孫であらせられる、アーネスト・キルシュ殿下でございます」
「ア……アーネスト・キルシュと……申します」
セールズさんはともかく、皇子の方はガチガチに緊張してしまっている。
そばかすの浮いた頬が青ざめて冷や汗をかいていて、ちょっと可哀想なくらいだ。
処刑されるとでも思っているのだろうか。そんなことしないのに。
「遠いところをよくおいで下さいました。歓迎いたします。私たちはキルシュの復興を目指す同士です。まずはお互いのことをもっとよく知って、信頼関係を築くところから始めましょう。将来的には、手を取り合い助け合えるような関係になれるように。まずはお寛ぎください。それからゆっくりと話をする場を設けましょう」
そう言ってジークが微笑むと、青かった頬が少し赤くなった。
「すごく緊張してるみたいだね」
退出していく二人を見送りながら呟くと、ジークが頷いて同意した。
「そうだね。あれではまともに話もできないかもしれない。というわけで、レオ。お願いがあるんだけど」
ここで私はジークからある指令を受けた。
「大丈夫かな……?」
「大丈夫だと思うぞ。いつも救護施設でやってるような感じでいけばいいんじゃないか」
「そうだね……頑張ってみるよ」
私とマックスは庭園が見える陽当たりのいいテラスにいた。
しばらくすると、セールズさんとアーネスト皇子が案内をされてやってきた。
「お待ちしていました。私はレオノーラ・エル・アレグリンドと申します。ジークフリード・エル・アレグリンドの従妹で、ご存じだと思いますが数日前までキルシュの皇帝をしていました。それから、こちらはマクスウェル・ハインツ。そちらにいらっしゃる西方将軍の弟で、ジークの側近で、私の婚約者でもあります」
私が紹介すると、マックスは騎士の礼をとった。
「ジークたちは少々立て込んでいるようで、こちらに来るのが遅れるそうです。せっかくですので、私たちだけで先に親交を深めませんか?私、皇子とはお話をしてみたいと思っていたのです。ここにいるのは私たちだけです。無礼講というか、あまり堅苦しい感じはナシということにしましょう。それでよろしいですか?」
「は、はい……」
私はにっこりと笑ってがらりと口調を変えた。
「じゃあ、私のことはレオって呼んでね。私、普段はこんな感じだから。あんまり淑女じゃないから、礼儀とか気にしなくていいよ。マックスも、とっつきにくそうな顔してるけど優しい人だから、怖がる必要はないよ。楽にしてくれていいからね」
私がそう言うと、アーネスト皇子よりも西方将軍が反応した。
「無礼講か!それはいいな!」
大股でずかずかと歩み寄ってきて、咄嗟に私を背中に庇うようにしたマックスをがばっと抱きしめた。
「弟よ!久しぶりだな!五年ぶりくらいか?随分と大きくなりやがって!俺の身長を抜くとか生意気だぞ!」
「お、お久しぶりです、兄上……」
マックスが引いてる。対応に困ってる。
アーネスト皇子が普通の顔してるのは、これが西方将軍の普段の顔だからだろう。
「アレグリンドの騎士になんてなっちまったから、もう会えないかと思ってた。また会えて嬉しいよ」
西方将軍は満面の笑みでマックスの髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「で、レオノーラ姫。レオちゃんだな!俺のことはお兄ちゃんと呼んでくれ!」
そう言うと、私の脇の下に手を入れてぐいっと上に持ち上げた。所謂、高い高いのポーズだ。
「ひゃああ!」
「勇ましい姫君って聞いてたからどんなのかと思ってたけど、可愛いじゃないか!キルシュを助けてくれてありがとうな!」
突然のことに悲鳴を上げた私を持ち上げたままぐるぐると回り始めた。
小さい子なら喜ぶだろうけど、私はびっくりするばかりだ。
「兄上!レオに触らないでください!」
「セールズさん!いくらなんでも不敬ですよ!」
マックスとアーネスト皇子が二人がかりで将軍を制し、私はやっと床に降ろされた。
「本当に可愛いなぁ、マックスにはもったいない!」
そして私の髪はマックスと同じようにぐちゃぐちゃにされた。
「兄上!やめてください!」
「セールズさん!ここはもう西の砦ではないのですよ!」
マックスとアーネスト皇子は私たちをべりっと引きはがした。
「まったくもう、兄上は全然変わっていない……」
ボヤきながらマックスは私の乱れた髪を手櫛で整えてくれて、私も同じようにマックスの赤い髪をできる限り整えた。
それから改めてカウチに座って、侍女が淹れてくれたお茶を口にしたところで、
「それで?おまえら、もうヤってるの?」
明け透けなことをド直球で訊かれ、私とマックスは同時にお茶を噴き出してしまった。
「いい加減にしてください!レオ様も、答えないでください!」
アーネスト皇子は真っ赤になってまた将軍を制止した。
マックスが、長兄を賑やかな人と言った意味がよくわかった。
そして、アーネスト皇子は、多分普通の少年だ。
黒い巻き毛はフィリーネと同じで、琥珀色の瞳をしている。
現在十三歳。キルシュ西方の田舎にある下級貴族の出身だそうだ。
先々代皇帝がその地方に視察に訪れた際、手をつけた娘が産んだのが数年前に亡くなったアーネスト皇子の母君にあたり、フィリーネが即位する前後で身の危険を感じることがあったらしく、伝手を頼って将軍に助けを求めたと聞いている。
「申し訳ありません……西の砦は田舎ということもありまして、いつもこのような感じで……」
「男ばっかりだからな!しかも、鍛えてムキムキなのが犇めいてるから、暑苦しいのなんの!」
将軍は豪快に笑った。
「将軍は」
「やめてくれ!お兄ちゃんって呼んでくれよ!もうすぐ義理の妹になるんだろ?」
「まぁ、そうですが」
「なら、いいじゃないか!俺、可愛い妹がほしかったんだよ」
「では……セールズ義兄様で」
カイル兄様みたいな感じでいいのかな?
「うーん、まぁそれでいいや!それにしてもレオちゃん、なんでマックスなんだ?こいつ、不愛想だろ?政略結婚でもないって聞いてるけど、本当なのか?」
そのあたりに疑問を持たれるのはいつものことだ。
私たちって、そんなに似合わないのかな?と未だに納得いかないのだけど。
「本当ですよ。いろいろありまして、私は何度もマックスに命を助けてもらっています。マックスはご家族には秘密にしていたようですけど、私たちは数年前から仲良くしていたんですよ」
「命を助けられたのは俺も同じです。俺がアレグリンドで騎士になると決めたのは、レオの側にいるためというのも大きな理由なんです」
私たちがそう言い切ると、セールズ義兄様はなぜか怯んだような顔をした。
説得力なかったかな?
「そ、そうなのか……嘘じゃないんだな?」
「こんな嘘ついてどうするんですか」
「だって、俺の方が八つも年上なのに、まさかマックスに先を越されるとは……しかも、こんな可愛いコと……さらに王族だなんて……アルディスあたりに担がれてるんじゃないかってずっと疑ってたんだ」
「アルディス兄上だってそんな嘘つきませんよ」
納得してくれないセールズ義兄様にマックスは呆れ顔だ。
「正直、この目で見ても信じられない……世の中不公平すぎやしないか!?俺はずっとムサい男にばっかり囲まれていたというのに!俺だって、可愛い恋人がほしい!」
「なにを言っているんですか。セールズさんにはシャーリーさんがいるじゃないですか」
大袈裟に嘆くセールズ義兄上を、アーネスト皇子が冷静に遮った。
「なっ!なんでアーネストがそんなこと知ってるんだ!?」
「砦の人は皆知ってますよ。バレてないと思っているのはセールズさんくらいですよ」
シャーリーさんというのがセールズ義兄上の恋人なのだろうか。
「砦は男が多いといっても、女性もいるんですよ。料理したり、掃除したり、あとは事務仕事なんかもありますから。シャーリーさんは、会計担当の事務員なんです。しっかりした美人ですよ。僕にも優しくしてくれます」
アーネスト皇子が説明してくれた。
「なんだ、兄上もちゃんと相手がいるんですね」
「いや、シャーリーは、その……」
「セールズさん、いい加減にはっきりしないと、愛想をつかされますよ。シャーリーさんを狙ってる男はたくさんいるんですからね。シャーリーさんは選びたい放題なんですよ?次に西の砦に戻った時、シャーリーさんは誰かと結婚しててもおかしくないですよ」
「う……それは……嫌だ」
苦労をしたからか、アーネスト皇子は随分と大人びているようだ。
自分の倍以上年上のセールズ義兄上をはっきりした口調で諭している。
雰囲気から、こういったやり取りがしょっちゅう行われているんだろうな、と察することができた。
アーネスト皇子は賢くて、気遣いができる少年なようだ。
「そんなことより、僕はレオ様の話が聞きたいです!」
「私の話?」
「珍しい魔法が使えるのですよね?」
私は空中に小さな火球を作り出し、それを猫くらいの大きさの鳳凰の形に変えた。
室内だから控え目サイズだ。
鳳凰は開かれていた窓から外に飛んでいき、庭園の上をくるっと旋回して、七色の火花になって溶けるように消えた。
「おお!すごい!」
「へぇ、レオちゃんは器用なんだなぁ」
二人は目を丸くして感嘆の声を上げた。
「他にもお掃除魔法というのがあるんだけど……ここでは使えなさそうだね」
「それはどんな魔法なのですか?」
「散らばってる落ち葉とかを風魔法で一か所に集めるんだよ。小さい魔獣とかもこれで集めて、最後に火魔法を少し使えば効率よく一網打尽にできるんだよ」
アレグリンドではよく知られるようになった魔法だけど、キルシュではそうでもない。
あ、でも謁見の間に魔獣が溢れた時に使ったから、そのうちキルシュでも広がるかもしれない。
「僕でも使えるようになるでしょうか?」
「練習すればできると思うよ。アレグリンドには私以外にも使える人がたくさんいるから。機会があったら教えてあげるね」
「是非!お願いします!」
それから、私たちは西の砦での生活や、アレグリンド王立学園のことなど、いろいろなことを話した。
アーネスト皇子はすっかり私に打ち解けてくれたようだ。
実はこれが私がジークに与えられた使命だったのだ。
ガチガチに緊張されていては会話もままならないし、どんな人柄なのかもわからない。
アーネスト皇子の緊張を解くには、私が近づいて仲良くなるのが効果的だとジークは判断し、実際に自然に笑ってくれるまでになった。
これでもう大丈夫だろう。
ジークたちが現れたのは、私がそう思った直後だった。